第十七話
翌朝。
いつもと変わらない屯所内の空気が一遍したのは、昼近くのことだった。
「い、今・・・・・・・何、と・・・・・・?」
いつものように局長室へとお茶を運んでいたあかねが、目を見開いて聞き返す。
「「!!」」
襖を開けたままで話をしていた近藤と土方が、同時に廊下に立ち尽くすあかねに目を向けた。
「あかねさん・・・・・・」
今にも手に持ったお盆を落としてしまいそうなあかねに、総司が近寄りそれを受け取ると呆然としたまま動かないあかねの手を引き部屋の中へと促した。
「寄りによって・・・・・・・お前に聞かれるとはな・・・・・・」
そう言った土方の顔は心なしか苦痛に歪んでいるように近藤の目には映った。
「どういう意味だ?トシ」
土方の言葉に近藤が首を傾げる。
「・・・・・・・今の話・・・・・・本当なんですか?」
正面に座ったあかねが真っ直ぐな目で土方を見つめていた。
その視線に居心地が悪いのか、土方はゆっくり煙管を取り出すと口に咥える。
「あぁ・・・・・・本当だ」
そう短く答えると、火を点けゆっくりと吸い込んだ。
この日。
近藤の元に監察方を務める山崎から届けられた知らせは、昨夜芹沢が「角屋」で暴れたというものだった。
何故暴れたのかはわからない。
が。
酒に酔った芹沢が店で暴れた挙句、「角屋」に一週間の営業停止を言い渡したというのは事実だった。
(コイツにだけは知らせたくなかったな・・・・・・まぁ無理だろうが・・・・・・・)
そう思いながら吸い込んだ煙をゆっくり吐き、目の前のあかねに視線を向ける。
そのあかねが、突然頭を下げた。
「近藤局長。土方副長。今回のことは私の失態です。どうか、お斬り捨て下さいっ」
「は??」
「な、何言って・・・・・・?」
突然のことに近藤と総司は目を丸くする。
土方はただ黙ったまま、畳の上に添えられたあかねの手が小刻みに震えるのを見つめていた。
何故なら。
その小さな手が震えているのが、怒りによるものなのかそれとも別の感情から来るものなのか、読み取ることが出来ずに目を離すことが出来なかったからだ。
「申し訳ございませんっ!!私が余計な事をしなければ、このようなことにはならなかったのです・・・・・・ですからっ!」
まるで額を擦り付けるかのように、あかねは下げた頭を更に低くする。
「・・・・・・・そういう思考になるわけか、お前は・・・・・・」
いつもより低い声で答えた土方に、近藤も総司も視線を向けた。
「・・・・・・私が差し出た真似をしたせいで、このような事態を招いたのは事実です」
泣いているのか、と思えるほどあかねの声は震えていた。
「お前のせいじゃ、無ぇよ」
言いながらも、フーッと白い煙を吐く。
「お、おい、トシ。どういうことか説明してくれないか?」
話の見えない近藤が、急かすように土方へ言葉をぶつける。
「あぁ、そうだな・・・・・・とりあえずお前は頭を上げろ」
近藤の言葉に短く頷いた土方が、あかねから視線を外すことなく告げると、あかねはゆっくり頭を上げる。
その瞳は苦しみと悲しみを混ぜ合わせたような色に揺れていたが、不思議と涙は滲んでいなかった。
その代わりに、自分を許せないという強い意志がその表情には浮かんで見えた。
「昨夜の宴席を設けたのは、コイツなんだ」
自分を斬れとでも言うように、真っ直ぐ見つめるあかねの強い眼差しに土方は居た堪れないのか、視線を外す。
「あかねさんが?どういうことですか?」
土方の言葉に、総司は驚いたのか目を丸くしていた。
「芹沢さんは他藩の藩士と揉めていたらしくてな・・・・・・それを知ったあかねが丸く収めるために宴席を設けさせたってことさ・・・・・・」
「・・・・・・そうか・・・・・・昨日トシが言ってたのは、このことだったのか」
「あぁ・・・・・・」
近藤が理解した表情を見せると、まるでそれを待っていたかのようにあかねが口を開いた。
「ですから、どうか私をっ・・・・・・!」
切羽詰まった表情で自分の唇を強く噛み絞めるあかねの手を、総司はそっと握ると静かに首を横に振って見せた。
「あかねさんは、何も悪くありませんよ・・・・・・むしろ、我々の預り知らぬところで事態を収めようとしたのでしょう?それの何処を責めろと言うのですか?」
あかねの手を優しく握り絞めて、総司は微笑む。
「で、でもっ・・・・・・!」
否定しようとするあかねの言葉を遮ったのは近藤だった。
「あかねくん・・・・・・君が動いてくれたおかげで、他藩との衝突は避けられたんだ。もしも君が動いていなければ、どうなっていたかわからない・・・・・・芹沢さんのことだ、もしかすると最悪の事態ということも有り得たかもしれない・・・・・・君もそう考えたから先に手を打ったのだろう?」
優しく言い聞かせるような近藤の言葉に、あかねは俯いた。
「君が取った行動は正しかった、とわたしは思うよ?・・・・・・知らなかったとはいえ、すまなかったね・・・・・・君を一人悩ませてしまって・・・・・・」
俯いてしまったあかねの頭を、近藤は優しく撫でる。
その仕草に、あかねは溢れそうになる涙をグッと堪える。
「昨夜のことはお前が責任感じることじゃ無ぇよ・・・・・・そいつは大きなお世話ってもんだ。これでお前が死んだら、芹沢さんのことだ・・・・・・余計に暴れるだろうよ・・・・・・何しろ、お前の事は気に入ってるみたいだしな・・・・・・それとも・・・・・・」
そこで言葉を止めると、土方はフッと不敵な笑みを浮かべる。
「それを見越して、斬られたいのか?お前は」
「な、なんてこと言うんですかっ!?土方さんっ」
土方の言葉に焦る総司。
そんな総司の様子に、土方は笑みを浮かべて「冗談だ」と言い放つ。
「俺が言いてぇのは、だ。自分の感情で勝手に先走って死を口にするなってことだ・・・・・・もっと早く言やぁ・・・・・・お前はここに居る以上、自分の都合で勝手に死ぬなんてことは許されねぇってことだ・・・・・・・お前のその命は、もうお前のもんじゃねぇ。局長である近藤さんのもんだ。近藤さんの命を勝手に捨てることは、この俺が認めねぇ。それだけは覚えとけっ」
一見、無茶を言っているように聞こえはするが。
これが土方なりの優しさでもあり、信頼の証でもあった。
「素直にあかねさんのこと頼りにしてるって言えばいいのに・・・・・・」
土方の言葉の真意を読み取った総司がボソッと呟く。
近藤に至っては、総司の言葉に苦笑いを浮かべていた。
「なんだとっ!?そんなこと思ってねぇ!お、俺はただ・・・・・・手駒に勝手に死なれると迷惑だってっ・・・・・・な、なんだぁ!?その疑うような目はぁ!?」
明らかに照れ隠しと思えるような言葉を吐く土方に、総司はジトーっと疑いの眼差しを向けている。
「まったく・・・・・いつまでも子供みたいなんだから・・・・・土方さんは・・・・・・イダッ!」
やれやれ。とでも言うように首を振る総司に土方のゲンコツが落ちる。
「誰が子供だっ!おメェみたいなガキには言われたくねぇっ!」
生意気言うなっとばかりに土方が睨みつける。
「精神年齢はわたしの方が上ですよぉ?」
それに対して総司も負けじと、からかうような口調で言い返す。
「っんだとっ!?」
こうなると、あとは子供の喧嘩だ。
そのままいつものように言い合いを始めた二人に、近藤は溜息をひとつ吐いてあかねに視線を移すと俯いたままのあかねの肩が小刻みに震えているのに気がついた。
「あ、あかね・・・・・・くん?」
泣いているのかと、近藤が心配そうに覗き込む。
それに気がついた二人も喧嘩を止めて、あかねに視線を向ける。
と。
「ククっ・・・・・・プッ・・」
もう我慢出来ないとでも言うかのように、吹き出したあかねが笑い始める。
「プハッ・・・クスクス・・・・・」
なるべく声を立てないようにと口元を押さえてはいるが、明らかに笑いが止まらない様子だ。
「も、もう・・ククッ・・ダメ・・・・・お、お腹・・・ククッ・・・痛いっ」
そう言ってお腹を押さえながら笑い転げるあかねに、三人は目を丸くして固まる。
「あ、あかね・・・・・・さん?」
「はぁ、もう・・・・・・近藤局長と土方副長の言葉にちょっと感動して泣きそうだったのに、兄さまったら・・・・・・プッ・・・・・・ククッ」
「え?わたし?ですかぁ?」
キョトンとした顔をする総司を見て、あかねはまた吹き出す。
「い、いえ・・・・・・プッ・・・・・・ククッ」
あかねは涙を流しながらも、笑いを堪えると
「お二人のやりとりが・・・・・・・プッ・・・・・・もう、勘弁してくださいっ」
とそこまで言ってまた笑い転げた。
あかねにつられるように近藤も笑い出す。
「ハハハっ・・・・・・確かに・・・・・・今のは泣ける良い場面だったのに、ねぇ?」
笑うあかねを見ながら、近藤はその止めどなく流れ落ちる涙が笑っているせいだけではないことに気づいていた。
(泣き顔は見せたくないってことか・・・・・・)
そして泣きながら笑うあかねはこの日、強い決意をしていた。
私が護る。
何があろうと、この手で。
必ず護る。
前に土方に言われた言葉。
『近藤さんの為に働け』
それはここに置いてもらうための理由に過ぎなかった。
けれど・・・・・・今は。
今は、心底仕えたいと思っていた。
この身に出来る限り。
この力の及ぶ限り。
今、自分の目の前にいる三人が私の新しい主だ。
彼らのためなら、この手がどんなに血にまみれようとも。
我が身がどんなに穢れようとも。
必ず、護り抜く。
それが今の自分に出来る忠誠の証。
そして、自分を受け入れてくれた彼らに対して返す事の出来るたったひとつの心。
忍びとは、主の為に忠節をつくし尽くすもの。
その主の影となり駒となるもの。
そして、何があっても主に付き従うもの。
だが、主を自分で選ぶことなど普通はない。
どんな相手であろうと、命懸けで仕えることに変わりはないが。
自分の意思で主を選び、そして仕えることが出来る。
そんな自分はとても幸せだ、とあかねは心底思いながら溢れる涙を拭っていた。
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