あるべき場所へ
どうやら自分が死んでいるらしい、ということに気づいたのは、これと言った特徴の無い道端の歩道に座ったままただ通り過ぎる車を眺めながら朝を迎えた時だった。
そこは本当になんでもない郊外の住宅地を通る二車線道路で、通り過ぎる車もそれほど多いわけでもなく、狭い歩道は人が擦れ違うのがやっとの幅しかない。
狭い歩道をさらに狭くする電柱にもたれかかって、両足を道路に投げ出して座っている自分のことを、近くを通り過ぎる車も人もまったく目に留めていないことに違和感を覚え、そしてそもそも自分はなぜこんな所でただ座っているのだろう、と考え始めてからそのことに思い至るまでには随分時間がかかった。
深くなった夜に降りてきた静寂が、混濁しがちで論理的な思考を妨げる意識と、断片的な静止画像しか蘇って来ない記憶を少しずつ整理するのに役立ってくれた。
最も鮮明に蘇る記憶が、目の前に迫ってくる軽トラックのバンパーで、そしてその後のことを思い出そうとすると、なぜか何かが破裂したような強烈な悪寒が全身を襲い、吐き気のような物がこみ上げる。しかしながら、その悪寒も吐き気も、なぜか感覚だけで実体を伴っていない。
いろいろなことを総合してみて、どうも自分は交通事故に合い、死亡したものの何かの理由で霊となって事故現場であるこの場所に留まっているのではないか、という結論に至ったのだ。
自分を轢いた軽トラックのドライバーへの恨みなのだろうか。
そう思ってみるものの、記憶の中にある、自分に迫り来る軽トラックの運転席で、絶望的な表情でハンドルをきつく握り締めるドライバーに対しては、哀れみか、もしくはなぜか申し訳ないような感情しか浮かんでこない。
しかし、意識してみれば確実に自分をこの場所に繋ぎとめる鎖のようなものの存在を感じることが出来る。
自分がそこに留まっている理由がわからないままさらに数度の朝を数えたある日、高校生らしき女の子が二人、明らかにこの場所を目指して歩いてきて、そして僕の前に立ち止まった。
「この場所ってなんか幽霊が出るって噂だよね。ほんとかな」
「幽霊が出るかどうかは知らないけどさ、でもここで実際に事故があったのはほんとだよ」
そう答えたほうの女の子が、小さな青いユリの花を、僕の足元にそっと置いた。
「えっ? 見たの?」
「うん。わたし、ちょうどその時ここ通りかかったの」
「まじで? それ怖くない?」
「どうかな。事故があったのって夕方くらいの時間でさ、ちょうどまわりが見えにくくなり始めた頃でね、どこから飛び出したのか子猫が道路の真ん中で震えてたの。そこに一台のトラックが走って来て、あ、危ないって目を瞑りそうになった時、男の人が飛び出してその猫助けようとしたんだよね」
「もしかして、それで事故?」
「うん。男の人が救急車で運ばれて、次の日の新聞見たら、事故のことが載ってて、その人亡くなっちゃったって」
「そうなんだ。なんかかわいそう」
その後、少しの間二人は目を瞑り、供えられた花に向かって手を合わせた。
「それで? 猫はどうなったの?」
「ん、無事だったよ。今うちにいる。すごく元気」
突然、重い鎖が外れた。
体がふわりと浮き上がり、ゆっくりと本来あるべき場所へと開放されていく。
立ち去ろうとしている二人の女子高生の笑顔とユリの鮮やかな青さを目の端に留めながら、僕は自分を包み込む明るく暖かな光へ向けて手をかざした。