幻想魔本『Storyteller』
夕方前の僅かな時間、僕は自分の部屋で書き物をする。
雑貨屋で紙の束を購入して、それにこの世界固有の神話、伝承、そういうものを、自分なりに調べて書き記している。書きやすさから、どことなく小説風になったのは仕方がない。
これまで羽ペンなんて持ったこともない僕は、最初の頃はすぐに紙をダメにした。
にじませたり、間違えたり、そんなミスを何度もやった。
せいぜいシャープペンシルとか、ボールペンとか、ああいうのしか持ったことがない人間にペン先を操れというのは無理があると思う。それしか無いから我慢するしかなかったけれど。
まぁ、これは僕だけじゃなく僕以外も直面した地味な壁だ。
真っ先に克服したのはガーネットとレインさん。克服を放棄したのはテッカイさん。工房で使う物は系統ごとに纏めて買うから、別に大丈夫ではあるけど……うん、もういいかな。
文字は日本語だった、少なくとも日本語に見えたし、通じた。
やっぱり言語問題が楽に片付くと、それだけで気分が向上するから不思議だな。僕はきっと外国では生きていけないのだろうとも思ったけど、英語とかできなかったし。
そんな日々を過ごす中、僕は自分に身についた『ある力』に気づいた。
植物について書かれた本を手にしていたら、いきなり花――半透明をした明らかに『幻』といったものだったけど、それが本から溢れかえって埋もれそうになった時だ。
本を変え、場所を変え、何度か試したら再現性があって。
あぁ、これは目の錯覚とか、そういうものじゃないんだなと理解した。
最初は絵本の上に、ほわんとしたホログラムのようなものを浮かべることしかできず、それすらも不安定で。ちょっとしたことで消えてしまったり、何かの数値が枯渇しそうなグロテスクなものに変化してしまったり。途中で心が折れそうになったことも、何回かある。
それでも続けたのは、ブルー達が言ってくれたからだ。
――そんなスキルは知らない、少なくともゲーム中にはなかった。召喚術とも違う。もしかするとこの世界に来たことで目覚めた、『語り部』固有の力かもしれない。
それから何ヶ月か経ったけど、未だにこれが何なのかは不明だ。
ただ、語り部、という言葉を考えるに、おそらくこれは『語り部』の力なのだろう。
データ上にあるだけはあったのか、それとも世界に合わせて変化したのか。
神様でもない僕には、そんなことはわからないけど。
これは、ものすごく意味のある発見だった。
ゲームにはなかったものが行える、と知った瞬間でもあったから。
■ □ ■
かりかり、と部屋の中にペン先が紙をひっかく音が響く。
僕が書き綴っているのは、この世界の伝承や神話、その登場人物に関すること。
この世界にある『物語』を調べて、自分なりに纏めて書いている。
その結果を少し読んでもらったブルー曰く、ゲーム中では少しも描かれていなかった話も多いそうだ。そんなに熱心に設定資料集を見たわけではない、と前置きしていたけれど。
彼女が言うには、ゲーム中にテキストなどで語られていた神話、あるいは伝承の多くは『聖女スノゥ・リア』にまつわるものなのだという。神に遣わされたとされる少女の物語だ。
僕はあまり把握していないのだけど、もしかすると彼女に関係していることがメインクエストなのかもしれない。ゲーム中に提示されていたなら、それなりに関係はあるだろうし。
その名は世襲なのか、常に聖女はこの帝国に存在しているという。
今もいる、ということなんだろう。
僕が調べて見つけた話は、過去の『聖女スノゥ・リア』に関するものらしい。
ひとまず『聖女スノゥ・リア』に関する調査はそこでやめて、それ以外を中心にいろいろと聞いて回って、今はメモを眺めつつ記憶を掘り返して文章にまとめている。
例えば、ファンタジーにはつきものである『属性』という概念。この世界には火や水、土と風といった四属性にとどまらず、ありとあらゆる属性とそれらを司る『精霊』がいる。
八百万の神々の如く、無数に存在する『精霊』にまつわる物語は数知れず。
その他にも、歴史に名を残した偉人も多い。
そういう物語を僕は集めて、こうして文字にしているのだ。
理由は簡単、僕の『召喚術』のため。
本を使って幻を生み出すことができると知った時から、少し考えていた。この『語り部』の力を『召喚術師』の方へ流用したら、もしかしたら幻ではないものを呼べるのではないかと。
ゲーム的なものも、この世界固有のものも、僕には使えないだろう。
契約対象のところまでたどりつける気がしないし、アイテムも手に入らない。システムというツールがない状態では、今までのようにスキルを鍛えながら上に行ける保証もない。
だから本から――たった一瞬、花弁一枚でも呼び出せたら。
そこから、何とかなるんじゃないかと思ったんだ。
結果から言うと、この目論見は成功した。
少しばかり加減がしにくくて面倒ではあるし、自分で書いてしっかりと頭に入った物語じゃないと意味が無いようだけど、ひとまずは簡単な『魔法のようなもの』なら呼び出せる。
さすがに物語の登場人物は呼び出せなかった。だけど彼女――昔いたとされる魔女が得意としていた、水を自在に操り好きな時に凍りつかせる、という魔法の『召喚』はできた。
物語を声に乗せて語り、文字を指でなぞり。
この世界を構成する彼らの、力の一欠片を呼び出す。
僕はみんなと並んで立つための、武器となる『魔法』を手に入れたのだ。
「ほれ、コーヒーブレイクなのだ」
そこに入ってきたのはブルー。
彼女の手には金属製のトレイと、その上にはカップが二つ。部屋の中にコーヒーの香りがふわりと満ちていく。僕は一度手を止めると、彼女からカップを受け取った。
「今日は何の話を書いているのだ?」
「えっと、第四都市から隣国への街道があるでしょ? あの近くにある森に住んでいるとされている『精霊』の話。いたずら好きで、近くを通る人間に魔法をかけて遊んでるんだって」
「ほほぅ」
詳しく聞こうなのだ、とブルーが壁際においてある椅子に座る。やっぱり『精霊術師』だからなんだろうと思うけど、彼女は精霊の話と聞けばすぐさまばくっと食いついてくる。
熱心に聞いてくれるから僕の方も、話し聞かせるのが楽しくて。
その日も夕方の開店準備を始めるギリギリまで、精霊談義に花を咲かせた。
世界を語り、魔法を紡ぐ。
僕は、『語り部』だ。