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木苺はわたしと犬のもの ~司書子さんとタンテイさん~ 作者:冬木洋子
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第一話 お祖母ちゃんの髪飾り事件(5)

 が、何も知らない反田さんは、容赦なく追求してきました。
「どうなんです? 今まで、好きになった人全員に自分から告白しました? それとも、自分からは告白しないで、相手からさせるよう仕向ける主義とか?」
 そんな追求は適当にかわせばいいのでしょうが、わたしには、そういう器用なことができません。思わずムキになって、本当のことを答えてしまいました。
「全員っていうほど大勢、好きになった人なんていないです。一人だけです」
 それを聞いた反田さんは、すっとんきょうな声を上げました。
「えっ、一人? 今までの人生で、好きになった人が一人だけ!? 付き合った人数じゃなくて、好きになった人が? その年になるまで? 本当に!?」
 『その年』って……。さりげなく失礼ですね。思わずむっとしました。そんなの、わたしの勝手です。たしかにわたしはいいトシですが、何歳になるまでに何人くらい好きにならなきゃいけないとか、そんな決まりでもあるっていうんですか? 何歳以上なら何人くらい好きになってなきゃ変だとか、そんな基準でもあるんですか?
 一生の中で好きになる人なんて、それが本当の真剣な想いであれば、一人で十分だと思うんです。本物の、真心からの恋であれば、一度で十分だと思うんです。たとえば、初恋の人と結ばれて、そのまま脇目もふらずに一生を添い遂げた人は、好きになった人が生涯に一人だけかもしれないけれど、それがおかしなことだとか、そういう人は不幸だとか、そんなことは、全くないですよね。むしろ、素晴らしい、得がたい幸運で、幸せなことのはずです。もちろん、人生はいろいろ、人はそれぞれだから、そういう本当の恋をする機会が一生に何度もある人もいるかもしれなくて、それはそれで別にいいけれど、好きになった人や付き合った人の数が多ければ多いほどいいとか、少ないとおかしいとか、そんなことは、全くないと思います!
 つい、声が尖りました。
「いけませんか?」
「いや、別に」
 反田さんは含み笑いをしています。やっぱり、わたしに恋愛経験が少ないのをバカにしていますね? いいです、もう……。わたしの恋愛歴なんて、反田さんには何にも関係ありませんから。
 反田さんは、ちょっと意地悪な笑みを浮かべて、決めつけるように言いました。
「で、その人には? 告白したんですか? できなかったんでしょう」
 絶対、できたはずないって決めつけてますね。まあ、そうですよね。わたしが今独身なのはわかってるんですから、ということはその恋は実らなかったのだろうと推測できるでしょう。でも、最終的に結婚に至っていないというだけじゃ、告白できなかったのかどうかはわかりませんよね。告白したけど振られたのかもしれないし、付き合ったけど別れたのかもしれないじゃないですか。たとえば中高校生の頃の初恋の人と、そのまま付き合い続けて、十年後とかに夫婦でいるってほうが、よっぽど珍しいはずです。普通は、大人になる前に、何らかの形で別れるでしょう。わたしだってそういうケースだったかもしれないのに、どうして告白しなかったんだと確信できるんでしょうか。反田さんはわたしを侮っていますね? わたしにはどうせ告白なんかできないだろうと思ってるんですね?
 ここで、胸を張って、『告白できました、両思いになれました』って、勝ち誇って言えたら溜飲が下がりそうですが……、嘘はつけません。そして、嘘はつかないでも適当にはぐらかせばいいのだというのは知っているのですが、わたし、何でもかんでも、ついつい本当のことを言ってしまうのです。
 だから、つい、ぽろりと言ってしまいました。
「それは、でも、告白できない、してはいけない事情があって……」
 ああ、わたし、なんで反田さんにこんな話をしているのでしょう。適当にはぐらかせばいいってわかってるのに、それができないわたしのバカ、バカ……。
 反田さんが、これ以上追求しないで聞き流す配慮を見せてくれたら……と内心で願いましたが、もちろん反田さんにそんなデリカシーはなく、容赦なく直球でズバッと切り込まれてしまいました。
「はあ。相手が妻帯者とか?」
 ぎくっとしたわたしを見て、反田さんは無造作に言いました。
「図星ですね。不倫の恋というヤツですか」
 その言葉に、思わず言い返していました。
「違います! 先生は、人倫に背くことなど何一つしていません!」
 わたしの、一生に一度の真実の恋の美しい想い出を、わたしと先生の清らかな師弟の絆を、事情も知らない他人に、そんな下世話な言葉で無造作に貶めて欲しくありません……。
「先生の名誉には、一点の曇りもありません! わたしの、完全に一方的な片想いだったんです。先生は、たぶん知ってたけど、知らないふりをしていてくださいました。そうすることで、ご自分も人の倫を守り、わたしにもそれを守らせてくださいました。先生には、奥様を裏切る気持ちは全くなかったと思うし、わたしも、先生に人の倫に背いてまで自分を振り向いてほしいだなんて、欠片ほども思っていませんでした。先生が、わたしなんかのために道を踏み外すことなんて、ちっとも望んでいませんでした。先生の奥様を悲しませたり、先生の幸せを壊すつもりなんか、全くありませんでした。たとえ相手が既婚者であっても、見返りを求めず恋する想いそのものに、罪はないと思います。相手が誰であろうと、人を想い、慕う気持ちそのものに、罪があるはずがないでしょう? だから、事情も知らずに不倫とか言わないでください……」
 一気にまくしたてて、ふと我に返ると、反田さんが、びっくりした顔で目をぱちくりさせていました。
「……すみません……」
 あっけにとられたように謝られて、自分の強弁が恥ずかしくなり、わたしも慌てて謝りました。
「ご、ごめんなさい!」
 わたしったら、こんな道端で、いったい何で、よりによって反田さんに向かってこんな話をしているのでしょうか……。いったいなぜ、こんな事態に……?
 わたしたちは、話しながら歩いているうちに、いつの間にか家の前まで来ていて、木戸の前で立ち話をしていたのでした。足元では、退屈したスノーウィとキャンディちゃんが、うろうろと垣根の匂いを嗅ぎまわったり、じゃれあったりしています。
 反田さんは、神妙な顔で、改まって頭を下げました。
「いえ、司書子さんが謝ることじゃないです。俺が無神経でした。失礼なことを言いました。ごめんなさい」
「いいえ、こちらこそ……」
 ああ、恥ずかしい、わたしったら……。
 自分で言うのもなんですが、わたし、元来おとなしいたちで、普段は、こんなふうに言い募るようなことは、あまりないんですが。なんでしょう、反田さんって、とても人当たりがよくて気安い雰囲気があるから、つい、つっかかっても大丈夫そうな気がしてしまうのでしょうか。
 とりあえず、今、いわゆる不倫の恋をしているわけではないことは弁明しておいたほうがいい気がして、一応言っておきました。
「あの、これ、昔の話なんです……。ほんの子供の頃の、淡い片想いの思い出話ですから」
「はあ。中学校くらいとか?」
 そうですよね、大学時代を『子供の頃』とは、あんまり言わないかもしれません。でも、今にして思えば、その頃のわたしは、ほんとうにまだ、ほんの子供だった、少女だったと思うのです。
「いえ、大学時代の恩師です。ゼミの担当教授だったんです」
 反田さんはわたしの出身大学も知らないのですから、ゼミの教授だと言っても、個人の特定はできないでしょう。しかも、先生が今でも母校で教鞭を取っていらっしゃるならまだしも、もう、十年も前に職員名簿から消えているのですから……。
「大学のゼミっていうと、二十一、二くらいですか。それが初恋とは、ずいぶん遅いですねえ。俺なんか、初恋は幼稚園の時ですよ! 可愛かったなあ、ゆうこ先生……」
「はあ……」
「うんうん、告白もできずに終わった淡い初恋の、美しい想い出かあ。青春だなあ……」
 あらためてそんなふうに言われると、なんだかあまりにも陳腐で、気恥ずかしいです。
「はい、まあ、そんなところです……」
 ついつい頬を赤らめてうなずくと、反田さんは、探るような視線を向けて来ました。他人の恋話に興味津々なのは年齢性別を問わないのでしょうか。
「で、その先生は、今、どうしているんですか? 恩師なら、年賀状のやり取りくらいはありますよね。同窓会とか、ゼミの教授ならOB会とかで、会う機会もあるんじゃないですか?」
 ああ、そんな機会があれば、どんなにいいか……!
 こみ上げた想いを抑えて、なるべく淡々と答えました。
「いえ。先生は、わたしの卒業前に、交通事故で亡くなりました」
 反田さんは、はっとしたように居住まいを正して、帽子を取って頭を下げました。
「すみません、悪いことを訊きました」
「いえ……。昔のことですから」
 ふたりともしばらく黙っていました。それから、反田さんが、ふいに言いました。反田さんにしては小さな声で。
「すみません。立ち入ったことをお訊きします。答えたくなかったら答えなくていいんですが、司書子さんは、今でもまだ、その人のことを想っている、と……?」
 ふと胸が詰まり、わたしは声を出せずに、ただ、こくりとうなずきました。何か言ったら、涙が出そうでした。もう十年も前のことなのに、先生はもうこの世にいないのに、わたしは、まだ、先生を忘れられずにいるのです……。
 わたしはもう、あの頃の世間知らずの少女ではなく、いいトシの大人ですけれど、わたしの中の、恋をする部分は、まだ、二十歳そこそこの女子学生のままなのかもしれません。あの頃から、時間が止まったままなのかも。
 反田さんは、ため息をつくみたいに、
「そうか……」と呟きました。静かな声で。
 ふと、反田さんにこの話を聞いてもらってよかったかも、と思いました。
 今まで親友にも祖母にも話せなかったことを、なんで、個人的に知り合っていくらもたたない、たいして親しいわけでもない反田さんに話してしまったんだろうと思いましたが、そういう反田さんだからこそ、話せたのかもしれません。学生時代のわたしのことも、先生のことも、何も知らない、何の関係もしがらみもない反田さんだからこそ。
 わたしはこの、ずっと誰にも言えずに胸に秘めてきた学生時代の秘密の恋のことを、本当は、誰かに聞いて欲しかったのかもしれません。わたしの胸の中の宝物を――大切に胸に抱いてきた、そして一生抱き続けていくつもりの美しい想い出を、その美しさを、誰かに誇りたかったのかもしれません。
 だから、思いを込めて宣言しました。
「わたしの、最初で最後の恋です」
「ああ……。なるほど」
 反田さんは、なぜだか微妙な顔をしました。学生時代の片想いを十年も引きずっているなんて、子供っぽいと思われたのでしょうか。けれど、それがわたしの真実です。真心です。他人にどう思われようとも……。
 唇を引き結んだわたしに、反田さんは首を傾げて言いました。
「……でもね、最初の恋っていうのはともかく、最後かどうかは、まだわからなくないですか?」
 そう言った反田さんの口調は遠慮がちで、思いやりに満ちて聞こえましたが、それでもわたしは思わずムキになって、ちょっと口調を強めてしまいました。
「わかります! わたし自身に、そのつもりがないからです! わたしは、もう、恋なんてしません。一生、先生の想い出だけでいいんです!」
 口に出してみたら、思った以上に、きつい口調でした。言ってるはしから、わたしはもう後悔していました。わたし、なんでこんなことで、反田さんに向かって声を荒げたりしているのでしょう。ほんとに、わたし、最近ちょっとおかしいです。そもそも、こんなことを人に話している時点ですでにおかしいんですが。
 反田さんは気圧されたように黙って、じっとわたしの顔を見ました。長いこと見られていて、なんだか居心地が悪くなってきた頃、ぽつりと言いました。
「そうですか。……素敵な方だったんですね」
 その声音が、目尻を下げて微笑んだ反田さんの表情が、染み入るように優しくて、そうしたら、はい、とうなずこうとした拍子に、さっきから堪えていた涙がぽろっと零れ落ちてしまいました。
「あ……」
 自分でもびっくりして慌てましたが、反田さんもびっくりしました。
「え、あ、わわわ、司書子さん! どどど、どうしたんですか? 大丈夫ですか!?」
「あ、ご、ごめんなさい、大丈夫です、なんでもないんです、やだ、わたしったら、ごめんなさい……」
 慌ててポケットからハンカチを取り出し、目元を拭って、ふと見ると、反田さんが目の前にご自分のハンカチを差し出してくれていました。わたしたちは向い合って同時に自分のポケットを探っていたようで、わたしのほうがハンカチを出すのが一瞬早かったらしいです。
「あー……その……」
 反田さんは、しばらく、困ったようにハンカチを差し出したままでいましたが、また、ごそごそとズボンのポケットにしまいこみました。
 反田さん……。ありがとうございます。でも、わたし、そのハンカチはあんまり使いたくなかったかもです……。ちらりと見えた反田さんのハンカチは、とてもしわくちゃで、なんだかあんまり清潔そうじゃない気がしたので……。反田さん、ごめんなさい。でも、お気遣いは嬉しいです……。
 どうしてもすぐには止まらない涙を自分のハンカチで押さえていると、反田さんは、
「あー……俺のせいですね。すみません、悲しいことを思い出させて……」と謝ってくれました。
 まだ目尻に残る涙を拭いながらも、なんとか微笑んで、弁明しました。
「いえ、反田さんのせいじゃありません。びっくりさせてごめんなさい。わたし、泣き虫なんです。どうしても治らなくて……。ほんと、お恥かしいです。だから、反田さんのせいではないので、お気にならさらず……。そもそも、反田さんにこんな話、するつもりなんかなかったんです。今のはここだけの話にしてくださいね。つまらないこと話しちゃってごめんなさい」
「いや。俺はその話、聞けて嬉しかったですよ。俺だけに打ち明けてくれたなんて、嬉しいじゃないですか」
 いえ、別に反田さんだから秘密を打ち明けたとかじゃなくて、ものの弾みで、ほんのなりゆきで、うっかり話しちゃっただけです……。ああ、なんでこんなことになっちゃったんだろう。消えてしまいたい。反田さんが聞き出し上手すぎるんです……。
 でも、まあ、昔のことなんだし。それに、反田さんは先生を知らないんだから、どこの誰の話ともわからないんだし、どっちみち、わたしの一方的な片想いだったんだから、もしどこの誰のことだってわかっても、先生の名誉を汚すことにはならないでしょう。それに、反田さんは、おしゃべり好きだけど、ここだけの話と言われたことをむやみに言いふらすような人ではないと思います。だから、冷静に考えてみれば、反田さんが先生とのことを知ったからといって、何の害もありません。……わたしが反田さんの前で泣いてしまって恥ずかしかったということを除けば。

 帰り際、反田さんはまた、垣根越しに手を伸ばして断りもなく木苺を一粒摘んでいきましたが、わたし、なんだか、反田さんに木苺を食べられることに、慣れてきてしまったような気がします。
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