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木苺はわたしと犬のもの ~司書子さんとタンテイさん~ 作者:冬木洋子
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第二話 ジギタリス殺犬未遂事件(15)

 夕方、訪ねてきた反田さんにケーキをお出しして、正造さんがフィナンシェをおまけしてくれた話をすると、反田さんは、まいったなあ、と笑い、
「で、司書子さん、よろしくお願いされてくれたんですか」と、楽しそうに言いました。
「はい」
「おお、嬉しいですね。では、今後ともよろしくお願いします」
「あ、こちらこそ……」
 わたしと反田さんは、ケーキのお皿とアイスティーのグラスを間に挟んで、深々と頭を下げ合いました。それから、自分たちのそんな姿がなんだかおかしくなって、わたしが小さく吹き出すと、反田さんも吹き出しました。

 ケーキは、反田さんが、全部半分こにしましょうと言ってくださって。
「司書子さん、実は全種類食べたいんでしょ?」と。
 見透かされてしまいました。食いしん坊がバレて、ちょっと恥ずかしいです。
「でも、一人で二つも三つも食えないですもんね。半分こすれば二人とも全種類食べられますよ。おお、俺って頭良いなあ!」
 本当に。なんて良い思いつきでしょう。だけど、チーズケーキの上に一つだけ乗ってるスミレの砂糖漬けはどうしましょう……と思っていると、それも反田さんに見透かされたようで、
「その、上に載ってる何か紫のは、司書子さん食べていいですよ」と、にこやかに言ってくださいました。反田さん、優しいです。
 スミレの砂糖漬けも、粉糖と同じで、別にそれ自体が特にすごく美味しいというものではないのですが、やっぱり、載ってると何か嬉しいし、なんだか食べたいんですよね。

 そのかわり、反田さんには、それぞれのケーキの少し大きめに切った方をあげました。三つ目のケーキ、ミルフィーユとレアチーズのどっちを買うかでずいぶん迷ったんですが、たまたまレアチーズにしておいてラッキーでした。ミルフィーユは半分に切り分け難いですから。

 半分こしたケーキを、三種類。それに、きんきんに冷やしたアイスティー。アイスティーには、おもてなし用に少し気取って、庭で摘んだミントの葉っぱを飾りました。
 ゆっくりと暮れてゆく夏の夕方、蚊取り線香がくゆる縁側には、さっき庭に水を撒いたこともあって少し涼しい風も立ちはじめました。食べたくて選んだケーキが三種類、全部食べられて幸せです。この際、夕ごはんがあまり食べられなくなっても構いません。おかずが残ったら、明日のお弁当に持っていけますから。フィナンシェは日持ちがするので、ひとつは反田さんに持って帰ってもらい、もうひとつは明日にでも、おやつに食べることにしましょう。

 ケーキを食べながら、反田さんに、今日の顛末を報告しました。
 話しながら、戦争に奪われたおじいさんの青春を思って、つい涙ぐみかけると、反田さんが、
「ほら、まただ」と、優しく言いました。「ほんとにメソ子さんだなあ」と。
 それを聞いて、わたしは、ちょっと泣き笑いになりました。
「うちのお祖母ちゃん――祖母は、ミサ子っていうんですけど、小さいころ、やっぱり、メソ子って呼ばれていたんですって。おじいさんが言ってました」

 そう、少女時代の祖母は、男勝りの活発な性格で、はきはきしたしっかりものだったけど、その反面、実は意外と泣き虫で、小さいころは近所の男の子たちにメソ子とからかわれたりしていたらしいのです。メソ子は、わたしだけじゃなかったのですね。祖母とわたしが同じあだ名で呼ばれたことがあるなんて、なんか、ちょっと嬉しいです。
 あの、いつも泰然と微笑んでいた祖母が、かつてはそんなに泣き虫だったのなら、わたしだって、いつか祖母のように、強くてやさしい、大きな人になれるのでしょうか――。
 いつか古い写真で見たおかっぱ頭の小さなミサ子ちゃんが、心の中で、笑ってうなずいてくれたような気がしました。

「そっかあ、司書子さんの泣き虫はおばあちゃんからの遺伝だったのか。じゃあ、なおさら、しょうがないよね」と、反田さんは目尻を下げて、甘やかすように微笑みました。
「それにしても、木原んちのじいさんと司書子さんのお祖母ちゃんに、そんな過去があったなんてね……」
「ねえ」
「俺、木原とは中学の頃から友達だし、家にじいさんばあさんがいるのは知ってたけど、じいさんが戦争行ってたなんて知らなかったなあ」
「おじいさん、ご家族にも戦争の話は一切しなかったそうですから、木原さんも詳しいことは知らなかったんじゃないでしょうか。知っていたって、たまたまきっかけがなければ、わざわざ友達にそんな話はしないでしょうし」
「ですよね。俺も木原も生まれる前の話なんだから」
「昔の話って、たまたまきっかけがなければ話題に昇らないままだったりしますよね。そんなわけで、おじいさんやおばあさんから、いろいろお話を聞けて、祖母の若い頃のことも聞けて、良かったです。それに、とっても素敵なご夫婦でした……。
 おじいさん、バアサンが怖いからこのことは黙っててくれって笑ってたけど、本当は、怖いからじゃなくて、奥様を大切に思っていて、その心を傷つけたくないから、この話を奥様の耳には入れたくなかったんですよね。そして、奥様は、全部知ってるけど、おじいさんのために、知らないことにしてあげているんですよね。お互いを思い遣りあっているのですね。
 ……でも、それが、ちょっと不思議でもあったんです。おじいさんは、奥様をとても愛していて、大切に思っていらっしゃるのに、うちの祖母のことも、ずっと忘れられずにいたんですよね。何十年も心に秘め続けて……。そういうことって、あるんでしょうか? 一人の人を想い続けながら、別の人も愛するなんて。わたしにはよくわかりません。男の人には、そういうことができるんですか? それとも、女の人でも、そういうことってあるんでしょうか」
「さあ……。俺は女にはなったことがないから、よくわからないですね」
 しれっと言われてしまいました。それはそうですよね。ごもっともです……。
 なんとなく、わたしより格段に人生の経験値が高そうで、わたしと違って人心の機微に敏い反田さんなら、人の心のことは何でもわかっていそうな気がしていましたが、いくら反田さんでも、さすがに、女性になったことはないですよね……。
「そ、そうですよね……」と、思わず口ごもったわたしを見て、反田さんは笑いました。
「でも、想像ですけどね、あるんじゃないかな。男とか女とか関係なく。たとえば司書子さんのお祖母ちゃんだって、亡くなった旦那さんをとても愛していたとしても、それはそれとして、若き日の正一さんの面影もずっと大切に心に秘めていた、なんてこともあるかもしれませんよ」

 そう言われて、突然、わたしにジギタリスの花言葉を教えてくれた時の祖母の言葉を思い出しました。
 ある日、夏の庭で、花盛りのジギタリスの前に佇んで、祖母は幼いわたしに、「この花にはね、思い出があるの」と言ったのです。
「どんな思い出かは、内緒よ」
 そう言いながら遠くを見やった眼差しを、不思議な微笑みを、その時の空の色や風の温度と一緒に、今、思い出しました。
 あの時、祖母は、正一さんのことを思い出していたのでしょうか……。
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