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木苺はわたしと犬のもの ~司書子さんとタンテイさん~ 作者:冬木洋子
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第二話 ジギタリス殺犬未遂事件(4)

 『指輪物語』の次の巻を持ってお店に戻る反田さんを、木戸のところまで見送りに出ようとして、スノーウィの小屋の前を通って、ぎょっとしました。
 小屋の向こう側に、スノーウィーが手足を投げ出して横ざまに倒れ、だらりと舌を出し、口の端からダラダラと泡ヨダレを流して喘いでいます!
「スノーウィ!? どうしたの!?」
 慌てて駆け寄り、頭を抱え起こしましたが、その目はわたしの方を見ようともせずにうつろに宙に据えられ、手足はつっぱり、身体は小刻みに痙攣しています。
 大変! 急病かしら! ついさっきまでは何ともなかったのに……。
 そういえば、さっき、スノーウィが何かヒンヒンと鼻を鳴らしてガサゴソ騒いでいるとは思ったのです。が、垣根の外を猫でも通りかかったか、スズメかもぐらでも見つけたのだろうと思い、気にしていませんでした。もしかしたら、わたしがのんびりお茶を飲んでいて気がつかない間に、さっきから苦しんでいたのかしら……!
 ああ、かわいそうなスノーウィ! すぐに気づいてあげなくて、ごめんね、ごめんね……。

「どうしました!? 大丈夫ですか?」
 反田さんも駆け寄ってきて、スノーウィの脇に心配そうに屈み込みます。
「反田さん、どうしましょう、スノーウィが、スノーウィが……!」
 わたしは動転してしまって、言葉が出てきません。ただ、スノーウィの頭を抱えておろおろするだけです。
「司書子さん、落ち着いて、落ち着いて」と反田さん。「どうしたんですか? 急にこうなってたんですか? 前から体調崩してました? 持病でもあるんですか? 何か心当たりは?」
 矢継ぎ早な問いに、涙声でなんとか答えました。
「いえ、何も……。さっきまでは元気だったんですが……。反田さん、どうしましょう、スノーウィが、スノーウィが死んじゃう……!」
 言ったとたん、涙が溢れ出しました。もう十五年、一緒に暮らしている大事な家族です。今となっては、わたしの、たった一人――じゃなくて一匹の、同居家族です。スノーウィが死んだら、わたし、この家に一人ぼっちです……!
「大丈夫、大丈夫、落ち着いて。死にやしませんよ。きっと、ちょっとした病気ですよ。大急ぎで動物病院に連れて行きましょう。かかりつけの病院、ありますか? あ、荻原動物病院? 近くですね。俺、一緒に行きますよ。さあ、診察券と財布を取ってきて。急いで!」
「は、はい!」
 わたしは飛び上がって家に駆け込みました。わたし、パニックを起こしてしまっていて、反田さんが言ってくださらなければ、動物病院に行くこともすぐには思いつかずに、ただ泣きながらオロオロしていたかもしれません。そんなことをしていたら、助かるものも助からなくなってしまいますね。そういうところ、わたし、本当にだめなんです……。今日、こんな時に、たまたま反田さんがいてくれて良かった……。

 でも、動物病院に連れて行くという行動が決まって、それだけで、なんだか少し落ち着くことができました。反田さんのおかげです。他人である反田さんが、スノーウィのために一緒に動物病院に来てくれるというのに、家族であるわたしがオロオロしているばかりではいけませんよね。わたしも、スノーウィのために、もう少し落ち着いて、しっかりしなくては……。

 診察券と財布を持って犬小屋に駆けつける途中、ふと、生け垣の根本のひとところに目が止まりました。何か見慣れないものが落ちています……。
 こんな緊急時に、そんな関係ないものを見ている暇はないのですが、なにか心にひっかかるものがあって、わたしは思わずそちらに駆け寄りました。
 生け垣の下に落ちていたものは、踏み荒らされたか振り回されたかでバラバラになりかけた花束――ジギタリスの花束でした。
 うちの庭のジギタリスではありません。間違いなくジギタリスではありますが、品種が違うのか、花の形が少し違うし――うちの庭のは昔ながらの品種で、かなり細長い筒状ですが、こちらはもう少し開き加減の釣鐘型で、見た目が若干華やかです――、色も、うちの庭には赤紫のものしかないのに、こちらは、白やピンクのも混ざっています。

 まさか、スノーウィは、これを……?

 スノーウィの鎖は、ぎりぎりでこの手前まで届くのです。よく見れば、生け垣の手前の地面には、スノーウィがこれを引き寄せようとしてガリガリやったのであろう爪の跡が……。
 たぶん、生け垣の向こう側か、あるいは生け垣の下の隙間にあった花束を、スノーウィが、いたずらしようとして、がんばって引き寄せたのです。そして、当然、咥えて振り回したりして遊んだでしょう。もしかすると、口に入った花や葉っぱのかけらを飲み込んだかもしれません。なんということでしょう……!
 自分の頭からざっと血の気が引く音が聞こえたような気がしました。

「反田さん! これ!」
 わたしは花束を指し示しました。
「これ、ここに落ちてたんですけど……ジギタリスです。この花、毒があるんです! まさかスノーウィは、これを食べたんじゃ……?」
 花束はぐしゃぐしゃになって、あちこち引きちぎられていて、スノーウィがそれを噛んだのか、いじりまわしたり踏んづけたりしただけなのか、見分けはつかないのですが、口に入った可能性は、十二分にあります。スノーウィは食い意地が張っていて、口に入るものは何でもかんでも食べてみようとしますし……。
「どうしましょう! 犬がこれを食べると死ぬこともあるって、お祖母ちゃんが……」
 また、涙が溢れてきました。
「大変だ! 司書子さん、泣いてる場合じゃありませんよ! それならなおのこと、大急ぎで病院に連れて行かなけりゃ!」
 そ、そうですね! こんな時こそ、泣いてる場合じゃありません!
 ぐったりとしたスノーウィの身体を反田さんが両手で抱え上げ、わたしたちは、大急ぎで荻原動物病院に向かいました。スノーウィ、十数キロはあるはずですけど……。反田さん、あまり大きくないけど力持ちなんですね。わたし一人だったら、歩けないスノーウィを動物病院に連れて行く事もできなかったでしょう。動物病院がすぐ近所で良かったです。

 反田さんの指示で、歩きながら携帯で動物病院に連絡しておきました。緊急でそちらに向かっているということ、それから、おおよその症状、ジギタリスを食べた可能性……。なるほど、そうしておけば、ついてからの診察がスムースですね。うちが大昔からお世話になっている動物病院は、元従軍獣医という噂の――いくらご高齢でもさすがにこれは眉唾だと思いますが――ヨボヨボのおじいさん先生がやっている古い病院で、もう宣伝もせず、古くからの付き合いの家の子だけ細々と診てくれているので、いつ行ってもたいていガラ空きですが、万一、今日に限って順番待ちの人がいても、状態を伝えておけば、その人が緊急でない場合は先に診てもらえるかもしれません。わたし一人だったら、こんなことも思いつかなかったです。反田さん、頼りになります。

「スノーウィ、もう少しよ、がんばって!」
「うわ、ずり落ちる、司書子さん、ちょっと尻の方、押さえてて」
「はい!」
 わたしもスノーウィのお尻を支えて、ふたりで頑張って動物病院までの短い道のりを急ぎました。

 病院では、老先生が、電話のおかげで診察の準備を整えて待っていてくれました。中毒の診断というのは原因の特定が非常に難しいのだそうで、ジギタリスのせいかどうかはわからないけれど、幸い、命にかかわるようなことはないだろうということでした。とりあえず口内の洗浄などの処置をした後、状態が落ち着いたので、しばらく病院で預かってもらって点滴を受けながら様子を見てもらうことになりました。派手なヨダレと痙攣でびっくりしてしまいましたが、口の中を洗ってもらったらヨダレもかなりおさまって、見かけほどの重症ではなかったらしく、少しほっとしました。病院は家のすぐ近くですから、何か異変があったらすぐに電話で連絡をくれるということで、わたしたちは、いったん家に戻ることになりました。

 家に戻ると、反田さんは、さっそく、さっきはゆっくり見ることができなかった問題の花束を検分しに生け垣のところに行き、しゃがみこみました。
「司書子さん、さっき、これ、触りました?」
「え……? いいえ。見ただけです」
「よかった。じゃあ、ちょっと、家から何か、これが入る大きさの透明のビニール袋を持ってきて下さい。御狩原市指定の燃せないゴミ袋でいいんじゃないかな? ありますよね?」
「えっ、あ、はい……」
 なんで燃せないゴミ袋なんでしょう。花束は生ごみだと思いますが……。でも、透明の袋がいいって言いましたよね。たしかに、燃せるゴミ袋は薄緑の色付き半透明で、燃せないゴミ袋は透明です。……反田さんに、何かお考えがあるのでしょう。
 なんだかよくわからないけど、家から御狩原市指定ゴミ袋を持ち出して戻ってくると、しかつめらしい顔で花束を眺めていた反田さんは、直接触らないように、裏返したゴミ袋の外側から手で掴んで、大仰に用心深げな手つきで花束を袋の中に収め、しっかりと口を結び合わせました。
 何をやっているのでしょう。もしかしたら、触るだけで毒だと思って用心しているのでしょうか。わたしは今朝もその花の花がらをさんざん手で摘みましたが……。
「あの……それ、触るだけなら毒は大丈夫ですよ?」というと、反田さんは、やけに難しい顔で言いました。
「そうじゃないです。俺たちの指紋を付けないためです」
「は? 指紋……?」
「そう。これには犯人の指紋が付いているかもしれませんからね。場合によっては証拠品として警察に提出できるように、念のため、保存しておきます。本当は一切触らず現場を保全しておくのが一番良いんですが、今すぐ警察を呼ぶのでなければ、それまでここで雨ざらしってわけにもいきませんから」
「は? 警察!?」
 犯人って……なんのことでしょう? この花束を道に落とした人のこと? ゴミのポイ捨ての犯人って意味?
 ぽかんと首を傾げていると、反田さんは、難しい顔のまま、わたしにぴしっと指先を突きつけました。
「司書子さん! なにぼんやりしてるんですか。これは事件ですよ!?」
「はあ?」
「殺犬未遂事件です! 誰かがスノーウィを毒殺しようとしたんです!」

 反田さん、探偵小説の読み過ぎで、妄想に取り憑かれちゃったんでしょうか……。

「ええっ……? そんな……。誰かがたまたま道に花束を落としていっただけじゃ……?」
 おそるおそる言い返してみましたが、反田さんは全く聞く耳持たない様子で決めつけます。
「誰が道に花束を落としたりするんです!」
「えっ……? ……えっと、お墓参りに行く途中のご近所の方とか……?」
「じゃあ、墓参りの人がたまたまここを通りかかった時に花束を落としたとして、落としっぱなしにして放って行きます? 小さなものじゃなし、落としたら気づくでしょうが。気づけば拾うでしょうが」
 たしかに、それはそうですね……。
「でも、なんでスノーウィを毒殺しようとなんて?」
「そこですよ! 動機は何でしょうね。司書子さん、何か心当たり、ありません?」
「えっ?」
「スノーウィに恨みを持つ人の犯行かもしれないでしょう。スノーウィが恨まれる心当たりはありませんか? 例えば人を噛んで怪我させたとか、よそのわんちゃんを噛んだとか、人ん家の前にうんこをしたとか、門柱におしっこをかけたとか……」
 スノーウィを侮辱されたような気がして、つい、抗議してしまいました。
「スノーウィはそんなことしません! うんちやおしっこも、わたしがちゃんと処理してます!」
「あ、すみません、それは失礼しました……」
 反田さんは慌てて謝りました。
「まあ、ちょっと、そこに座って、落ち着いていろいろ考えてみましょう」と、反田さんは、難しい顔のまま縁側を指し示し、花束入りのゴミ袋を持って歩き出しました。

「しかし、なんでジギタリスなんですかね? 犬を毒殺するなら、殺鼠剤入りの餌とか、もっと確実で目立たない手段が、いくらでもあるだろうに。花なんて犬が食べるかどうかわからないし、もし食べても必ず食べ残して目立つ証拠が残るけど、小さな肉団子とかに毒を仕込めば全部飲み込んじゃって気づかなかったかもしれないじゃないですか。それをわざわざ、こんなに目立つジギタリスの花束って……。ところで、ジギタリスの毒って、どんなもんなんですか? どれくらい強いんです?」
 それはわたしも気になっていました。スノーウィが本当にそれを食べたかもしれないなら、どの程度危険があるものなのか、どんな症状が出るのか、先ほどのスノーウィの症状はそれに合致するのか、治療したらすぐ直るのかなど……。
「すみません、わたしも良くは知らないんです。祖母が、毒があるとか、犬が食べると死ぬこともあると言っていたのを憶えていただけで……」
「なるほど。ちょっと、そこのパソコンで調べさせてもらっていいですか? 携帯じゃ見にくいから」と、反田さんは、雪見障子を開けっ放しの座敷を指さしました。縁側に続く座敷には、仏壇と、祖母と共有していたデスクトップ型のパソコンが置いてあって、パソコンは、そういえば朝から電源を入れっぱなしで、自動スリープモードになっています。
「えっ?」
 こんな際ですが、ちょっと慌てました。だって、たしかに、障子が開けっ放しなので座敷と縁側は一見ほぼ一体の状態ですが、わたしの心の中には、座敷と縁側の間には、目に見える距離以上の大きな隔たりが――高い高い障壁があることになっていたのです。わたしは一応、一人暮らしの女性なので、むやみに男性を家に上げてはいけないけれど、縁側は半公共スペースだからオーケーだということになっているのですから。だから、反田さんは、縁側には座ってもいいけど、座敷に上がってはいけないのです……。
 が、はっきりそんなことを言うのも、なんとなく気まずいし失礼な気が……。だって、疑ってるみたいだし……。別に、家に入れたからといって反田さんが良からぬ振る舞いに及ぶなんて思っているわけじゃなく、単にけじめの問題なのですが、全く他意のないであろう反田さんに意識過剰だと思われたり、疑ってると思われて気を悪くされたりしないかしら……。
 一瞬、そんなことを思って言い出すのをためらった間に、反田さんはさっさと靴を脱いで上がりこみ、そのまま、何のためらいもなく敷居をまたぎ越してしまいました。

 ……あのう……反田さん……。わたしの中では、そこには不可視の防衛ラインがあることになっていたんですが……。

 でも、そう思っていたのは、わたしだけだったんですね。反田さんにとっては、縁側と座敷の間は、見た目どおりの、ほんの一またぎの距離でしかなかったんですね……。

 まあ、いいです。いまさら言い出せませんし、通りから丸見えという点では、縁側も、縁側に面した開けっ放しの座敷も、たいして変わりありませんし。それに、見ず知らずの男性というわけじゃなく、ご近所の反田さんだし。そうですよ、そういえば今までだって、祖母にお線香を上げに来てくださったご近所の方は、老若男女問わず座敷にお通ししていたじゃないですか。
 それに、今はそんなことより、とにかくスノーウィが心配なので、何はさておき、ジギタリスの毒について検索、検索です! 反田さんの携帯もわたしも携帯も、スマホではなく旧来型の携帯なので、たしかに、検索結果が見づらいです。

 心の中でぶつぶつ言いわけしながら、反田さんの後について、わたしも縁側から座敷に上がりました。
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