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木苺はわたしと犬のもの ~司書子さんとタンテイさん~ 作者:冬木洋子
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第二話 ジギタリス殺犬未遂事件(1)

 夏の初めの晴れた朝。朝露の光る庭で、大きな帽子を被って、ジギタリスの花がらを摘みました。来年も良い花がたくさん咲くように。
 でも、一本だけは、花がらを摘まずに残しておくのです。こぼれ種で、また来年、新しい株が生えるよう。
 壁際に咲く背の高いジギタリスの群れは、わたしが覚えている限り昔から、毎年この場所で咲いています。ジギタリスは暑さに弱いので夏に枯れてしまうことも多いらしいのですが、うちの庭は、たまたま環境が合っているのでしょう。時には枯れる株もありますが、その分、こぼれ種で増える株もあり、長年、絶えることがありません。祖母もよく、こうして、青空の下でジギタリスの花がらを摘んでいたものです。天に向かってそびえ立つ長い茎に赤紫の筒状花をずらりとぶら下げたこの植物の、どこか謎めいた佇まいは、『この花は毒があるから、花や葉っぱを犬の鎖の届くところに捨てては駄目よ』という祖母の言葉とともに、子供の頃の初夏の思い出の中に、強く焼き付いています。
 いつもよりたいぶ花期が遅れた今年の花も、そろそろ終わりです。

 こうして庭の手入れをしていると、この家にとっての祖母の存在の大きさを、あらためて思います。
 一見無造作に草木が茂る自然な趣のこの庭の、その、無造作で自然に見える秩序は、祖母がたゆまず手を入れ続けることで保たれていたのだと。
 わたしだって子供のころから草取りのお手伝いはしていましたが、それはやっぱり、あくまでも『お手伝い』に過ぎなかったのです。祖母の没後、一人で庭を維持してみて、その本当の大変さがわかりました。
 庭のことだけではありません。それは、生活のすべてにわたって言えることでした。祖母がこの家を切り盛りしていた間、わたしはずっと、『子供』だったのだと、今になって、わかります。もう三十になろうとしていて、外ではそれなりに一人前の社会人だったのに、家では、祖母に守られ、世話される、子供の立場であったのだと。
 わたしは祖母にずいぶん家事を仕込んでもらったほうだと思うし、人の話を聞いていると、実家住まいの働く独身女性の中では家事を良く手伝っていたほうではないかと思うのですが、それでも、家事を『手伝う』ことと、自分で家のすべてを切り盛りしてゆくことは、まったく違うことだったのですね。生活のあらゆる面で、ふとした時に祖母の不在が思い知らされ、そのたびに、生前の祖母の偉大さを思い、我が身の頼りなさを顧みる毎日です。
 でも、わたしは、祖母の愛した、わたしも大好きなこの庭――祖母との思い出がいっぱいのこの庭を、そして、この家での慎ましく穏やかな暮らしを、ずっと、守りつづけていたいのです。少しずつでも成長して、いつか祖母のように、しっかりと暮らしの中に根を張って、ゆったりと生活を楽しめる人になりたいです。一人では、しかも働きながらでは、手の回らないことも多いから、全く同じとはいえず、庭に雑草が生えたり、家の手入れが行き届かなかったり、祖母がいた頃は毎年作っていた季節ごとの保存食も全部は作れなくて、もどかしい思いをすることもありますが……。

 だから、反田さんが草取りを手伝ってくれたことは、とてもありがたかったです。雑草にだって可愛い花が咲くものもあって、別に嫌いではないのですが、だからといってあんまり草ぼうぼうにしておいては、宿根の草花が雑草に負けて消えてしまいますから。
 しかも、反田さんは、このあいだ本を返しに来た時なんて、本とお茶のお礼にと、垣根の傷んだところを補修していってくれました。
 わたし、ずっと気にかかりながらも、自分では直せなくて、そのうち業者さんに頼むしかないかと思い、でも、あまりにもささいなことなので、そんなことで来てくれる業者さんがいるかしら、こんなささいなことを頼んだら面倒がられないかしら、もし来てくれても、すごくお金がかかったりするのでは……と、ずっと逡巡して、後回し後回しにしていたところだったのです。
 それを、反田さんは、ちょっと目についたから、と、ごく気軽に、あっと言う間にちゃちゃっと直してくださって。
 お口が上手くて足も速くて、その上、垣根も直せるなんて、反田さん、すごいです。わたし、もう、反田洋品店のほうに足を向けて寝られません。そういえば反田洋品店って、ここから見るとどっちの方角でしたっけ……?

 ジギタリスの花がらを摘み終えて、ちゃんとスノーウィの鎖の届かない場所にまとめると、帽子のつばを上げ、空を見上げました。梅雨開け十日の晴天の、白く見えるほど輝く青空に、朝から立派な入道雲が出ています。今日も暑くなりそうです。もう夏休みに入ったらしい小学生が、色とりどりのプールバッグを下げて、賑やかに路地を駆け抜けて行きました。

 子供たちと入れ替わりに、今度は郵便屋さんのバイクが走ってきて垣根の外で止まり、「おはようございます!」と元気に挨拶しながら郵便受けに手紙を入れて、また走り去っていきました。後ろ姿にねぎらいの言葉を返しながら、手紙を取りに、木戸の脇の郵便受けに向かいます。
 入っていたのは、どうでもいいダイレクトメールがいくつかと、それから、エアメールが一通。
 カナダで暮らす父からです。
 手紙が来たということは、何も用事がないということですね。何か用事があれば電子メールのほうがよっぽど速いし、父の近況ならSNSで、リアルタイムで知ることができます。でも、父は、特に用事がない時に限って、ときどき気まぐれにエアメールを送ってくるのです。だから、父からのエアメールは、いつも他愛のない内容です。
 長年、仕事であちこちの国を飛び回っていた父は、最後に赴任したカナダがよほど気に入ったらしく、昨年、定年を前に勤め先を早期退職し、仕事を通して知り合った現地の友人と一緒に、事業を起こしてしまいました。できれば永住権を取得し、向こうに骨を埋めるつもりらしいです。わたしもこちらに来ないかと誘ってくれたこともありますが、断りました。別に父と仲が悪いわけではないのですが、父には父の、わたしにはわたしの人生がありますから。

 学生時代、わたしの父が海外に赴任していると知った友人たちは、学生らしい海外への憧れから、とても羨ましがり、夏休みなどに遊びに行けばタダで長期間泊めてもらえて観光拠点にできるのではないか、せっかくだから今のうちに遊びに行けばいいのに、などとさんざん言ってきましたが、わたしは、移住や長期滞在はもちろん、夏休みの旅行としてすら、海外に行きたいとは思いませんでした。

 実はわたし、生まれてから一度も海外旅行に行ったことがありません。別に、旅行にも行けないほどずっと忙しかったわけでも、お金が無かったわけでも、飛行機が怖いわけでもないのですが。
 大学で所属していた児童文学研究会の有志が、夏休みにイギリス旅行を企画したことがありました。児童文学研究会の面々はたいていイギリス児童文学に憧れていましたから、その舞台の数々を訪ねる、いわば『イギリス児童文学巡りの旅』です。
 でも、わたしは、その旅行に、参加しませんでした。学生の分際でお金がかかりすぎるということもありましたが、わたしは、イギリスに行きたくなんか、なかったのです。
 多くの仲間たちと同じく、わたしもイギリス児童文学は好きでしたが、だからこそ、わたしは、イギリスに行きたいと思いませんでした。わたしにとって、イギリスは、物語の中の世界だったのです。わたしにとってのイギリスは、この世界のどこにもない、物語の中の国で、その、わたしの心の中のイギリスには、決して、飛行機なんかでは行かれないのです。そこは、本を読むことでしか行かれない別の世界――物語の中の夢の国なのです。けれど、もしも現実のイギリスを訪れてしまったら、イギリスはもう、わたしにとって、物語の中のおとぎの国ではなくなってしまいます。目や髪の色や話す言葉は違ってもわたしたちと同じ普通の人間が住んで、普通に生活している、ただの、現実の外国になってしまうのです。ケンジントン公園にピーター・パンはいなくて、ただその銅像があるだけで、パディントン駅でスーツケースを持ったクマと会えることもないし、湖水地方もウェールズもコーンウォールも、きっと美しいところなのでしょうが、普通の人たちが普通に暮らしているだけで、そこにピーター・ラビットはいないし、魔法使いもいないのです――たぶん。

 わたし、思うんですけど、小さな窓から眺めている時が、世界は一番広いのではないでしょうか。
 昔、小学校に上る前に住んでいた家の近くに、小さな雑木林がありました。『小さな雑木林』というのは、今だから思うことで、幼かった当時のわたしは、子供部屋の窓から見えるその林を、世界の果てまで広がるようなとても大きな深い森だと思い、『底なし森』と呼んでいました。そこにはオオカミやオバケや吸血鬼が潜んでいて、きっと小人や妖精も住んでいると思っていました。奥深くまで踏み込めば、妖精郷も見つかるのではないかと。
 そんな風に思いながら少し大きくなったわたしは、ある日、思い切って、世界の果てにも等しい『森の終わり』を探しにでかけようと決意し、大冒険に胸を躍らせながら、雑木林に足を踏み入れました。
 そして、ささやかな探検行の末に、たぶん何分もかからずに、もちろんオオカミとも吸血鬼とも遭遇することなく、妖精の国を見つけることもなく、その小さな林を縦断してしまったのでした。
 世界の果てだったはずの森の向こうには、家の近くにあるのと同じような、何の変哲もない小さな公園があって、その向こうには、家の周囲と何も変わらない、ありふれた住宅地が広がっていました。
 その時、わたしの世界から『底なし森』は無くなりました。わたしの中の無限の『底なし森』は、ただの、ありふれた小さな雑木林に変わってしまったのです。
 ――イギリスに旅行に行くことは、その、『底なし森』の探検と似ているような気が、わたしには、したのでした。
 わたしは、広い世界になんか、行きたくありません。この、小さな自分の庭で、垣根の内側で、子供部屋の窓から空を眺めるみたいに見知らぬ世界を夢見つつ、ひっそりと静かに生きていきたいです。……学生時代、友達にそう言ったら、誰も同意してくれなくて、みんな、『もったいないよ』とか、『世界を広げなよ』とか、『お父さんが海外にいるうちに一度は行って来たほうが絶対いいって』みたいなことしか言いませんでしたが。いいんです、わたしはわたしの道を行きます。

 それにしても、仕事で海外をさんざん渡り歩いた末に赴任先で作った現地の友達と起業してしてしまうほど行動的な父と、その血を分けた娘のわたしが、こんなに、対照的なまでに違うなんて、不思議なものですね。亡き母は内気な人だったそうですから、わたしはきっと、母に似たのでしょう。

 わたしと父は、性格も全く似ていないし、顔もあまり似ていません。そして、一緒に過ごした時間は、今までの全部を合わせても、とても短いです。それでも、わたしたちの父娘関係は、世間一般の父娘とはだいぶ違うかもしれないなりに、決して悪くはありませんでした。娘が父親を厭いがちな思春期に近くにいなかったのがかえって良かったのではないでしょうか。むしろ、直接顔を合わせる機会は少ないなりに、普通以上に仲の良い父娘だったかもしれません。
 子供の頃、父は、わたしにとって、誕生日やクリスマスには美しいカードと豪華なプレゼントを遠い外国から送ってくれる、サンタクロースのような人でした。しかも、そのサンタクロースは、ときどき、珍しい外国土産を山のように持って訪ねてきては、そのたびにわたしを動物園やら遊園地やら美術館やらと連れ回したり、華やかな繁華街や大きなデパートに連れて行って服でも本でも欲しいだけ買ってくれた上、普段は入らないようなちょっと高級なレストランで何でも好きなものを食べさせてくれたりするのでした。そのことを友達に話すと、他の子は毎日お父さんが家にいるというのに、わたしの父のことを逆に羨ましがられて、ちょっと得意な気分になったりもしました。
 学生時代には、父は、わたしにとって、学費を出してくれる『あしながおじさん』でした。しかも、ジュディのあしながおじさんと違って、わたしのあしながおじさんは、お手紙に、ちゃんと返事をくれました。父親と文通していると知ると、みんな、『ありえない』『考えられない』と驚きましたが、ずっと離れて暮らしてきたわたしたちにとっては、それは、わりと自然なことでした。父が今でもときどきエアメールを寄越すのは、たぶん、その頃の『文通』状態のなごりですね。
 そんなふうに、一緒に暮らせない分を埋め合わせるようにわたしを甘やかしてきた父ですが、わたしが大人になった今では、対等な大人同士として、とても良い関係を築けていると思っています。
 今日のエアメールには、なにが書いてあるのでしょうか。あとでゆっくり読んで、お返事を書きましょう。封筒をひっくりかえして裏を見たら、見覚えのない住所が。今までコンドミニアムのようなところに住んでいたはずですが、今度は一軒家なのでしょうか。いよいよ、あちらに落ち着くつもりなのですね……。
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