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木苺はわたしと犬のもの ~司書子さんとタンテイさん~ 作者:冬木洋子
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第一話 お祖母ちゃんの髪飾り事件(11)

 その時、急に、通りすがりの人に声をかけられました。
「あれっ? よお、タンテイ!」
 知らない男の人が、反田さんに向かって片手を上げています。
「おっ? おう」
 反田さんも片手を上げて挨拶を返します。反田さんのお知り合いのようなので、わたしも軽く目礼しておきました。
 男の人はわたしに目礼を返しながら近寄ってきて、反田さんに向かってニヤニヤと声を潜めました。近くにいますから、声を潜めたって、わたしにも十分聞こえますけれど。
「なんだよ、美人と一緒じゃん。彼女かぁ?」
「バカ、違ぇよ、失礼なこと言うなよ! 市立図書館の司書さんだよ!」
「……あ、そう」
 男の人は、腑に落ちない顔でした。それはそうですよね、反田さんが説明したのはわたしの職業であって、この人が問題にしていたのは、わたしと反田さんの関係とか、なんでわたしたちが一緒にいるのかということでしょうから。
 ただのご近所さんであるわたしと反田さんが、こうして二人きりで公園のベンチに並んで座っているのには、話せば長い事情があるわけですが、本当に話せば長くて、知らない人に説明するのは難しいです……。
 そう思いながら居心地悪く身動ぎして、もともとだいぶ離れていた反田さんとの間を、思わずもう少し開けました。
 男の人は改めてわたしに「ども」と会釈をすると、反田さんに向かって、「じゃな、タンテイ」と、わたしには「じゃ、ごゆっくり」と、言葉を残して去って行きました。

 会釈を返して男の人の後ろ姿を見送りながら、さっきから気になっていたことを反田さんに聞いてみました。
「あのぅ……。タンテイって……。反田さん、もしかして本当に探偵さんだったのですか?」
 もちろん反田さんのお家は洋品店ですが、そういえば、ご実家は洋品店だけどご本人は探偵事務所をやっているというようなことも、絶対にないとは限らないじゃないですか。私立探偵という職業は実際にあるんだし、洋品店も手伝いながら副業でとか……。
 けれど、反田さんは、ぷっと吹き出しました。
「まさか! うちが洋品店なの、知ってるでしょ? あだ名ですよ、あだ名。あいつは小学校からの同級生でね。当時からのあだ名です」
「あだ名、ですか。探偵小説が好きだったから?」
「それもあるけど、俺の名前。知ってるでしょ? 貞二って言うんです。タンダ・テイジで、タンテイ」
「ああ……」
「貞二なんて、ジジイみたいな名前ですよねぇ。いや、実際、母方の爺さんの名前から一文字貰って付けられたんですけどね。兄貴が父方の爺さんから一文字貰って孝一。で、俺が母方の爺さんから一文字貰って貞二。孝一のほうがまだ年寄り臭くなくて良かったなあ……」
「いえ、良いお名前だと思います!」
 わたしは思わず力説してしまいました。
「わたしの尊敬する翻訳家の方と、同じお名前です!」
「瀬田貞二、ですか?」
 びっくりしました。まさか反田さんの口からその名前が出てくるなんて!
「そうそう、そうです! 瀬田貞二さん! ご存知なんですか?」
「知ってますよぉ。『ナルニア国物語』の訳の人ですよね。俺、子供の頃、本が好きだったって言ったでしょう? 好きだったんですよ、ナルニア」
「まあ!」
 同志です! 同志と出会いました! 思わず興奮してしまいました。
 反田さんは懐かしそうに言います。
「子供の頃だから翻訳がどうとかは考えなかったけど、たまたま自分と同じ名前ってことで訳者の名前も印象に残ってましてね。あの翻訳が、今考えると、当時としても古くさくてねえ……。でも、今にして思えば、そこが良かったんですよね」
「そうそう、そうなんですよね! あの古めかしさのお陰で、いかにもファンタジーらしい、異世界らしい味わいがあって、独特の雰囲気が出てると思うんです!」
「たしかに。人の名前とか地名とかも、ちょっと独特でしたねえ。急に日本語の名前が出てきたりして」
「泥足ニガエモンとか、巨人ごろごろ八郎太とか?」
「そうそう、それそれ!! ごろごろ八郎太!」と、反田さんは手を打って笑いました。「何なんですかねえ、ゴロゴロ八郎太って。なんで外国のお話なのに八郎太なんだと変に思いながらも、好きでしたね、あの名前。なんか愉快な感じで」
「そうなんですよね、ピーターとかルーシーとかカスピアンとかのカタカナ名前に混じって、一人だけ、なぜか突然、八郎太……。あれはわたしも変だと思いましたけど、でも、わたしも好きでした」
「気が合いますね!」
「ほんとに! 『指輪物語』でも、そうですよね。『ストライダー』が『馳夫』とか。外国っぽい世界なのに、なぜ『馳夫』……って」
「それが、俺、実は『指輪物語』は読んでないんですよ」
「えっ、そうなんですか?」
「だって、あれ、長いでしょ? それに、ナルニアよりちょっと難しいじゃないですか。俺が本をよく読んでたのは小学校までなんですよね。中学で野球部入ったら、本読んでるヒマがなくなりましてね。それからもずっと、受験だの遊びだのバイトだの、いろんなことで忙しくて、そのまま大人になりまして。最近、たまたま図書館に行く機会があって、それ以来また本を読むようになって、図書館の棚に『指輪物語』があるのを通りがかりに見て、そういえば読んでないなとは思ったんですけど、あまりの分厚さに、借りても返却期限までに読み終われる自信がなくて、手が出ないままになってるんですよ」
「まあ……。延長もできますよ?」
「そうですけど、それも間に合わなかったら嫌だなあ、なんて」
 そうですよね……。図書館の本に返却期限があるのは仕方のないことですが、たしかに、忙しい社会人とっては、二週間とか四週間で返さなければならないというのは、ハードルが高い時もあるかもしれません。
 わたし、反田さんに、返却期限を気にせず、ゆっくり『指輪物語』の世界を楽しんでほしいです。
 だから、思わず言ってしまいました。
「だったら、わたしのを、お貸ししましょうか?」
「えっ?」
「あ、もし良かったら、ですけど……。それなら、返却期限はありませんから」
「えっ、いいんですか!?」
「ええ。わたし、文庫版とハードカバーと両方持ってますから、どっちか片方なら、ちょっとくらい長くお貸ししても全く差し支えありませんし」
「ほんとですか! 嬉しいなあ! ありがとうございます!」
 反田さんは、小躍りせんばかりに喜びました。そんなに喜んでもらえて、わたしもとても嬉しいです。

 わたし、ずっと、人から借りたものは必ず返すのが当たり前だと思っていたので、自分だけでなく誰でもそうすると思い込んでいて、ある時、友達に本を貸したら返ってこなかったことがとてもショックで――本が返ってこなかったことよりも、世の中には借りたものを返さない人がいるのだという事実がショックで、しかも、それを他の友達につい愚痴ったら、本を貸して戻ってくることを期待するほうが間違っている、貸した本はあげたものと思えと諭されて、さらに天地がひっくり返るような衝撃を受けて、以来、自分の本を人に貸すことは、教科書を忘れた友人に貸すこと以外、ほとんどなかったのです。でも、反田さんになら、貸してもいいです。反田さんは信用できる方だと思いますし、なんといっても、ナルニア好きの同志ですもの! また、あの悲しい体験以前のように、本好きの仲間と互いの好きな本の貸し借りをして、感想を語り合えたりしたら……。そうしたら、幸せかな……って。

「よしっ! 善は急げだ。今からお宅に借りに行っていいですか?」
 反田さんはすっかり勢い込んでいます。そんなに『指輪物語』が読みたかったのですね。急な話ですが、ここからだとわたしの家はどうせ反田さんの帰り道の途中になりますし、今のジュース代と先ほどのタクシー代の半分もお返ししないといけないので、たしかに、立ち寄ってもらうとちょうど良いかもしれません。
 ……そう思って了承しましたが、それだけでなく、わたし、今日のささやかな大冒険を共にした反田さんと、なんとなく、すぐには別れ難かったのかもしれません。反田さんとこのままここで別れたら、この特別な面白い一日が終わって、あとは代わり映えのないいつもの休日になってしまう――それが、ちょっと寂しい気がしたのかも。
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