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あたしは悪くないもん
作:猫満月



第84話 先輩 後輩


棗と涙が出会ってから、数週間の月日が経った。

「あぁもう……っうざいんだよ!」

大声をあげて屋上の扉を蹴り飛ばし、いつものように、涙は屋上の柵に手をかけて息を吸い込んだ。

「全員死ね! ばーか!」

涙はあの日から毎日こうして屋上に足を運んでいた。
クラスメイトからの嫌がらせは終わらない。そんな日々に、流石の涙も少しだけ精神的にまいっていた。

「ふざけんな……、あたしが何したっていうのよ。どうでもいいじゃない。嫌な人間はいなくなるべきなのよ。あたしは間違ってなんかない……!」

ぶつぶつとそんなことを口に出しながら、両手をぎゅっとかたく握り締める。
その拳で柵を殴るとがしゃんと音がして、じんわり痛みを感じた。

その時。背後で微かな気配を感じて、涙はゆっくりと振り返った。
隠れていた人物は、涙と目が合うと少し恥ずかしそうに舌を出した。

「何よ、あんた。今日も来てたの?」

えへへ、と頭を掻きながら出てきたのは、棗だった。

「バレました?」
「バレるも何も、隠れるの下手すぎるのよ。すぐわかるわ」
「え、ほんとですか? 今日はバレないように隠れたつもりだったのになぁ」

無邪気に笑い声をあげる棗。まるで子供のようなその笑顔に、涙はいつの間にか心を癒されるようになっていた。

「あ! そうだ。先輩これ飲みませんか?」

棗から笑顔で手渡されたのはホットココアだった。自販機から買ったばかりらしく、まだ十分温かい。

「うん、飲む。ちょうど喉渇いてたの」

それを受け取り、涙は缶の蓋を開けた。
火傷しないように注意しながら、ゆっくりと中の液体を口へ流し入れる。
甘い香りと味が口の中に広がり、とても幸せな気持ちになった。

「今日もすごかったですね、先輩の大声」

いつの間にやら隣に腰掛けた棗が、そう言って笑った。
涙は少し顔を赤らめ、口を尖らせて棗を軽く睨んだ。

「何よ。あんた、また聞いてたわけ?」
「そりゃあ聞こえますよ、あんな大声で叫んでたら」

1階の教室まで聞こえてんじゃないですか、と冗談っぽく笑う棗。
その横顔を見つめながら、涙はもういちどココアを啜った。

「……そういえば、この間数学の授業にクラスの奴が―――……」

くだらない話を始めるのは、大体棗からだ。涙はいつも黙ってその話に耳を傾けた。
他愛のない話だが、棗の話は聞いているだけで不思議とワクワクした気分になる。

毎日こうして顔を合わせて話をしているからだろうか?
少しずつ、しかし確実に涙は棗に心を開き始めていた。

「でね、その時そいつってば、」
「……ねぇ、棗」

棗の話を遮って、涙は口を開いた。涙の真剣な表情と口調に、棗は少し驚いたようだった。
驚いたような顔をしたまま、棗は涙に向かって首を傾げてみせる。

「はい、……何ですか?」
「あたしが毎日授業サボって屋上にきて、大声で怒鳴ってる理由、知ってる?」

棗は暫し考え込むように押し黙った後、首を真横に振った。

「知りません」

涙はごくりと唾をのみこんで、ココアの缶を両手で包み込んだ。
……棗には自分の弱さを曝け出すべきだ。だって、きっと棗は自分を護ってくれるはずだから。何故か涙はそう確信していた。
涙は決意して顔をあげ、真っ直ぐに棗の目を見つめた。

「あたしね、クラス全員からいじめられてるの」

棗はそれを聞いた瞬間、ココアの缶を地面に落とした。缶は転がり、地面に茶色いシミをつくっていく。

「……え、え! そ、それ、ほんとですか?」
「勿論、本当よ。今日もノートにゴキブリの死体挟まれててさぁ……。この間なんて家にあたし宛の手紙が届いて、その中から虫の死骸がいっぱい出てきたの。流石に嫌になっちゃった。あーあ、あいつらみんな死なないかしら。そうしたらあたし、楽になれるのに」

最後の方は涙声になってしまった。項垂れたままココアの缶を見下ろす涙。
暫くの間、沈黙が続いた。授業の始まりを告げるチャイムが鳴っている。
涙は次の授業に出るつもりはなかったので、さほど気にも留めなかったが。

不意に、棗がぴんと背筋を伸ばした。
恐る恐ると言った風に涙の顔を覗きこんでくる。

「あの。先輩、それって…原因とかは無いんですか?」

思いもよらなかった一言に、涙の目が大きく見開かれる。
慰めてくれるかと思ったのに……と、涙は少し気分を害した。頬を軽く膨らませながら尋ね返す。

「何よそれ。どういう意味?」

これは俺の勝手な推測なんですけど、と棗は地面に転がったココアの缶を拾い上げながらこう言った。

「いじめって、何か原因が無かったら起こらないと思うんですよ。たとえば、先輩が最初に誰かをいじめていたとか……そういうことはなかったんですか?」
「……そ、それは……」

思わずくちごもってしまった涙に、畳み掛けるように棗の追求は続く。

「先輩は本当に何もしてないんですか? 先輩は何も悪くないんですか?」
「……っ」
「もし何か思い当たることがあるのなら、クラスの人にきちんと謝るべきだと思います」

棗は何も知らないはずなのに、痛いところをピンポイントで突いてくる。
涙はいきおいよく立ち上がると、耳を塞ぐ真似をしながら棗を怒鳴りつけた。

「うるさいうるさいうるさい! 調子にのるんじゃないわよ! あんたには関係ないし、あたしは何も悪くない! 悪いのは全部向こうなんだから、あたしが謝ったりする必要なんかない!」

涙はそのまま逃げるように屋上を後にした。
階段を駆け下り、息を荒げながら近くのトイレに駆け込む。

腹が立った。悲しかった。棗なら分かってくれると思っていたのに。
なんで怒られなければいけないのだろう? どうして自分が。

注意されることや、悪者扱いされることにはもう慣れてしまっていたし、どうでもよくなっていた。
しかし、注意された相手が棗だっただけで、こんなにも腹が立つ。
棗には悪者扱いされたくなかった。味方でいてほしかった。大丈夫ですよ、と励ましてほしかった。

その時、涙はふと思い出した。この感情は、あの時と同じものだ。
美衣子をいじめていた時に雪山先輩に怒られたときと、同じ感情。

好きな人に注意されたり怒られたりすると、なんだかすこし悔しくて、すごく悲しくて、大声で泣きたくなる。
一気に自分の味方がいなくなってしまったような気持ちになる。―――今の涙が感じているのは、それと全く同じ気持ちだった。

涙はハッと息をのみ、トイレの鏡に映る自分の顔を見つめた。
心臓が早鐘のように激しく脈打つ。涙はそのまま目を閉じ、小さく呟いた。

「あたし、棗の事が好きなんだ……」












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