第81話 酷い女
涙がそう言い放った瞬間、一瞬だけ教室内が静まり返った。
しかし、すぐに瑠夏が大きく目を見開いて、震える声でこう呟いた。
「酷いよ、涙」
教室内の全員の視線が、今度は瑠夏に向いた。瑠夏の頬に大粒の涙が流れ落ちていく。
「美衣子は、最後まで頑張ってたよ。負けないって、言ってた。涙と、また友達になりたいって言ってた。……あんなに、酷い事されたのに。あたしたちともまた友達に戻ってくれたよ。……あんなに、酷い事したのに」
涙は何も答えずに、静かに腕組みをしたまま仁王立ちになっている。
瑠夏は更に涙の方へ詰め寄り、涙声で続けた。
「美衣子は、雪山先輩と付き合ってたこともあたしたちに話そうとしてたはずよ。でも、それを邪魔してたのは、他でもない、あたしたちなんだよ! あたしたちは美衣子の話を聞こうともしなかった。……親友、だったのに……」
涙は、フンとそっぽを向くと、片手で肩にかかった髪の毛を払いのけながら、奪い返した自分の財布を開けて中身を確認し始めた。
「ねぇ、涙! なんか言ってよ……! 涙が美衣子の情報を、ストーカーに売ってたの? 雪山先輩が殺されたのも、マンションに忍び込ませたのも全部、涙の情報のせいだったの? どうしてそこまでする必要があったのよ……。なんで、どうして美衣子を、あんなになるまで痛めつけたのよ!」
瑠夏はそれ以上言葉を紡ぐことができず、その場に泣き崩れた。
涙は財布を再び胸ポケットに入れて、そっと瑠夏を見下ろして唇を噛み、暫くの間潤んだ目を瑠夏に向けた。声を震わせながら、瑠夏の名前を呼ぶ。
「……瑠夏……」
「涙……」
何も言わず、見つめ合う2人。
不意に、涙が口の端を吊り上げて笑った。
「言いたいことは、それだけ?」
次の瞬間、涙は瑠夏の腕を片足で力一杯踏みつけた。
グキッ、という痛々しい音が周囲の人の耳にまで届いた。
瑠夏は大きな悲鳴を上げ、その場でのた打ち回る。慌てて京子と奈々が瑠夏の方へと駆け寄っていった。
「瑠夏! だ、大丈夫? しっかりして!」
「涙さん……酷いです! なんてことするんですか!」
瑠夏は腕を押さえて泣きじゃくっている。見たところ折れてはいないようだけれど、腕は痛々しく赤く腫れあがってしまっていた。
涙は瑠夏たちに背を向けて歩き出し、教室の真ん中で両手を広げ、叫んだ。
「あんたたち、綺麗ごとばっかりでウザいのよ! あたしはもう雪山なんてどうでも良かったけど、強いて言えば楽しかったの。美衣子が泣いて許しを請うさまを上から見下してるあの感じが、なんともいえない快感だった!」
教室内が、涙のその言葉で凍りついた。涙たち4人だけでなく、クラス中にいた女子、男子全員。
今まで一度も話に興味を示す事が無かったクラスメイト達も、その瞬間、確かに自分達の話を止めて涙を見た。
涙はその空気にうろたえるどころか、逆に嬉しそうに笑いながら微笑んだ。
「ふふ……っ。あんたたちねぇ、死んだ奴の事を、今更あーだこーだってうるさいのよね。あんな奴どうでも良いじゃない。痛みも何も感じない、ただの人形だったんだから」
信じられない台詞だった。
本当に血の通った人間なのかと疑いたくなるほどに。
他のクラスメイトの目には、確かに美衣子は1人の人間として映っていた。
走るし、歩くし、怒る時もあるし、泣く時もあるし、大声で笑うときもあった。
手を繋げば温もりも伝わるし、言葉を交わして温かい気持ちになれることもあった。
しかし、涙の目には、美衣子はただの人形として映っていたのだ。
涙が少し弄れば、彼女の掌でくるくると踊り狂う、ただの人形。
その人形をほんの少し強く弄ったら、涙の掌の上で人形は壊れてしまった。
涙にとって、美衣子の死はただそれだけの事だった。
「……ちょ、ちょっと待って。それってさ、」
誰かが声を震わせながら呟いた。
4人の中の誰でもない、“傍観者”のクラスメイトの女子だった。
彼女は、唇をわなわなと震わせ、ごくりと唾を飲み込んだ。
「それってもしかして、美衣子ちゃんが死んだのは……涙ちゃんのせいってことなの?」
涙は鼻で彼女を嘲笑った。
「は? 部外者は黙っててくれる? しかも、殺したとか人聞き悪いわねぇ……あいつが勝手に壊れただけよ」
その言葉を聞いたクラスメイトの男子の1人が、慌てて涙の方へ駆け寄って、怒りを露にして大声をあげた。
「何言ってんだよ、葉山! 俺達は全員、お前が春風に嫌がらせしてたの、ちゃんと見てたんだぜ?」
「あはっ、確かに見てたかもね? それじゃあ聞くけどさ……あんたらは、それを見てもあたしを止めなかったよね。注意しなかったよね。知らないとは言わせない。傍観者も共犯者なのよ!つまり、あんたたちもあたしの共犯って事ね」
男子は、うっ、と呻いて、悔しそうに俯いた。その姿を見た涙は体を仰け反らせて大笑いする。
「ほらね、そういわれれば何も言い返せなくなるでしょ? あんたたちみたいなのが1番痛いのよね。今まで見て見ぬフリばかりしてきたくせに、突然正義のヒーローぶる。ばっかじゃないの?」
涙は勝ち誇ったように笑みを浮かべたままで男子生徒を睨みつけると、すぐさま自分の席に着いた。
「さ、授業始まるわよ、みんな……」
机の中に手を入れた涙は、怪訝な顔をして眉を顰めた。昨日机の中に入れておいたはずの、教科書やノートが無いのだ。
「……」
涙は瑠夏の方を睨み、静かに立ち上がった。
「ねぇ、どうせあんたたちでしょ? 返しなさいよ、あたしの……」
瑠夏はまだ腕の痛みで涙目になっている。そんな瑠夏の代わりに、京子が涙に向かって何かを投げつけてきた。
それは涙の頬に当たって、砕け散った。……ガラスでできたビンのようなものだった。
ビンの中には細切れになった紙屑が入っていた。言うまでも無く、涙の教科書の変わり果てた姿だ。
「忌々しい」
涙は静かにそう呟くと、足でその破片を花瓶の破片の隣へ追いやり、再び席に座りなおして頬杖をついた。
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