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私は隣の田中です 作者:秋月 忍

第二章 血の芸術

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私の似顔絵

 
「あの……取りあえず逃げませんから、手を離してください」
 私はきつく握りしめられた手を離してくれるよう、男に頼んだ。
 私の絵をかきたいと言った男の目はとても真摯で、無下にできない情熱を感じさせた。
 硬直から解けた如月が、私を庇うように、私の横に進み出る。
「え? ああ、すみません」
 男は、我に返ったように、慌てて私の手を離し、頭を下げた。
ひとしさん。ナンパにしては、大胆すぎるわ」
 美女が呆れたように男の手を引いた。
「ごめんなさいね、このひと、絵のことになると、周りが見えなくなるの」
 彼女はそう言って、艶然と微笑んだ。女の私が見ても、ぞくりとするほど色っぽい女性だ。
「画家さん、なのですか?」
 私がそう言うと、男はこくりと頭を下げた。
「まだ、卵みたいなものですけど。このホテルに幾つか絵を置かせてもらっている、子門仁しもん ひとしといいます」
「仁さんの絵は独特で、評判がとても良いんですの。そこの壁の絵も、仁さんの絵なのよ」
 女性は誇らしげにそう言った。
「え?」
「そうでしたか。彼女はその絵が気に入ったようでした。お会いできて光栄です」
 如月は子門に頭を下げながら、さりげなく、私の腰を引いて自分の傍へと引き寄せた。
 子門を警戒しての業務上の行動であろうが、私はドキリとした。
 如月が子門を警戒する理由は、山ほどある。まず、原作知識によれば、殺人事件を起こすのは、名前は違うけれど、画家だ。それに、彼が私の生家そっくりな絵を描いているというのは、偶然かもしれないが『覗き屋』技能の持ち主の可能性もある。
 もっとも、『覗き屋』技能を持った人間が、危険というわけではない。彼らの多くはその技能を行使している自覚もないまま生きていくのだという。
 一番、変なのは、彼が私に興味を持ったことだ。凡庸な私に魅かれるということは考えられず。ということは、彼は何らかの形で霊的魅力補正を受けているのかもしれない。もっとも、目の前の彼は、妖魔の類には見えないけれど。
「それは、嬉しいですね。貴女は、僕の心象風景にぴったりなイメージだったので……たいへん失礼をいたしました」
 熱を帯びた目で私を見つめながら、子門はそう言った。決して、二枚目ではないけれど、嫌味のない人好きのする感じの男性だ。枠にはまらない印象はあるものの、不誠実には見えない。
「ラフでいいので。十五分いただけませんか?」
 男の人に、こんなに真摯で情熱的な目で見つめられたことはない。
 どうしよう? と思い、如月に助けを求めるように見上げると、如月は私に頷いた。
「レストランの方で、予約時間をずらして頂けるのであれば、十五分だけ、彼女をお貸しします」
 如月はそう言った。口元は笑っているけど、目は笑っていない。警戒しているのを隠そうともしていない。
 今の口調だと、私は如月の所有物のようだ。たぶん、恋人設定でいく、ということなのだろう。
 戸惑いは感じるものの、如月は仕事でやっているのだ。私は、そのことを理解しておかないといけない。
「よかったわねえ、仁さん。レストランには、私が話しておくわ。ロビーでいいかしら?」
「はい。申し訳ございません、お嬢様」
 子門は美女に頭を下げる。態度から見て、この美女は彼のパトロンかもしれない。
「ああ、申し遅れました。私は、月島薫と申します。このホテルの営業を担当しております」
 美女は優雅に頭を下げ、艶やかな笑みを如月に投げかける。
――このひとが、月島薫。
 頭に描いていたより、妖艶な感じの女性だった。
 大きな黒い瞳は、濡れたようにうるんでいて、唇はぽってりとして艶やかだ。
 私は如月の顔をそっと見た。彼の目は、食い入るように、彼女を見ている。
――ああ、やっぱり。
 これが、恋に落ちる瞬間なのかな……と、ふと思う。
「こちらへ、どうぞ」
 彼女にロビーに案内されながら、もう少し魔法が長く続いてほしかったな、と思いながら、私はほぼ無意識に如月のそでをそっと握りしめた。



「舞さんの、ご生家に似ていたのですか」
 子門は手を休めず、私に話しかける。
 ロビーのソファに、ただ座って、私は、「はい」と頷いた。
 正確には、田中舞の生家ではなく、鈴木麻衣の生家であるが……そんなことはどうでもよいことだ。
「あの家は、僕、昔から夢で何回も見てね。今でも時折、見るんですよ」
 楽しそうに、子門がそう言った。
 彼の見ているものが、私の生家であるなら……彼の覗き屋の時間軸は私にとっての遠い過去なのだろう。
「何度も、あの女の子に声をかけようとして……目が覚める」
 くすり、と子門は笑った。
 私は、どう答えてよいかわからず、曖昧に笑みを返しながら、目の前のアイスティーに口をつけた。
 如月は、私と少し離れたソファで、月島薫と談笑している。
 離れた場所に座ったのは、子門の意向だが、私もその方がありがたかった。
 その時が来たら、デバガメよろしく、如月の恋を眺めるつもりだったはずなのに、いざとなると、腰が引ける。
「先ほどのお嬢様は、子門さんのパトロンさんですか?」
 私は、失礼がないように気をつけながら、訊ねた。
「そうです。正確には、お嬢さんのお父上が、ですけど」
 さらさらと、手が動いている。時折、スケッチブックのページをめくる仕草をしているところを見ると、短時間で、何枚もの絵を描いているらしい。
「少し前から、目をかけていただいていてね。今は、このホールに飾る絵を依頼されているのです」
「それは……」
 つい、原作の絵のことを思い出してしまう。原作でホールに飾ってあったのは、たしか月下美人の花の絵だ。
「月の女神と、精霊たちという依頼を受けていましてね。お嬢様をモデルにして描いているのですよ」
 ニコリ、と子門は笑った。とても誇らしげだ。お嬢様、という言葉に憧憬を感じた。
――そういえば、亜門はお嬢様に憧れて、神女の絵を描いたのだ。
 不吉な予感を感じながらも、私は首を振る。目の前の子門は、とても朗らかで、凶行に走るような陰りを感じない。
「出来上がりました。ご覧になりますか?」
「ええ」
 私は、差し出されたスケッチブックを受け取った。
 柔らかな筆致で描かれている。
「随分、綺麗に描いていただいて恐縮です」
 そこに描かれた、田中舞は、とても表情豊かで、本人より美しく描かれていた。
「……あなたの美しさは、たぶん、写真では表現できません」
 子門はくすりとそう笑った。どういう意味だろう。
「終わったのか?」
 如月が、立ち上がって、私の傍らに月島薫とともにやってきた。
「はい。子門さんは、美化するのがお上手のようです」
 私がそう言うと、如月は、私からスケッチブックを受け取る。
「よく……かけている。画家というのはスゴイな」
 如月は感心したように食い入るように絵を見ている。それを月島薫は、複雑そうな表情で眺めていた。
「当社比で2.5倍は、美人になっていると思うのですが」
 私がそう言うと、子門は首を振った。
「舞さんの彼氏は、そう思ってないと思うよ。あなたはなんとういうか、雰囲気がとても良い人だ」
 私の彼氏? 
 思わず首を傾げる。
「一枚、いただくことは出来ないか?」
 如月が、子門に向かってそう言った。
「よろしいですよ。デートのお時間をお邪魔したお詫びに、差し上げます」
 子門は、私の描かれたページを一枚、スケッチブックから切り取ると、如月に差し出した。如月は丁寧にそれを受け取る。
「よろしければ、アトリエにも遊びに来て下さい……よろしいですよね、お嬢様?」
「ええ。ぜひ、お二人でいらっしゃって」
 月島薫が満面の笑みでそう答える。さりげなく「お二人で」って言ったなあ、と思う。
「アトリエは、月島家の離れにあるんです。おいでになるときはこちらにご連絡を」
 子門は名刺を取り出して、私に渡そうとしたが、私が手を伸ばす前に、如月が名刺を奪うかのように受け取る。
 それを見て、子門は「とって食いはしませんよ」とニヤッと笑った。
「もしよろしかったら、お近づきの印に、お食事の後、お泊りになりません?」
 月島薫は、艶然と微笑みながらそう言った。なんとなく、如月にしな垂れかかっているような気がするのは、私の先入観なのだろうか。
「仁さんも、もっと舞さんとお話したいようですし」
私は咄嗟に如月の顔を見た。如月は、月島薫の顔を、じっと見つめている。
「ごめんなさい。せっかくですが、私は……明日、会社がありますので」
 私は、丁寧に頭を下げた。彼女を見つめる如月を、これ以上見たくなかった。
 如月は、私の方に視線を向け、少しだけ苦笑したようだった。苦笑の意味は、つまり。私への遠慮だろう。
「アトリエの方には、一度寄らせていただきます。今日のところは、これで」
 如月は私の腕を引くようにそう言うと、私をエレベータへと誘った。
 去り際に、月島の鋭い視線が私に向けられた気がした。なんだか、ぞくり、として振り返ると、先ほどの視線は勘違いだったかのような、柔らかな笑みを返された。
――でも。ゲストヒロイン様に、嫌われちゃったかな。
 私は思わず自嘲する。彼女の気持ちは、痛いほどわかる。
 ただでさえ、パトロンをしている画家の子門が、私のような凡庸な人間に興味を示して面白くないだろうに、丁寧なお誘いを拒絶されたのだ。
 エレベータに乗り、如月と二人きりになった。再び、息苦しいような沈黙が訪れる。
 私は、じっと考え込んだ表情の如月を見上げた。
「如月さんは、泊まりたかったですか?」
 ポツリ、と呟くように尋ねると、如月の顔がギクリとしたようにゆがみ、顔が赤くなった。
「いや、その……」
 珍しく言葉を濁しながら、咳払いをする。
「……私、一人でも帰れますよ?」
 勇気を持って、提案してみる。
「は?」
 如月は、私の言葉の意味がわからなかったようで、私の顔を見なおした。
「えっと」
 私は、何となく気まずくなって、下を向く。
「如月さんはお仕事なのですし、そのほうが良いなら、私はタクシーを拾って帰ります」
「……どうして、そういう発想が生まれるのか、俺には理解できない」
 如月はふーっと息を吐いた。



 レストランに着くと、なぜか「お連れ様はお先にお待ちになっています」と告げられた。
 如月を見上げると、如月も首をひねっている。
 どういうことだろうと、案内されるままに席へと向かうと、「やあ」と柳田瞬が片手を上げて挨拶をした。
「どういうことだ」
 眉間に皺寄せ、如月は柳田を睨んだが、彼はそれに答えず、
「マイちゃん、こんばんは」
 と、痺れるようなバリトンで私に微笑みかけた。しかも名前呼びが自然すぎて文句も言えません。
「……昨日はどうもありがとうございました」
 私は、アイスコーヒー代を結果としておごってもらったことを思い出し、頭を下げた。如月の顔がさらに険しくなった。
「柳田、わかるように説明しろ」
 いつになく、如月の口調が荒い。同僚相手だと、こんな感じなのかなあ、と思う。
「何から聞きたい?」
 完全にからかっているのがわかる。
「なぜ、ここにいる?」
「仕事に決まっているだろ。業務連絡だよ」
 ポンと、如月の肩を叩きながら柳田がそう言った。
「私、席を外しましょうか?」
 私は腰を浮かしかける。そういえば、泣きじゃくったのに、化粧直しもろくにしていない。
「その必要はないよ。マイちゃんは、目下、うちの見習い扱いだから」
「はい?」
 意味がわからず、私は目が点になる。
「昨日も言ったでしょ。君は、もう普通の生活は出来ない。俺たちの職場に転職しろって」
「私、承知はしていませんが」
「細かいことは、気にしない」
 柳田はにっこりと、しかし押しの強い笑みでそう言った。
「ここのホテルに飾ってある絵の画家は、子門仁、それから山井実、W・ストーナ。子門仁と、山井は、売り出し中で、オーナーの月島が可愛がっているそうだ。ストーナ氏は現在スイスに在住だから省いてもいいだろう」
 柳田がそう言うと、如月は首を振った。
「子門一本でいいと思う」
先入観は禁物だが、と、前置いて。
「彼は、覗き屋技能持ちだ。しかも、霊力も高い……見ろ」
 如月は、そう言って、子門が描いた私の絵を出した。
「へぇ、マイちゃんの絵か。上手いものだね」
 感心したように、柳田は絵を眺めた。私は顔が赤くなる。
「美化が激しいですよね」
「え? 俺はむしろ、実物のほうがもっと美人だと思うけど」
 にっこり、あまーい声で柳田はそう言った。……このひと、女たらしだ。お世辞と分かっていても、胸がドキドキする。
「如月、これ、どうやって描かせた?」
 面白そうに柳田は、そう言った。
「子門が、マイさんを見て描きたいと言ったのさ」
「心象風景にぴったりとか、なんとか言われました」
 へえ、と、柳田は頷いた。
「わかった。マークは子門一本で良さそうだな」
 言いながら似顔絵をそのまま懐にいれようとして、柳田は、如月に手をはたかれた。
「勝手に、持っていくな」
「本部に提出しておこうと思っただけだ」
 はたかれた手をなでながら、柳田はそう言った。
「提出は俺がする」
 如月がムッとした声でそう言った。
「じゃあ、写メ撮らせて」
「ダメだ」
 如月は、似顔絵を柳田から取り上げ、大切そうにしまう。
「あの……」
 話がよく見えず、私は首を傾げる。何をもめているのか、よくわからない。二人で、じゃれ合っているだけなのかもしれない、と思った。
「こちら、前菜でございます」
 すっと、脇から、ウエイターさんがお皿を運んできた。
 私たちは、慌てて、姿勢を正した。
 ウエイターさんがお皿を置いて立ち去るのを待って、柳田さんが私に笑いかけた。
「マイちゃんは、霊的魅力が振りきれているって説明したよね」
「はい。妖魔や幽霊には、伝説的な美女みたいなものだって、聞きました」
 ふうっと溜息をつく。
「如月、お前、何の説明もしていないのか?」
 呆れたように、柳田はそう言った。
「霊的魅力は、そのひとのもつ雰囲気やオーラってやつだ。人間は外見に捉われやすいが、まったく感知できないわけじゃない」
 柳田はそう言って、ニヤッと笑った。
「特に、霊力がある人間は顕著に感知する。つまりね、子門の似顔絵は、ある一定の霊力がないと描けない君の姿なのさ」
「なんだか、あまり褒められている気はしませんが……」
 そう言えば、写真では表現できないって言われた気がする。
「霊力があると、補正がかかって、一瞬、美人と勘違いしちゃうってことですか?」
「うーん。だいぶ違うけど、そういうことにしておこうか」
 柳田は首をすくめた。どうやら、面倒になったらしい。
「それで、会った感じはどうだった?」
「陰りはないな。妄執に捉われるってタイプの人間には見えなかった。マイさんに多少、固執している感じはあったが」
 あれだけの時間で、いろいろ観察しているのだなあと私は感心する。
 如月と月島薫のことで頭がいっぱいだった私とは違う。
「マイちゃんは?」
「私? えっと。そうですね……あの人、別に私に固執はしていないと思います。私の絵が描きたかっただけみたい」
「しかし、アトリエに誘われただろう?」
 如月がそう指摘する。
「あの人は、たぶん、私の生家によく似たあの風景に固執しているのです。思い入れを感じました。私の絵を描いたのは、私に、あの風景と同じ匂いを感じたからだと思います」
「ふうむ。それで?」
「子門さんは……たぶん、月島薫さんがお好きなのではないかと」
 先入観かもしれませんが、と言い添える。
「月島薫、ああ、あの美女ね」
 柳田はそう言って、如月に目をやった。
「俺は、気が付かなかった」
 如月はそう言った。
「……ま、今回、おめーにそーゆーところは期待してねえよ」
 ニヤニヤと柳田は前菜のサラダを口に運びながらそう言った。
「ところで、柳田、いつまで、ここにいるつもりだ?」
 いくぶん、イラつきながら如月はそう言った。
「コース頼んじゃったから、デザートくるまで」
 柳田はしれっと、そう言った。
「お前、絶対わざとだな」
「当たり前だ。お前だけが、マイちゃんと一緒に楽しむのは不公平だ」
 結局。柳田は本当にデザートまで一緒に食べていったのだった。


「今日は、本当にありがとうございました」
 玄関前で、私は頭を下げる。
「なんか、私のことで振り回してしまって、本当にごめんなさい」
 結局、化け物に襲われることもなく、殺人事件に会うこともなかった。
 それが一番いいことなのだけど、詐欺をしたような気分だ。
 もし、私が帰ると言わなかったら、如月は月島薫と原作通りに結ばれたのかもしれない。
 そう思うと、なんだか、自分が酷い女になった気分がした。
「子門のアトリエに行くときは、一緒に行くから」
 如月の言葉に、私は頷いた。せめて、子門が完全に『白』だと決まるまでは、責任もって付き合わなければならない。
「マイさん、俺の靴、見てくれますか?」
 唐突に如月がそう言った。
「はい」
 なんのことだかわからないまま、下を向くと、突然、首を引き寄せられ、額に柔らかいものが押し付けられた。
「え?」
 茫然とする私に、如月はにっこりと「おやすみ」と微笑み、自分の部屋に入っていった。
 私は、玄関の前で茫然自失となり、桔梗が心配してうちの玄関の扉を開けるまで、立ち尽くしていた。
少しずつ、お砂糖を投入しようと努力中。
次回は、ちょっとホラーテイストが入る予定です。
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