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私は隣の田中です 作者:秋月 忍

第一章 異界渡り

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異界渡り


「えっと。思い切ったイメチェンをしたいのですが」
 美容室で、私はそう言った。
 馴染みの美容室であるが、私は、普段から美容師を指名したりしないこともあって、誰も私の顔を覚えていてくれたりはしない。いつもは、無難に、その時の気分で適当に切ってもらうのだが、今日はイメチェン疑惑を逆手にとって、本当にイメチェンしてやるつもりだから、生まれて初めて、美容師さんにお任せという注文をしてみた。
 現在の私の髪は、セミロング。何の変哲もない、肩までのストレートだ。
「えっと。どっち方向にイメチェンしたい? 悪女っぽくとか、デキル女系とか」
 私の凡庸な顔を見ながら、茶髪で二枚目な美容師さんが困った顔をしながらそう言った。無理難題をふっかけてしまったことに申し訳ない気持ちになる。
「色っぽい感じにできますか?」
 試しにそう言ってみた。言ってすぐ、恥ずかしくなって「無理ならいいです」と呟く。
「了解。今はどちらかというと清楚系だものね。ちょっと大人の女って感じにしようか」
 ニコリと、美容師さんは営業スマイルで答えた。
 今、私が清楚系とは知らなかった。地味イコール清楚と変換できるとは、美容師さんはお世辞がとてもうまい。
 そもそも、私、既にもういい大人だけど、大人の女に見えないって言われたってことなのだろうか。
「イメチェンって、やっぱり恋がらみ?」
 美容師さんがにっこり笑ってそう言った。
「ええ、まあ」
 面倒なので、適当に頷く。イメチェン疑惑をもたれるのが面倒だと言っても理解されないだろうし。
「どっち?」
 ん? どっちとは? 私は、首を傾げた。
「失恋? それとも、その反対?」
「はあ」
 困ったな、と思う。具体的にそういった設定も必要なの? 会社に行くまでに詰めとくべきかな、と考える。
「えっと。男縁があまりにもないので……」
 私は苦笑した。面倒なので、美容師さん相手にはそういう設定にしておこう。
「じゃあ、気に入った髪型にできたら、僕も候補に入れてよ?」
「お上手ですね」
 美容師さんのサービストークをにっこり笑顔で返す。このひと、毎日何人の女の子に、こんな口説き文句を言っているのだろう? つくづく、接客業って大変だなあと思う。
「僕、本気ですよ?」
 くすくすと笑いながら、美容師さんは私の髪にパーマを当てたり、ハサミを入れていった。
 美容師さんはトークがとてもうまい。自分がヒロインになったかのような気分を味わいながら、私はイメチェン過程を楽しんだ。トークだけでなく、腕も確かだったようで、鏡の向こうの私は随分と変わっていた。
 あくまでも当社比であるが、髪が短くなったことで、首筋のラインが色っぽく見える気がする。
「どうかな?」
 自信たっぷりに美容師さんはそう言った。間違いなく、彼はいい仕事をしたと思う。
「はい。ありがとうございます」
 私は頭を下げた。
「約束は?」
 美容師さんはにっこりそう言って、名前の書かれた名刺をくれた。
「はい。次回は指名させていただきます、村木さん」
 私がそう答えると、村木さんはちょっとだけ苦笑して、「またね」と言った。


 美容院を出ると、スーパーに向かう。髪を切ったので、首筋が少しスースーする。
 時刻は四時前くらい。買い物をしても、まだ明るいうちに家に帰れるなあと計算する。
「あれ?」
 スーパーの手前の角の不動産屋の前で、若い男女が物件を眺めている。
――熊田じゃん。
 二十三か、四くらいの女の子を連れた私の同期は、私と目が合うと、びっくりしたようにこちらを見た。
 どことなく、気まずそうな表情をしているようにみえなくもない。
――結婚で、新居探しかなあ? 
 とりあえず、軽く会釈をした。熊田の表情が微妙なので、直接挨拶するのは遠慮しようと思う。
 おそらく、まだ、職場の人間に知られたくなかったのだろうと思う。
大丈夫。私、その辺、空気読めますと言う意味を込めて、軽く微笑んでおいた。
 そして私は、そのままスーパーの中に入って、買い物をした。その流れで、隣の本屋に入り、文庫本の棚を見る。田中には馴染みの本だが、鈴木には、見たこともない本がある。ただ、有名どころの本というのは、共通しているようだ。
――ひょっとしたら、私(鈴木)の世界が舞台の本もあったりして。
 あるかもしれないけど、私(鈴木)は、田中と違って、完全に背景だからなあと思う。少なくとも、如月みたいなカッコいい隣人はいなかったし。
『そう考えるとすごいわ、田中。名前も、セリフもあるし』
『いやいや、それ程でも…』
 と、脳内で、阿呆な会話を繰り広げ、家路へと向かう。一週間分の食料が入ったエコバックの持ち手が肩にくいこむ。
――買いすぎたかなあ。
 今朝、何もない冷蔵庫で哀しい思いをしたので、つい余分に買ってしまった。如月に料理をおふるまいするなど、もう二度とないと思いつつ、我ながら未練がましい。
 黄昏時の商店街を抜け、街灯のともり始めた人気のない公園をつっきることにした。この公園を抜ければ家はもうすぐだ。
 公園は街灯が灯っていて決して暗くはない。ただ、街路樹のせいで、にぎやかな喧騒から隔離されているような気分になる場所だ。別段、夜景が有名な公園ではないので、子供たちがいなくなればしんと静まり返ってしまう。
「待っていましたよ」
 誰もいなかったはずのジャングルジムの上から、ふわっと、男が私の前に飛び降りた。
 重力を感じさせないほど、軽やかな着地。
 ゾクリ、と背筋が冷える。ざくっと後ろ足に体重を乗せ、振り返ると四足の何かがクワッと口を開け私を見上げた。中型犬くらいの大きさだが、顔は鬼のようだ。開いた口から、ポタリポタリとよだれが垂れている。
 私は、後ろ足にのせた体重を前に戻し、男を見た。
 昨日の男だ。ニタリ、と笑っている。
「な、何のご用でしょうか?」
 私の頬に、冷や汗が流れる。心臓が凍るような感覚。
 男はくすくすと笑った。
「はるばる、異界までお迎えに行ったのに、わが君はなんとつれない」
 私は、前と後ろの間合を測る。どちらに逃げるべきか、必死で考えた。
「連れてきて、なんて頼んだ覚えはないわ」
 私がそう言うと、男は舌なめずりをしながら、距離を詰め始めた。
 逃げたいけれど、下手に動くと、背後の獣が私にとびかかってきそうで。
「何と美しい。今すぐ、私とひとつになりましょう」
 男の手が伸びてきて。私は、咄嗟に、エコバックを後ろの獣になげつけて、その隙に獣の横を駆け抜けた。
 バラバラと、エコバックの中身が散乱したが、獣も、男も気にした様子はない。
 ほんの少しだけ、距離を稼ぐと、刀印を結ぶ。
臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前
 薄暗闇に、私の描いた格子模様が鈍く発光した。
 ざしゅっ
 光は、四足の獣を通り抜ける。
 ぐわぁつ
 獣の絶叫が公園中に響き渡った。
「ひゃっほー。マイちゃん、すごーい」
 ふわり、と、私を庇うように、桔梗が突然、宙から現れた。
「き、桔梗!」
 助けに来てくれたのだろうけど、心臓に悪い。
「じきに、悟さまが来るわ。それまで、凌いで」
 彼女はそう言うと、すらりと発光する太刀を手にして構えた。
 手負いの獣が桔梗に躍りかかる。
 桔梗は、ふわりと身をかわしながら、獣を翻弄する。
「クソっ」
 男は軽く悪態をつくと、闇の中へと解けるように消える。
「え?」
 次の瞬間、すっと私の身体が抱きすくめられた。
 ゾクリ、とする。
「離して!」
 抗おうとしたが、私の身体は、男の手だけでなく、纏わりつくような黒い闇に縛られていく。
「素直に、私のものになりなさい」
 男は耳元でそう囁く。生暖かい男の息が耳元に感じた。ゾッとするような悪寒が全身に走る。
 おぞましさと、締め付けられる苦しさで吐き気がする。
 私の首筋を生暖かい何かが這う。ぬるりとした感触で、それが男の舌だと気付いた。
「イヤ……」
 息苦しいほどの嫌悪感。私は必死で男を振りほどこうとする。手で、必死に刀印を結ぼうとするが、うまくいかない。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」
 テノールの声が私の背から聞こえてきた。
 ぎゃあーっ。
絶叫とともに、眩しい光が私の背を焼く。
「麻衣さん……愛して……」
 拘束がゆるみ、振り返った私の目に、男の口から言葉がこぼれた。
「え?」
 光の中で男と黒い闇が溶けていくのを最後に、私は気を失った。


「悟さまってば、マイちゃんに向かって九字切るなんて酷いわ」
 気が付くと、私は自分の部屋で寝ていた。
「しかし、あの時は咄嗟のことで……」
「マイちゃんは、まだ魂が馴染みきっていないのよ。いっしょに吹き飛んじゃう可能性だってあるのに」
 桔梗が憤慨している。どうやら、私のことで怒ってくれているらしい。
「異界渡りをひっぺ返してからだって、十分間に合ったはずなのに」
 ぶつぶつと桔梗が文句を言っている。
 私は、体をゆっくり起こした。
「あ、マイちゃん!」
 桔梗が、私に気が付いて、飛びついてきた。
「よかったー。もう、悟さまのバカが、嫉妬に狂って、ヘマをしてごめんねー」
「はい?」
 言っている意味がわからず、私がキョトンとすると、傍らに立っていた如月が顔を真っ赤にしながら、無事でよかったと呟いた。
「すみません。また、助けてもらって、しかも家まで運んでいただいたのですね」
 私がそう言うと、
「マイちゃん、何言っているの? そんなの悟さまの役得」言いかけた言葉が終わらぬうちに、パチンと如月の指が鳴らされ、桔梗の姿が掻き消えた。
「……あいつがいると煩くていかん」
 ボソリと、言い訳めいた口調で如月はそう言った。
「散らばっていたものは一応、拾って持ってきておいた。卵は割れてしまっていたが……」
 よくみれば、食卓テーブルの上に私のエコバックが置いてある。
「ありがとうございます」
 私は頭を下げる。私を運ぶだけでも大変だっただろうに、気を使わせてしまったなあと思う。
「それから、確認したいのだが……これは、君だね?」
 如月は一枚の絵を差し出した。
「これは……」
 多少美化が激しい気もするが、そこに描かれていたのは、鈴木麻衣の顔だった。
「異界渡りに取り込まれた男は、里浦という。やつは、絵描きでね。家を調べたら、この女性の絵が山ほど出てきた」
 私はその絵を手に取る。とても、愛情込めて描いてもらった絵だとわかる。
「この世界には、覗きピーピングと呼ばれる能力を持つ人間がいる。その技能を持った人間の多くが絵描きだったり小説家だったりするのだが……その技能を持った人間は異世界を覗く力を持っていると言われている。」
「異世界を覗く?」
「ああ。おそらく里浦は、覗き屋の技能持ちだった。そこで君に会い、君に恋をした……」
 妖魔や幽霊には私が美人に見えるそうだから、異界から覗いた私は、補正がかかって美人に見えたのかもしれないなあと、美化された似顔絵を見ながら苦笑した。
「異界渡りを呼ぶ儀式を行った痕跡が部屋で発見された。奴は、君を追いかけて異界へと渡ったようだ」
 なんだかなあ。と思う。実際に同じ世界に住んでいたら、気にも留めないような女だっただろうに。
 そう思うと、里浦が気の毒で涙が出てきた。
「泣いているの?」
 不思議そうに、如月が私の顔を覗きこむ。
「はい。だって、私のような女の為に人間捨ててまで会いに来てくれたなんて。実際、人間として会ったら、きっとガッカリさせちゃったと思うけど」
霊的魅力補正って残酷ですね、といいながら、私は首をすくめた。
「それに。馬鹿だなあって思うけど、そこまで思ってもらったのに、私、恐がるだけで……向こうの世界でそんなふうに男性に想われたことなんてなかったのに……」
 気持ちが高ぶって、涙が止まらなくなった。
「君が気にすることはない。どんなに恋い焦がれたとしても、魔物に手を借りたのは里浦自身が選んだことだし、そんなふうに卑下しなくても、君は魅力的だ」
 如月はそういって、私を抱き寄せた。
 硬い胸に身体を預けていると、高ぶった気持ちが、次第に落ち着いていく。
「異界渡りは倒した。申し訳ないが、しばらく君は田中舞さんと一緒に生きていくしかない」
「はい」
 私は頷きながら、そっと如月から身体を離した。如月の言葉はどこか甘くて。自分がまるでヒロインになったかのような錯覚に陥ってしまう。
 私は、慌てて首を振った。自分のポジションを忘れてはいけない。如月に抱き付いたり、もう、隣人の職分を越えまくりで、作者から石つぶてがとんできそうな気がした。
「ゆ、夕飯、作らなくちゃ。如月さん、よかったら桔梗さんもご一緒にお食べになりますか?」
 取り繕うようにそう言って、私は慌てて台所へ向かう。
「喜んで」
 如月の優しい声がそう答えた。

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