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私は隣の田中です 作者:秋月 忍

第四章 溺愛の泉

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溺愛の泉

いつもありがとうございます。
 時計の針が七時半を指している。
「佐久間さん、私そろそろお暇を」
 私は、ソファから腰を浮かした。
「ああ、じゃあ、僕が車で送りますよ」
 当たり前のように、郡山がそう言って微笑んだ。とても紳士的な笑みだ。ビジネスの時と違って一人称が「僕」というのも、違和感がない。
とても和やかで紳士的な申し出だ。「いえ、タクシーで帰ります」とはとても言える雰囲気ではない。
「駅まで遠くないですから、大丈夫ですよ」
「あら、年頃の娘さんが、夜道を歩くのはダメよ」
 やんわり断ろうとした私を、佐久間さんが笑顔で窘める
「それにここから駅まで、歩くとそこそこあるわよ。謙藏に送ってもらうといいわ」
 正論である。私の心の片隅で、熊田がダメだと言っているけど。
「私が、その方が安心できるから」
 佐久間さんはにっこり笑う。とどめだ。断れない。
――まあ、駅までなら五分くらいだし。
 郡山は大事な取引先だ。ここで、固辞したら、仕事にも影響が出る。
「では、駅まで、お願いします」
「そうよ。そうして。お願いね、謙藏」
「ああ。舞さん、忘れ物はないですか?」
 にこやかな笑顔だ。
 如月ほどではないにしろ、端正な顔立ちをしている。女性に不自由する人種ではない。
 初恋うんぬんは、きっと佐久間さんの勘違いだろう。
 私は、佐久間さんに挨拶をし、郡山の車に乗った。
 佐久間さん親子に見送られ、郡山の車は、駅へと向かう道へと走り出す。
「なんでしたら、家まで送りますけど」
 優しい口調で、郡山はそう言った。
「いえ――駅で大丈夫です。えっと、駅の近くのコンビニに用事があって寄らないといけないから」
 私がニコリと微笑み返すと、郡山は苦笑した。
「舞さんは、ガードが固いね……それに、会社にいる時と雰囲気が随分違う」
「え?」
「会社では目立たない服装だけど、普段着は随分と大胆だね」
 横目でちらりとむき出しの足を見られたのがわかった。
 なんとなく、ぞわりとする。
「え、えっと。すみません。ちょっと、やりすぎですよね」
 とりあえず、そう言いながら、かばんで足を隠す。
「謝る必要はないと思うけど。舞さん、スタイルいいから、よく似合うよ」
 クスクスと笑いながら、郡山は運転を続ける。
 駅はもうすぐだ。
「舞さんは、熊田君と付き合っているの?」
「へ?」
 意外な質問に、私は間抜けな声を出した。
「違います。熊田とはただの同期ですけど」
「ふうん。その割には、熊田君のガードは嫌味なくらい堅かったけどなあ」
「それは、私が失言をしないように気を配ってくれていただけです」
 どことなく居心地の悪さを感じながら、私は目の前の風景に集中した。駅のロータリーが見えてきた。
「じゃあ、僕と付き合わない?」
 唐突な言葉に、私は息が詰まる。そんな言葉を告げられるとは思ってもいなかった。
「そ、それは……」
 郡山はビジネスの大事なお客である。しかも恩人の弟さんだ。
 生まれて初めて、人間(元人間さんにはされたことがあったけど)に愛を告げられたのに、ときめきより当惑が胸に広がる。
 佐久間さんは私が初恋のひとだと言っていたし、社長はヒトメボレだと言っていたから、こんなふうに交際を申し込まれる可能性がなかったわけではないけれど。
「……少し、考えさせて下さい」
 私は、それだけ口にする。
「そうか」
 駅のロータリーに車が停車した。
「送っていただいて、ありがとうございました。あの……ごめんなさい」
 私は、シートベルトを外し、頭を下げる。そしてそのまま、ドアを開けようと身体をドア側に向けた。
「……帰さないよ」
「え?」
 言葉を言い終える前に。肩越しに腕がのびたかと思うと、口元にハンカチが押し当てられた。
「……!」
 その腕を押しのけようとするものの、次第に意識が遠くなる。
「否と言うのは許さない。だって、君は僕の花嫁だから」
 ねっとりとした粘着質な声が耳元で囁いた。


 目が覚めると、頭痛と、背中の痛みを感じた。
 十字のかたちに固定されて、壁に貼り付けられているようだ。
 手足を固定され、さらに猿ぐつわをかまされている。
 薄暗い部屋だ。大気は淀んでおり、息苦しさを感じる。
 床は板敷き。私の前には壺のようなものが置かれていた。そして、その隣に人の腕のようなものが見える。
 濃厚な香の香りと、血臭、そして僅かな腐臭が漂う。
 クチャリという嫌な音に目をやれば、鬼が、なにかを喰らっているのが見えた。
――あの、鬼だ。
 間違いなかった。私が左門の家で見た鬼と同じである。と、いうことは、左門への嫌がらせをしていたのは、私をここに連れてきた人物と同一ということなのか。
――まさか、火川正人?
 小説では火川正人が右京さくらを蘇らせるため、執拗に右京家の人間をおそったのだ。
――同じことが?
 私は首を振る。場所も違うし、襲われたのは左門家の人々だ。
鬼が、クチャりと咀嚼するたびに、禍々しい妖気が膨れ上がってきた。
 その膨れ上がった妖気を吸い取るように、ぼうと鬼火が生まれ、宙で燃えはじめた。
青白い、鬼火の向こうに人影が見えた。黒い狩衣と烏帽子姿で、聞きなれない祝詞のような言葉が聞こえている。
 やがて。
 言葉が止まった。人影は、衣擦れの音を立てながら、私に近づいてくる。
 そして、愛おしそうに、私の目の前の壺をなでた。
 郡山だった。
 彼は、私を視とめるとニヤっと笑った。
「素直に僕を受け入れれば、痛い思いをしないようにしてあげたけど」
 ねっとりとした視線で私を見つめる。
 手に、白銀に光る刃物。
 郡山は壺に手を当て、白刃の切っ先をわたしののど元に突き立てた。
 私は、刃先に映る自分をみつめるだけだ。逃げることもできない。
「ん?」
 郡山は片眉をあげ、刃物の切っ先を喉から外し、Tシャツの胸元を切り裂いた。
「邪魔な所有痕がある――純情そうな顔をして、案外、淫乱だね」
 郡山はムッとしたように、私の鎖骨に刃物をあてる。
 細い赤い筋が引かれ、鋭い痛みが走る。暖かい液体がそこからこぼれ出すのが自分でもわかった。
「大丈夫。僕が綺麗に消してあげるよ」
 ふうっと笑いを浮かべ、郡山は、私の乳房に手を当てながら、流れ出る血潮を舌で舐めはじめた。
 ざわっと鳥肌が立つ。吐き気を伴う嫌悪感が全身に走る。刃で切られた以上の苦痛。
――嫌ッ!
 触れられたくなかった。いっそ、身体を切り刻まれ、直接的な苦痛を与えられた方がましだ。
――如月さん!
 涙があふれ出る。
 如月が私に触れた証が、消されようとしている。それが何より悲しかった。
「くっ!」
 不意に、郡山が苦痛に顔を歪めた。
 鎖骨の痕の辺りが熱い。熱を帯びている。
「マイちゃん、九字を!」
 桔梗の声が、頭の中で鳴り響いた。
 唱えようにも、猿ぐつわをかまされて口が封じられている。
「早く!」
 桔梗が、もう一度叫ぶ。
 私は、嫌悪感をこらえながら、目を閉じて集中する。

臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前


 全身に痛みが走り、強い力が身体から噴き出した。
 ぎゃあっ
 私から放出された力で、郡山が弾け飛ぶ。
 淀んでいた空気が一気に対流を始めた。
「マイちゃん!」
 桔梗が、私の傍らにふわりと現れた。身体が鈍く発光している。
「式神風情が!」
 郡山が、黒い礫のようなものを桔梗めがけて打つ。
「にわか仕込みの霊能力者さんでは、私に勝てないわ」
 桔梗は、白銀の剣を空中から取り出して、礫を叩き斬る。
「人鬼よ!」
 郡山は鬼に、桔梗を示した。
「そいつを、喰らえ」
 ぎぃぃっ!
 暗い喜びを溢れさせ、鬼は桔梗の前に躍り出る。
「言っておくけど、私、すごく怒っているから」
 桔梗は、ひらりひらりと蝶のように舞いながら、鬼と対峙しているが、俊敏な鬼の動きに、珍しく苦戦しているように見える。
郡山はそれを見て、私の前に置いてあった壺を抱きしめて、じりじりと後退しはじめた。
 私は縛めを解くことが出来ず、必死であがく。
 あれ程、郡山に気をつけろと熊田が言ってくれたのに。タクシーで帰れと、如月が忠告してくれたのに。
 何一つ守れずに。
 自力で逃げるどころか、桔梗を助けることもできないなんて。
 情けなくて。悔しくて。
「逃げられないわよ」
 桔梗がにやっと笑った。
 車の急ブレーキの音が、壁の間近で聞こえた。
『爆』 如月の声にならない声が頭に鳴り響くと同時に、雷のような轟音が轟いた。
 壁が、ハラハラと崩れ落ち、大穴がポッカリとあく。
 郡山は、壺を抱えながら、散弾銃のように黒い礫をバラバラと如月に向けて放った。

臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前

如月が九字を切ると世界が光に包まれ、黒い礫は溶けるように消える。
「ひぃ」
 郡山は、悲鳴を上げ、逃走を試みる。
「怒っているのは、如月だけじゃないんでね」
 あっという間に間合いを詰めた柳田が、郡山の首筋に手刀をいれた。
 がくり、と、郡山は意識を失い、倒れた。
「被害項目に、私の服代も入れておいてね」
 杉野が私の縛めを解きながら、そう言った。



 郡山は『防魔調査室』に逮捕された。
 私に危害を与えたことに加え、左門家への一連の呪術攻撃の疑いである。
 私は、翌日の午後、如月に連れられて、とあるマンションの一室に連れて行かれた。
 そこは、秘密機関『防魔調査室』の分室になっている場所らしい。
「郡山の元婚約者は右京桃子と言って、左門龍治の秘書だった」
 柳田が、写真を手に説明を始める。
「彼女は一年前、自分で運転していた車がガケから落ちて転落死した。事件性はなかったということだが……」
「死ぬ一時間前に、郡山は彼女から別れを告げる電話を受けたらしいの」
 杉野が綺麗な眉を寄せる。
「あのオッサン、彼女が死んだ日に、右京さんを襲ったことをやっと吐かせたわ」
 まったく、警察は何をやっているの! と、杉野は怒りを隠そうともしない。
「では、郡山のしたことは、左門龍治への復讐?」
 私がそう言うと、杉野は頷いた。
「郡山は、まったく呪術に縁のない男だったようだが、右京桃子のことがあってから、急激に呪術に傾倒し始めた……周りの人間もほとんど気が付かなかったようだが」
 如月は、首を振った。
「誰かが奴をそそのかした可能性もあって、そこはこれから調査することになっている」
 一般の人間が呪術に触れる機会など、そうはない。この世界の大半の人間は妖魔も呪術もあり得ないものと認識して生きているのだから。
「……郡山さんは、私をどうしたかったのでしょうか」
「あなたの身体に桃子さんの魂を入れたかったらしいわ」
 杉野は、ふーっとそう言った。
「最初は、左門家の人間から桃子さんを作るつもりだったみたいだけど……あなたのせいで予定が狂ったみたいね」
「……?」
「簡単な話、奴は、あなたに惚れたことに気が付いてなかったのよね」
「は?」
 私の顔を見て、杉野は苦笑した。
「反魂の術を試みるなら、さらってくるのは、ひとりで充分なはずだ」
 如月はそう言って、嫌悪感に眉をひそめる。
「何人かの体の部位をつなぎ合わせようとしたのは、反魂の術のためというより、左門家への憎しみによるところが多い。それはそれで、行動に辻褄はあっている……マイを襲った以外はな」
「ぶっちゃけ、奴は、マイちゃんが欲しくなった。しかし、桃子への執着は捨てられない。それで、マイちゃんの身体に桃子の魂を入れるという結論に至ったようだな」
「はあ」
 私は、思わず息をついた。
「私が、素直に交際を受け入れていたら、彼は更生できたのでしょうか?」
「え? それはないよ。だって、マイさんに会ったときには、左門家へ攻撃は始めていたのよ? もう、遅いわ」
 私の気愚を、杉野が切って捨てるようにそう言った。
 そうかもしれない。もっと早くに会っていたら。でも、その私は、今の私とは違う。
 鈴木麻衣と一緒になる前の、田中舞と出会っていたら。私は、彼を受け入れただろうか?
「左門家のことはともかく……私を襲ったことは、罪に問わないでいただけますか?」
「何故?」
 柳田が不思議そうに、私を見る。
「皆さんのおかげで、大事にはなりませんでしたから……」
 迷惑はいっぱいかけてしまったけれど。
「私が不用心だったんです。同僚にもずっと忠告されていたのに……それに、彼は私の恩人の弟さんだから」
「マイがそうしたいのであれば公に出す項目からは外しておく」
 如月はそう言って、私から視線を外し、外を見る。
「如月的には、左門のことより、よっぽど、マイさんのことのほうが腹に据えかねている様だけど」
 杉野は首をすくめた。
「如月だけじゃねえぞ、俺だって、怒っている」
「ありがとう」
 私は柳田に頭を下げる。
「私、幸せな人間だね」
「……その感想、すごく反則だと思うわ」
 杉野がふっと微笑した。



 後処理がいろいろあって忙しいだろうに、如月は家まで送ってくれた。
 一応、自宅に着替えを取りに戻るという理由があるそうだが、私に気を使わせないための口実だろう。
 エレベータホールで、エレベータを待ちながら、私はふと思う。
「杉野さんって、素敵ですね」
 美人なだけではなく、とても魅力的だと思った。何より、人間として大好きになった。
「ヨリ、戻さないのですか?」
 彼女なら、如月に相応しい。今なら素直に祝福できる気がする。隠れて泣くかもしれないけど。
「マイ……あのな」
 如月はエレベータに乗りながら、眉をひそめる。
「俺と杉野は、高校の頃、二週間ほど付き合っただけだ。しかも、フラれたのは俺の方だし」
 如月は首をすくめた。
「俺は真面目すぎてつまらないそうだ。この前、手を握っていたのも、俺をからかって遊んでいただけだ」
 私は、如月をただ見つめる。
「正直に言えば、昔はともかく、今は杉野が女に見えない」
「あんなに、美人なのに?」
「少なくとも、恋愛対象ではない」
 ポンと扉が開いて、私と如月はエレベータから降りる。
 あんなに、綺麗な人が女に見えないって、どんな女性なら良いのだろう。
「怪我、大丈夫か?」
 602号室の前で、如月が、私の鎖骨付近に指を伸ばす。
「え? あ、はい。手当てもしてもらいましたから」
 つい俯いて、私は顔を赤らめる。場所的にひとに触れられるのは、恥ずかしい。
「少し、霊力を補充したほうがいいな」
 鎖骨付近に手を触れ、如月はそう言った。
「え?」
 如月の右手が私の顎を持ち上げ、私の唇に如月の唇が押し当てられた。
 そして、彼の左手は、ゆっくりと、私の胸から、腰へ、そして尻へと撫でるように動く。
――これが、霊力補充?
 ほとんど愛撫に近いこの触れ合いは、呪術のためなのだろうか?
 それでも。
――如月になら触れられたい。
 激しいキスに思わず応えながら、痺れた様な感覚を感じた。
「ああ、ダメだ」
そう言って、如月は私の身体を離した。
「これくらいにしておこう……止まらなくなる」
 何がダメで、何が止まらないのか。
「おやすみ」
 如月はそう言って、自分の部屋に入っていった。
 私は、なぜか熱を帯びた鎖骨の赤の絆に触れる。
――私。
 郡山に触れられたときは、あれ程、嫌だったのに。
 もっと触れてほしいと、思う自分に戸惑いながら、如月の部屋の扉をじっと見る。
 夜風がひやりと頬を撫でていった。
残りあと二章です。もう少しお付き合い頂ければ、幸いです。
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