Quest[001]:黒狼との出会い
それは、後世の人間が眩く見つめる時代。荒々しくも、生きる力に満ち溢れていた時代。
大陸は原始の姿を保ったまま、文明の姿を受け入れている。
原始の姿に住まう生き物・モンスターと、文明の姿に住まう生き物・人間。
強大な力と身体を有したモンスターは、脆弱な上にちっぽけな身体しか持たぬ人間たちを、時として食らい、その住居を破壊し、蹂躙する。それは、生物の理。強き者だけが生き延びる、絶対摂理。
だが、人間はしぶとかった。圧倒的に上回る力のモンスターに対し、その小さすぎる身体にありったけの叡智を詰め込み、立ち向かう。鉱石を集め、時にはモンスターから剥ぎ取った鱗や甲殻を加工し、武器として、防具として身にまとい、生き延びるために戦う。
そういった人々はハンターと呼ばれ、モンスターを狩る事を生業とする。
ハンターは、人間という種族の中で最も自然の理に近い存在と言えた。
狩るか狩られるか、という理に。
少年は、ただひとりテロス密林を歩いていた。一般的に、ドンドルマで【密林】と呼ばれる場所である。大陸の東端に位置し、温暖ではあるが湿度も高く、雨の多い地域でもある。そのため、他地域ではあまり類を見ないような巨大な植物が育ち、鬱蒼とした森林群を形成している。
密林の西側は沿岸となっており、砂浜が広がっている。少年の足下で、ざくざくとした砂の踏みしめられる感触が、音と共に静かに響いていた。
今、この海岸線にはモンスターの姿は見当たらない。内心、ホッとしながら少年は更に歩みを進める。
少年が身に付けているのは、レザーライトシリーズと呼ばれる防具で、主にフラヒヤ山脈周辺に住むガウシカという草食動物の皮をなめして繋ぎ合わせ、頭部や胸部など、ところどころに鉄で補強を施した防具である。防御力という意味では大して期待は出来ず、着ていないよりはマシ、という程度だ。
そして、手にしているのはハンターカリンガという片手剣。最も一般的で、且つ容易に手に入る鉱石で製作出来る剣でもあるため、こちらも攻撃力という意味では大して期待は出来ない。
要するに、少年の武器や防具といったものは、いずれも明らかに初心者ハンターのそれであった。
このテロス密林は、豊富な食料源のもとに繁殖する草食動物を狙って、凶暴な肉食獣やモンスターたちが多く見られる場所ではあるが、一方で複雑ではない地形や、気温の変化が少ないという事もあって初心者ハンターが数多く訪れる場所でもある。
特に、この地域で頻繁に採取出来る特産キノコは、美味であるという事もあってギルドが高値で買い取ってくれる。その採取依頼が来る事もあって、初心者ハンターの一番最初に挑むクエストになると言っても過言ではない。
そのため、少年の出で立ちは、ここテロス密林に不釣り合いではなかった。特産キノコの納品クエストを受注した新人ハンターが、密林を散策している、という姿であれば自然だった。
だが、少年は何ひとつ採取しようとはせず、真っ直ぐに前を向いて歩いている。それは異質だった。新人ハンターであれば、なるべく早く自らの装備を整えたいと思うものだし、そうであれば鉱石の採掘出来るような場所では鉱石を採掘するし、何かが採取出来そうな場所では採取を試みるものだ。しかし、少年にはそういった素振りは全くなかった。ただ、真っ直ぐに砂浜を歩いている。
「うっ! うわぁぁああっ!!」
突如、静かだった砂浜に、叫び声が上がった。当然、少年が発したものである。
砂浜からいきなり飛び出してきた何かに、足下をすくわれて転倒したのだ。慌ててハンターカリンガを抜いた少年の目の前で、砂浜からボフッと音を立てて鋏が突き出し、続いて灰色の殻が出てくる。
小型の甲殻類の一種で、ヤオザミと呼ばれるモンスターだ。こうやって砂浜に潜み、獲物が上を通過するのを待ち、奇襲を仕掛けてくるのである。小型、と言ってもモンスターである。盾と片手剣を構えて身を多少低くした少年の、腰ぐらいの高さがある。小型と言われるのは、ヤオザミの成体でもあるダイミョウザザミと比べて、の話だ。ダイミョウザザミであれば、その大きさはゆうに数メートルを超える。
少年は、身を屈めてヤオザミの第二撃を待った。盾をしっかりと構え、その衝撃に備える。いや、備えようとした。ヤオザミは、少年の予想よりも遥かに早く動いたのである。鋭い鋏を振り上げ、少年に向かって振り下ろす。盾の構えが中途半端だった状態で叩き付けられ、予想以上に衝撃に少年は吹き飛ばされた。
倒れ込みそうになりながらも踏みとどまり、ハンターカリンガをがら空きの殻に向かって上段から思い切り振り下ろす。だが、さすが甲殻類と言ったところか、幼生でしかないはずのヤオザミの殻は、斬撃を弾き返した。
「‥‥くっ!」
思い切り振り下ろした分、弾かれた反動も大きい。腕が痺れるような衝撃に、少年はかろうじて武器を取り落とさないようにするのがやっとだった。
大きく弾かれた斬撃は、ヤオザミにも相応のダメージを与えていたようだったが、少年が体勢を崩した隙の方が大きかった。ヤオザミは凄まじいスピードで少年の横に回り込み、片方の鋏で少年を殴りつける。
「ぐわぁっ!」
レザーライトメイルの鉄で補強された部分に当たり、さすがに引き裂かれたりはしないものの、衝撃はあまり緩和される事もなく少年の身体に伝わる。横腹に走った衝撃に、少年は思わず膝をつく。そして、その隙にヤオザミの鋏が少年の眼前に迫った。
嗚呼、死ぬのだろうか。こんなところで。一目会う事さえもないまま。
少年の目には、ヤオザミの鋏がやけにゆっくりと見えた。ゆっくりと振り上げられ、そして少年の頭上に‥‥落ちて、来なかった。
大きく鋏を振り上げたヤオザミは、ギュアァ‥‥と絶命の声を上げ、砂浜に崩れ落ちる。
少年の開けた視界の中には、崩れ落ちたヤオザミと、その背後で巨大な鎚を持った女性の姿が残った。
「目の前で死なれても、後味悪いしねーえ」
彼女はそうぼやき、その細い腕でどうやって振り回しているのか謎にも思える程の、黒光りのする巨大な鉄の塊のようなハンマーを背中に背負うと、腰から外した剥ぎ取り用のナイフをヤオザミの死骸に突き立てた。器用にナイフでその甲殻と、いわゆるミソと呼ばれる部分を剥ぎ取った女性は、甲殻の方を少年に向かって投げて寄越した。
「‥‥?」
意味が分からず見上げる少年に、ザザミソを素材袋の中へ仕舞い込んでから、口元をニッとつり上げて彼女は笑った。
「何のクエストで来てるのかは分かんないけど、持って帰りなよ。アタシは要らないからさ」
少年に放られたのは、ヤオザミからとれる盾蟹の小殻と呼ばれる物だ。ダイミョウザザミから剥ぎ取れる甲殻と比較すると幼生であるため小さく、用途も限られてくるために区別して呼ばれる。
確かに、そんな用途の限られている素材であっても、少年の装備を見る限り貴重な素材であると言えるだろう。しかし、少年は素材を貰った事や、命を助けられた事実さえも忘れてしまうような、それほど気にかかる事実があった。
「それ‥‥」
「ああ、これ? さっきまでこの近くで暴れてた、ガルルガの素材だよ。遭遇しなくて良かったね」
彼女の素材用袋から覗いた、黒とも見紛うばかりに深い紫色の鱗。そして、彼女の身に付ける、多くの棘が際立つ同じ色の防具。
「あなた、もしかして【黒狼】‥‥?」
少年の言葉に、彼女は顔のほぼ全面を覆っているヘルムの奥で、微かに眉を顰める。口元と、僅かな目元に開いた空間から、それが見て取れた。
しかし、少年は構わずに続けた。
「僕、あなたに会いたくて、ここまで来たんです! お願いです、僕を弟子にして下さい!」
テロス密林に、不釣り合いなほどに悲痛な少年の声が響いた。
ヤオザミに突き上げられて追いつめられるのは、初心者ハンターの宿命です。
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