「さあ、<時>は満ちた。まずは契約内容の確認といこうか・・・」
突如現われた黒い男。彼は“私”の額に手をかざした。
――――大切な人を埋葬した直後のことだった。
景色が見えた。
姫らしき娘と兵士が、馬を駆って逃げてゆく。
周りは火と矢と屍の海。どうやら戦が起きたようだ。
「もう良いのです。貴方は十分私を守ってくれました。貴方だけでもお逃げください」
「いいえ姫、私は最後まで貴女を守ります!」
馬を御しながら、兵士は叫んだ。
「兵士といえども、自分の身を第一に考えても良いはずです。お願いです、私を降ろして下さい!」
「なりませぬ!」
「なぜです!?」
「貴女は私を助けてくれた。貴女のおかげで私は兵士になれた。貴女は一人ぼっちだった私のそばにいてくれた・・・・・・・っ!私にとって、貴女は命よりも大切な存在なんです!!」
兵士は声を張り上げた。
しかしその直後、馬の足を射られ、二人は転倒した。無数の矢が二人を襲う。
「姫、姫、ご無事ですか・・・・・・?――――ああ、結局私は、貴女をお守りすることができなかったというのか・・・・・・?そんなの嫌だっ!!」
口の端から血をしたたらせ、兵士は吼えた。
「お願いです、大いなる神々や精霊だなんて言いません。たとえ悪魔だってかまいませんから・・・・・・!だから、だからどうか・・・誰でもいいから・・・・私の愛する人を・・・たす・・・・
け・・・・・・・・」
兵士の意識は闇へと落ちていった―――。
『救いたいか?その者を』
「!?」
目を開けると、一人の男が立っていた。闇をまといし黒き存在。
そしてそれとは対称的な、真っ白な空間。矢も悲鳴も血のにおいも無い、完全なる静寂・・・。
「貴方は・・・?」
『我は闇に住まう者。呼び声にいざなわれ、ここへ来た。お前の願いを叶えてやろう。我と契約し、その代償を払うというのならばな・・・』
「代償・・・?」
『そうだ。お前に課する代償は、お前自身の<時>。さすれば我はお前の僕となり、お前の<時>は我のものとなる。どうだ?』
「・・・いいでしょう。私の<時>を差し上げます。だからその代わりに、私の大切な人を・・・助けてください!」
景色が変わった。
「お父さーん、こっちこっちー!」
袋いっぱいのパンを抱えて、十前後の少女が走ってゆく。そしてそんな彼女を見守る、父親らしき男の姿。
ごく普通の村の、ごく普通の風景。たわいのない会話。ささやかな幸せ―――・・・。
少女は教会の前まで来ると、立ち止まって向かいの山々を一望した。
「お山が赤や黄色に染まっててキレイだね。まるでドレスを着てるみた・・・」
「魔物だ、魔物が攻めてきたぞー!!」
突然の叫び声。次々と上がる悲鳴。押し寄せる人の波。襲い来る、黒く巨大な生き物たち―――。
「早くこっちへ来なさい!」
父親が少女を呼ぶ。しかし逃げゆく人々に突き飛ばされ、少女は倒れこんだ。
「お父さんがそっちへ行くから、おとなしく待って――――」
言い終わらないうちに、荒れ狂う魔物が少女のいる教会を叩き壊した。
「!!!――――――姫っっ!!!!」
男はガレキに埋まった少女を――――かつての主君を―――死に物狂いで探した。
ガレキをどけると、少女は頭から血を流し、ぐったりとしていた。
「起きるんだ!起きてください・・・・・・姫っ!!」
しかし少女はピクリとも動かない。
「そんな・・・私はまた、貴女を守れなかった・・・・・。今度こそ、今度こそ・・・・貴女と共に生きられると思ったのに・・・・・・っ!こんな・・・こんなことって・・・」
『案ずるな』
男が振り返ると、いつのまにか背後に黒い男が立っていた。
そしてあの時と同じ、真っ白な空間――・・・。
「あな・・・たは・・・」
『我との契約を解除せんかぎり、その娘の魂が、身体から離れることはない。身体の<時>が戻り、記憶を失い、また甦る・・・』
「本当に・・・!?」
『無論だ。わかったらとっとと逃げることだな。首を落とされると、魂が離れていってしまうぞ』
そう言うや否や、黒い男の姿が掻き消えた。同時に、あの真っ白な空間も消えていた。
男は少女を抱えて走り出した。
また景色が変わった。
今度は先ほどの少女とは違い、あの姫と同じ年頃の娘であった。顔色が悪く、どうやら病に臥しているようだ。そしてその隣には、彼女を看病する一人の中年の男。
少しずつ、彼女の呼吸が小さくなってゆく。男はただ黙ってそれを見つめるだけ。
――――娘の<時>が止まった。そして再び、巻き戻る・・・・・・。
花火のように現われては消える幻影。
小さな小さな少女。それとは逆に、年老いていく男の姿。
少女は毒蛇に噛まれ、死んだ。それでも再び動き出す彼女の<時>。
終わることのない生、しかし救うことの出来ぬ御魂―――・・・。
「次でもう・・・終わりにしよう・・・」
男は静かに呟いた。
今、“私”はあの人の眠る墓の前に立っている。長い<時>を共に過ごした、大切な人の――・・・。
『さて、そろそろ正式に貴様の<時>を頂こうか』
黒い男は手を下ろして言った。
『お前は我に自身の<時>を差し出し、我が主となった』
「・・・はい」
『ゆえにお前はこれから、我と共に生きねばならん。いいな?』
「・・・・・・はい」
“私”は素直に頷いた。目的を果たした今、もはや恐れるものなど何もない。
『・・・・・・いい返事だな、――――――――姫君』
男は冷たい笑みを浮かべた。
『・・・・・・“私”はもう、姫などではありません。小さな農村で、優しい父に育てられた、ごく普通の娘です。――――全てを知るまでは・・・」
そう、この悪魔と契約したのは、この“私”。愛する人を救うために、自らの<時>を差し出した愚か者は、この、“私”―――・・・。
『あの時、我はあの兵士に呼ばれて来てみたものの、奴は我と契約する前に息絶えてしまった。しかし【運良く】入れ違いに目覚めたお前は我と契約し、奴は甦った・・・』
男は嬉しそうに続けた。
『その時の奴の顔は今でも覚えているぞ。自分を助けるために赤子へと変貌したお前を見た時、発狂せんばかりの勢いで泣き叫んでいた。ましてや「次で終わりにする」と言っておきながら、自分が先に逝ってしまうとは・・・・クッ、実に哀れな男だな』
男はくつくつと笑った。さもおかしくてたまらないといった感じだ。
この氷のような男には、きっとわからないだろう。誰かを愛することも、その人の為なら<時>だって捧げられるという<想い>も・・・。
とんだ茶番に過ぎぬに違いない。
しかしそれはある意味正しいのかもしれない。“私”は目的のためなら手段を選ばなかった。禁忌を犯した。愛する人を苦しめた。
“私”は<人>すらも捨て去った、ただただ愚かな存在なのだから・・・。
『・・・では行くとするか、我が主よ。言っておくが、自決などということは考えるなよ?そのようなこと、我は絶対に認めんからな』
「ご心配なさらず。そのようなこと、決して致しませんわ」
この男の心意がどうであろうと、願いを叶えてくれたのは事実だ。約束を違えるわけにはいかない。
『フ、いい心構えだ。・・・ではどこへ行きたい?地の果てまでとてついて行くぞ』
「そうですか・・・では、“私”は世界中を旅して回りたいのです」
『ほう、なぜ?』
「いずれ生まれ変わるであろうあの人に、会いに行きたいのです」
男の表情が歪んだ。
『あの兵士に?愚かな・・・。いつ、どこに生まれ落ちるかわからぬのだぞ?たとえ見つかったとしても、貴様らは決して結ばれない。貴様は不老不死の化け物なのだからな!』
男の言葉が“私”の胸へと突き刺さる。
本当はずっと前から気づいていた。自分が普通ではないと。
“私”はもう二十五年もの歳月を生きている。それなのに、見た目はいつまで経っても
姫の年頃のまま・・・。
「わかっております。禁忌を犯したものが、あの人を幸せに出来るはずがありませんもの。だからせめて、あの人が幸せかどうか、“私”以外の大切な人を見つけられたかどうか、知りたいのです」
『・・・いいだろう』
男は静かに頷いた。
こうして、ようやく“我”は手に入れたのだ。共に永遠の<時>を歩む相手を。短いはずの六十余年は、あまりにも長かった・・・。
しかし<心>までは手に入らなかった。
やっとあの忌々しい兵士が消えたというのに、この娘の<心>はずっと、あの男に傾いたまま・・・。
きっとこの娘にはわからぬだろう。“我”のこの<心>も、この<想い>も、永遠に。
そして二人は永久の<時>を歩む―――・・・。
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