一週間だけの彼女
この小説は共同企画小説『一週間』のテーマを元に製作しています。共同制作の先生方の作品は「週間小説」で検索すると見れます。是非、そちらもご覧下さい。
僕は生まれて初めてラブレターをもらった。クラスの女の子からの告白。
正直嬉しかった。でも僕には――。
他に気になる人がいた……。
今日もお弁当を作ってきてくれた彼女。
恥ずかしそうに俯き、僕にお弁当を差し出す手は少し震えていた。そのお弁当箱を受け取り、僕達は一緒に御飯を食べる。
「……おいしい?」
怖々と僕に聞いてくる声は心配そうに震え、感想を待っているようだった。だから、僕は、
「うん、おいしいよ」
そう笑みを浮かべて答えた。その途端、嬉しそうに微笑む彼女は頬を朱色に染めて、恥ずかしそうにまた俯く。
「卵焼き……失敗しちゃって」
「そんな事ないよ。おいしいよ、卵焼き」
本当においしかった。彼女は料理が得意みたいで、その味には唸ってしまうほどだった。
お弁当は今日で三日目。毎日、色とりどりのおかずで、飽きの来ない作りをしている。冷凍ものは一切なく、全てが彼女の手作りだと言う。これだけの料理が出来ると言う事は、相当頑張って作ってるのだろう。
「ごちそうさま」
「うん。お粗末さまでした」
箸を置き、弁当箱を包んで返すと、それを大事そうに胸に抱えて自分の席へと戻っていく彼女。
なんで、こんな事になってるんだろう。
あの日、あの場所でした約束は、本当に正しかったのだろうか。それを今考えても分からないけど、僕にはこれを受け入れるしかなかった。
約束は、一週間限定で付き合う事――。
ラブレターをもらったあの日、僕は指定された場所に行った。
それは断る為。
僕には受け入れる事が出来ないから……。
そして、その場所に彼女はいた。僕を見て少し驚いていたが、意を決して僕に告白した。
「……好きです。付き合ってください」
彼女は顔を真っ赤にしながらも、そうはっきりと僕に言った。その瞳はとても真剣で、これが冗談ではない事を物語っている。あまりの真剣な瞳に一瞬、心が揺らぎそうになった。人を好きになるという事が、これほどまでに重いとは――僕は告白も出来ない臆病者。好きな人がいるのに、それを見ているだけの臆病者だ。
彼女は僕なんかよりも数倍、いや数十倍の勇気を持っている。とても真似出来るものではない。
それでも――
「ごめん……。僕には、好きな人がいるんだ」
僕は言った。もしここで告白を受ければ、楽しい学校生活が送れるだろう。彼女と一緒に楽しく過ごせるだろう。だけど、それは表面上の事。今の僕は他の人に気持ちがあるのだから。
そんな僕が真剣な彼女の思いを弄んでいいわけがない。だから断った――これでいいはずだ。
「そう……ですか」
彼女はやっとの思いで小さく声を吐き出し、黙ってしまった。その顔は悲しそうに歪んでいく。
もしかしたら泣き出すのだろうか、もしかしたら走っていってしまうのだろうか……僕が思案していると、
「私と、一週間だけ……お付き合いしてください」
彼女から予想外の言葉が投げ掛けられた。
「……え?」
「お願い……します」
彼女は何を言っているのだろう。僕には意味が分からなかった。でも彼女の瞳は真剣で、真っ直ぐに僕を見つめている。冗談では言っていない。これはどうしたらいいのだろう……こんな事を受けるわけにはいかない。
――そんな軽はずみに受けていいものではない。
でも、彼女の瞳を見た僕は、ただ頷いていた。考えが纏まらないうちに、僕は首を縦に振っていた。
そして始まった一週間の期間限定恋愛。
上手くいくはずなんかない……最初はそう思っていた。
一日目は僕の思惑通り、お互いに意識して会話が出来なかった。それでも一生懸命、僕に接しようとする彼女の姿がとても印象的だった。
僕には真似の出来ない事だった。好きだから……それだけの理由で、ここまで出来るものなのだろうか? 僕は好きな人に、ここまで出来るのだろうか? そこまでの気持ちを僕は持っているのだろうか。
彼女を見ていて思う。恋愛はお互いに楽しむもの――彼女はそう教えてくれてる気がしていた。
今日で四日目。
やっと普通に話も出来るようになったが、今日は彼女の様子がどことなくおかしかった。調子が悪いのだろうか、いつもの笑顔がなく、どこか辛そうに見えた。
そんな事を考えながら授業は終わり、放課後を迎えていた。彼女の事も心配だったが、ホームルームが終わったときには彼女の姿はもうなかった。一抹の不安を抱えながらも、僕にはどこにいるのかも分からないので、帰ろうと下駄箱まで行ったところで教室に忘れ物をしたのを思い出し、引き返してきたが、
「……はあ、はあ」
誰もいないと思っていた教室から、声が聞こえてきた。
「……ごほ、ごほっ」
放課後の教室――少し開いているドアの隙間から中を覗くと、彼女が苦しそうに胸を押さえて蹲っていた。
「だ、だいじょうぶっ」
僕は慌ててドアを開け、彼女の元へと駆け寄った。肩は激しく上下し、息遣いは普通のそれとは違い、かなり早く呼吸をするのも辛そうにしている。
「……だ、だい……じょう、ぶ」
彼女は僕に気付いたのか、空ろな目を向けて笑顔を作ろうと必死だが、その顔は苦痛に歪んでいる。何が彼女に起こっているのか、分からないがこんな彼女を見たのは初めてだった。
「大丈夫じゃないよ。どうしたのっ?」
「しん、ぱい……しない、で……」
苦しそうな顔に笑みを浮かべ、手元に落ちている鞄から小さな袋を取り出した。
「こ、これを……飲めば」
その袋からピルケースを取り出し、その中にはいっている錠剤のようなものを掴むと口に入れる。
彼女の手が何かを探すように彷徨うので、咄嗟に”水だ”と思い、視線を巡らしていくと彼女の鞄の中にペットボトルが入っているのが見えた。急いで鞄からペットボトルを取り出し、キャップを開けて彼女に手渡した。それに口を付けて、ゆっくりと薬を飲み込んでいく彼女の喉元が揺れる。
「だいじょうぶなの? どこか具合でも悪いじゃないの?」
薬を飲み、暫くして落ち着いた様子を見せる彼女は、僕に笑顔を向けて頷いていく。その顔はまだ少し辛そうに見えるが、それでもさっきよりは大丈夫そうだった。
「もう……大丈夫です」
「……ほんとに?」
「はい。それよりも、一緒に帰りませんか?」
にこり、と微笑みながら立ち上がっていく彼女は、まだ少しふらついている。さすがにこんな彼女を一人で帰すわけにはいかず、僕は頷いて一緒に帰る事にした。
そして五日目が過ぎて、今日は六日目――日曜日。
今日は彼女とデートをしている。彼女は「これも記念ですから」と、僕に微笑んだ。その笑顔はどこか寂しげで、今にも消えしまいそうで、僕は怖かった。それに彼女の身体の事も気になるので聞いたが、「大丈夫ですよ」の一言で片付けられて、それ以上は聞く事が出来ない。だから、また”もしも”の事があるといけないと思い、こうしてデートをする事にした。実際にはもっと彼女といたいという気持ちがあるのだが……。
「どこ行くの?」
「えっと……あのお店です」
彼女が指さした方向にあるのはアクセサリーショップで、最近出来た新しいお店だった。何を買うのだろう? まさか、僕に買わせるつもりなのだろうか? でも、彼女の性格からしてそんな事はありえない。そんな僕の思考を中断するような出来事がいきなり起こった。
――僕の手は、彼女に握られていた。
握られた手は少し震えているが、彼女は緊張してるのだろうか。いや、もしかしたら僕の手が震えているのかも知れない。
僕はとても緊張している。初めて、女の子と手を繋いだのだから。いや、この一週間――全てが初めてづくしだった。告白、女の子の手作りのお弁当……そして、デート。正直楽しい気持ちでいっぱいになっている自分に気付いたときには、彼女がそばにいてくれる事が心地よくなっていた。
僕の中でゆっくりと、でも確実に変わっていく気持ち。それは、この一週間で終わりになる彼女への思い。それと引き換えに段々と薄れていく好きだったあの人への気持ち。
今は彼女といる事が、僕にとって一番の事へと変わっていた。
お店に入り、店内を歩く僕達。色んな形、色をしたアクセサリーが所狭しと並べられている。
彼女は楽しそうにアクセサリーを僕に見せながら笑みを浮かべる。その笑顔はとても綺麗で、輝いている。こんな事、絶対に他の人には言えないが、ここにあるどんなアクセサリーよりも輝いていると僕は思う。
――笑顔が似合う彼女。
この笑顔は”今”は僕だけに向けられたもの。でも、一週間経ったらそれも終わる。
きっと彼女は違う人を好きになるだろう。そして、その人にこの笑顔を向けるのだろう。それはとても辛い事だ。この笑顔を僕だけのものにしたい。それは僕のわがままなのは分かっている。僕の勝手な思いだと言う事も分かっている。
一週間経てば、彼女はいなくなる。それは最初から決まっていた事。僕が引き止めれば、あるいは……。でもそんな事は出来ない。出来るはずがないんだ。
僕は彼女の告白を断った男。本来なら、今こうして一緒にいる事も許されないはずだ。だから……だから僕は、このまま終わりを待とう。
それが僕と彼女の期間限定の恋愛なのだから……。
「これ……どう思います?」
「どれ?」
彼女が見ているもの――それは小さな羽根飾りの付いたペンダント。シルバーのシンプルな作りをしたデザインで、彼女に似合いそうだ。
「いいと思うよ。似合うと思うけどな」
「え? ち、ちがいますっ、私じゃなくて……」
首を横に振りながら顔を真っ赤にする彼女は、僕を見つめて恥ずかしそうに俯いていく。もしかして僕にって事かな?
確かに男の僕がつけても、おかしくないデザインだと思うけど――
「あなたに……プレゼントしようと思って」
「僕に……?」
「はい。今日のお礼に……」
優しく微笑みを浮かべた彼女は、ゆっくりと僕の手を離して歩いていく。
その手にはペンダントが握られており、そのままレジに向かい会計を済ませると、また僕の所に戻ってきた。両手で大事そうに紙袋を抱えている彼女の顔は、楽しそうに微笑みを浮かべている。
今を楽しんでいる――そんな笑顔だった。
「今日は……ありがとうございました」
「ううん。僕も楽しかったから」
彼女はゆっくりと頭を下げて、上げたときの顔は笑顔だった。心から楽しそうな笑みを浮かべている彼女を見るのは僕も嬉しい。でも、もう終わりだ。明日で、この恋愛も終わり。
僕の胸に渦巻いているのは、寂しさ、悲しみ、後悔、それは彼女も同じなのだろうか。
このまま付き合えたら……。でも、それは望んではいけない事。なんども心の中で飲み込んだ言葉。
「これ……お礼です」
彼女は抱えていた紙袋を、大事そうに僕に手渡してくれる。これは彼女の思いがつまったもの。彼女の気持ち。僕は受け取っていいのだろうか? 彼女の気持ちを一回踏みにじった僕が、また彼女を傷つけるかも知れない僕が――。
「受け取ってください。……お願いします」
紙袋を持つ手が震え、その瞳には薄っすらと涙が溜まっている。彼女の気持ち――今だけは全てを忘れて受け入れよう。それが僕にできる精一杯の気持ちだから。これ以上のものを望んでいけない僕の精一杯の気持ち。
「ありがとう。大事にするよ」
震える彼女の手から紙袋を受け取る。それは思いのほか、軽い紙袋。でも、彼女の気持ちがつまった紙袋。僕にはそれがとても重いものに感じられた。彼女の気持ちの大きさに、僕はただただ嬉しかった。
日は変わり――七日目、最終日。
一週間の期間限定恋愛も今日で終わり。しかし彼女が来ない。もうすぐホームルームが始まる時間だと言うのに、姿が見えなかった。いつもならとっくに来ているはずの彼女が今日に限っては来ていない。何故か言い様もない気持ちが心を掻き乱していく中、教室のドアが開く音がした。
彼女が来たのだろうか。そう思い、ドアの方を向いたが、入って来たのは担任だった。
真っ直ぐに教卓の前まで歩いていく担任の表情は、いつにも増して真剣で、眉間にシワを寄せていた。そして担任から告げられた言葉。それは非情な言葉だった。
『……が昨日、入院しました』
誰が、どうなったって? その言葉は僕の鼓膜を震わせ、胸を抉っていた。だって、昨日一緒にいたんだよ? あんなに楽しそうに、あんなに元気に、僕と一緒にいたんだ。それなのに、なんで……なんで、そんな事に――。
『前から、調子が悪かったみたいだが……』
そんな素振り、僕の前では見せた事――いや、一度だけあった。あの日、彼女は苦しそうにしていた。なんで僕は気付かなかったのだ。彼女の「大丈夫」の言葉を信じ過ぎていた。もっと早く知っていれば……。なんで教えてくれなかったんだ。
『昨日の夜、容態が急変したらしい』
担任の声だけが静かな教室に響く。静寂に包まれた教室の中、数人の女子生徒のすすり泣く声が聞こえてきた。
誰も知らなかった事実。彼女が病気だったという事実を知っても、俄かに信じられない現実。でも、僕の心にもそれは現実として響き出す。それを受け止めるかのように涙が頬を伝い、ゆっくりと流れ落ちていった。
彼女は静かに眠っている。
放課後、僕は彼女が入院している病院へとやってきた。殺風景な白一色の病室。その窓辺に横付けされたベットの上で静かに眠る彼女。
その顔は穏やかで、とても病気とは思えなかった。
「ねえ……なんで、何も言ってくれなかったの?」
静かに響く僕の声に誰も答えてはくれない。
僕には想像も出来ないほどの痛みが襲ってきていたのだのだろう? 苦しかったのだろう? どうして僕に病気の事を教えてくれなかったんだよ。たった一週間でも、僕は彼氏じゃなかったのか……。悔しくて、悲しくて、自分が許せなくて、僕は泣いていた。
一週間だけの彼女。
僕は気付いていたはずなのに。彼女が一緒にいる事が、どれだけ大切かという事に気付いていたのに。
今更こんな事を言うのはおかしいと思う。
それでも、僕は失いたくない。彼女のそばにいたい。一週間だけど、たった一週間だけだったけど――。
僕は彼女を失ってしまったのかな? でも、まだ終わってないよね。だって、今日はまだ七日目。
まだ、君は僕の彼女だから……。
この気持ちを伝えたい。例えそれが実らなくても、僕は構わない。一週間前とは逆の立場になるけど、今度は僕が伝えるから。僕の気持ちを君へ伝えるから。だから、僕にいつもの笑顔を見せてよ。君が笑うと僕は嬉しいだ。
「ねえ……大好き、なんだよ。僕は君の笑顔が、君が大好きなんだよっ」
溢れ出した涙が止まる事なく頬を伝い落ち、手の中にあるペンダントを濡らしていく。淡い光を放つペンダントは、涙に濡れて一層の輝きを増したように見える。これは君の答えなのかな? 僕は信じてもいいんだね。
「笑って、くれるんだね……」
その輝きは、彼女の微笑みのように僕の心に広がっていた……。