つまみ食い
僕は昔からよくよく貧血で倒れる虚弱体質だから、保育園の頃から今までの10年以上も人に輸送されてきた経験がある。自慢するこっちゃないけどね。
でも、お姫様だっこで運ばれたのは初めてだなー。
「滅茶苦茶恥ずいっす」
「君がおんぶは嫌だっていうからだろう」
「いや、おんぶが嫌なんじゃなくて、君に運んでもらうのが嫌なんだってば」
「何故だ?」
彼女は微かに眉根を寄せ、首を傾けて言った。
「何故だって……。そりゃあねぇ、君、よくよく考えてもみてよ」
だって、お姫様だっこですよ? 普通の女の子でも恥ずかしがるあのバカップルの所業ですよ? 結婚式くらいでしか見たことがないあのお姫様だっこだよ? しかも、それを僕がしてんじゃなくてされてるんだからその恥辱といったらもう筆舌にし難いよ。その上、お姫様だっこをしているのが女子だっていうんだから、恥ずかしさマックスさ。
幸運だったのは僕のクラスの列が講堂の出入口近くだったから、クラスの半分くらいの人にしかこの様子を見られていなかったということだ。もっと大勢の人に見られていたら、僕はビルから身投げするね。勿論、下に人がいないときを見計らってやるよ。
てなことを僕は懇切丁寧に得々と説明してあげた。
そんなこと言ってる元気があったら、自分で歩けって思うかもしれないけど、これが不思議なことに、僕はどんなに体の調子が悪くても口だけは達者に動くようにできているんだ。たぶん、死ぬ直前まで益体もないことをべらべらべらべら言い続けるだろうね。煩くてしょうがない。
「しかし、君はかわいいな」
なんか、いきなり、全然、筋とは違うこと言われた。
「は?」
「君はかわいいなと言ったんだ」
「いや、繰り返さないでいい」
そんなこと言われるのも恥ずかしいからね。女の子が「かーわーいーいー」って言われて「やーだー。恥―ずーかーしーいー」って恥ずかしがるのとは全然違う。どちらかというと、「やーいやーい! チービ! チビー!」って馬鹿にされるときの恥辱に似ている。チビで悪かったね!
「しかし、君がかわいいのは事実だ」
「事実ならば尚のこと嫌だよ」
僕は不機嫌に答える。
しかし、彼女は僕の機嫌や反応など意に介さず、ずっと僕の顔を覗き込んでいる。前を見て歩いてよ。僕ごと一緒にコケたら嫌だからね。
「お願いがある」
「奇遇だね。僕もあるよ」
「ん。じゃあ、どーぞ」
ここは、いやいや、君こそお先にどーぞという場面じゃなかろうか。そーやって、いやいや君が、いえいえ君が、と質問者を押し付けあうのが日本人の特性だ。日本的遠慮謙虚な精神というものだね。
「じゃあ、僕のお願いなんだけど」
でも、僕はその過程が面倒くさいので相手の言葉に甘える。
「お姫様だっこ止めてくれない? 今更だけどおんぶで」
いくらなんでもお姫様だっこは恥ずかしいこと極まりないんだ。おんぶならばまだマシだと思う。ただ、ここで降ろされると、僕は保健室まで這って行かないといけないから、それは勘弁だ。制服が埃まみれになっちゃうからね。というわけで、おんぶに変更して欲しいわけさ。
「いや、それは駄目だ」
僕のお願いを彼女は即座に却下した。
「何でさ?」
「そーすると私のお願いができなくなる」
お姫様だっこされてないと叶えてあげられないお願いなんてのが僕にとっていいことであるとは思えない。
「それで私のお願いなんだが……」
「残念で恐縮なんだけど断らせてもらうよ」
「な、何故だ……。せめて内容だけでも聞いてくれ」
彼女はちょっと困ったような顔で言った。
そーいうふうに困られると、参っちゃうなー。僕の心の中である感情がみるみる大きくなっていく。
自分で言うのも、何だけど僕は性格が悪い。どんなふうに悪いかっていうと、例えば、こんな場面で、彼女が困っているのを見ると、更に困らせたくなっちゃうのだ。だから、僕は彼女のお願いを聞くわけにはいかないんだ。
「拒否します」
「なっ!」
そこでピョコンとある言い回しが思いついた。僕は、いや、僕に限らず人にはふとピョコンと思い浮かぶ言い回しがあるはずだ。そして、それを口に出さずにはいられないという衝動に襲われることもあるはずだ。大抵の人はそれを我慢する。でも、僕は我慢しない。僕は基本的にあまり我慢をしないタイプの人間なんだ。
だから、ちょろっと言ってみた。
「団子拒否します」
分かるよね? これ。断固と団子をかけた駄洒落。あ。引かないで引かないで。こんなもんで引いてたら社会に出られないよ? 社会(特に職場)は駄洒落の巣窟なんだから! 社会では上司が言った駄洒落を華麗にスルーする技術が必要になるんだよ。これくらいの駄洒落で一々引いてたら仕事にならないんだぞ?
「……………」
僕の素晴らしい駄洒落に彼女は声もないらしい。
「それでお願いなんだが」
「あれ? スルー?」
「キスしてもいいか?」
「駄洒落スルーされたー。きっついわー」
僕は彼女の言葉を無視して、スルーされた駄洒落を悼む。一つの笑いどころか反応も得られなかったともなれば駄洒落も浮かばれないってもんだよ。せめて、せめて「つまんない」の一言くらいあってもいいじゃないか。
あれ? ちょっと待って。さっき、彼女、ちょっと変なこと言ってなかった?
「ごめん。僕、ちょっと耳の調子が悪いみたいなんだ。故障して雑音が混じってる感じがするね」
「む。そうか。じゃあ、耳元で」
「言わなくていい!」
「いや、もう一度言う。言わせてくれ」
「いやいや、いいから。言わなくていいから。口チャックしなさい! 口チャーックッ!」
僕が言うと彼女はむっつりと不満そうな顔で黙り込んだ。黙り込んだことは結構だけれども、なるべく前を向いて歩いて欲しいな。転ばれたら大変だ。
「まったく、あんまり僕を混乱させるようなことを言わないで欲しいな。僕は今、貧血でお脳がちょっと困った状態にあるんだ。そんな状況であれこれ混乱させるようなことされちゃあお脳の状態が余計に悪いことになっちゃうじゃないか。いいかい? こんだけベラベラ喋ってるからって大丈夫ってなことじゃないんだからね? 僕の喋りは体調や気力と比例しないんだから。さぁ、さっさと僕を保健室に運んで行ってくれると助かるな。そろそろもう本当にベッドの中でぬくぬくしないと意識を保つことも困難に」
「ちゅ」
ん? あれ? ちょっと待って。ちょい待ち。さっき、視覚器官と感触器官から持ち込まれた情報で僕の脳内が混乱状態にある。脳の血管で血液が沸き立ってる。温度上昇中。だから、一旦、落ち着こう。
よし。ちょっと落ち着いた。じゃあ、さっき持ち込まれた情報を分析してみようか。何事も情報を正確に分析することが重要だからね。この情報の解析を誤り大失敗を犯してしまったということが世の中には色々と前例があるからね。例えば、第一次世界大戦の勃発なんかはその典型だと思うな。相手の起こした行動や発言を正しく理解や分析をできなかった結果、誰もが望んではいなかった開戦という最悪の結果へと帰結してしまったわけだ。詳しくは自分で調べて欲しいね。
僕はそんなふうな歴史が示す失敗を犯さないように慎重に正確にきっちりと情報を解析しようじゃあないか。
さて、まず、先ほどの出来事を冷静に振り返ってみようか。
まず、僕がべらべらと無駄なことをほざいていると、彼女がおもむろに顔を近づけてきて、桃色の柔らかい唇を僕の額に押し付けた。それだけ。それだけ。それだけだよ! そう! 額に人の唇がちょんっとくっ付いただけだよ。気にする必要はない。ない。全くない。そうなのだ。そうなんだよ。だから、なーんにも気にしないでいいんだよ。あれ? 僕、さっきから同じこと繰り返し言ってる? まだ落ち着けてないみたいだ。
でも、高校生なんていう青春鉞(真っ盛りの意)の身分にとってはでこちゅーなんて行為は一大事だ。
何言ってんの所詮おでこでしょ? おでこ。なーんて思う人は、明日、学校か職場に行って隣の人に「おでこにちゅーしてもいいですか?」って聞くなり実行するなりしてみなさい。恥ずかしいから。照れるから。照れないあなたは外国人に違いないね。
とにかく、ただのクラスメイトがする行為としては少々度が過ぎているというのが一般常識だろうな。少なくとも、僕は今までクラスメイトからでこちゅーされたことなかったし、されてる人を見たこともなかったからね。
そんなふうに僕を混乱に陥らせた彼女は何事もなかったような顔をして、相変わらず僕をお姫様抱っこで保健室までの搬送を続ける。
「君さ」
「何だ?」
彼女はいつものクールフェイスで僕をちらっと見る。微かに、ほんの微かに、顔が赤い。
「やってくれたね」
彼女はもう少し顔を赤くしながらも無表情を崩さずてけてけ進み続ける。
全く、この僕を混乱させるとは困った娘だなぁ。なんて考えつつ、僕は目を閉じた。お脳が更にてーへんなことになりそうだ。
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