挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
枯花廻りの籠の中 作者:高良あおい

第三部

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

76/173

番外編・四 叶わなかった逃亡劇

 がしゃん、と鎖が地に落ちる。同時に彼が魔法陣を描き、何事かを呟くと、ずっとわたしを包んでいた倦怠感に似た重さや体中の痛みがふっと消えた。疲れたように嘆息すると、アドニス様はわたしに向かってそっと微笑む。
「痛いところはありませんか、ティナ?」
「平気です。アドニス様が治してくれたもの。……あの、それも魔法ですか? わたしにも使えるかしら」
 彼と出会って三年。その間に、たくさんのことを教わった。この世界のこと、この国のこと、神子のこと。その彼の話から考えれば、わたしは魔法を使うのに必要な条件を十分以上に満たしているはずだ。……いや、知識や頭の良さは、ちょっと危ういかもしれないけど、それはさておき。
 その証に、わたしには確かめる方法は分からないが、わたしとあの男の娘であるカタリナはとんでもない魔力の持ち主だという。あの男の今の地位はその残虐さや狡猾さと武力で築いたもので、魔法は人並み程度にしか使えないとアドニス様は語った。ならば娘の魔力はわたし譲りか突然変異のどちらかで、わたしが神子である以上、突然変異なんてありえない。
「ええ、もちろん使えますよ。……ただ、古語や魔法陣を学ぶ必要がありますから、今すぐには無理でしょうね」
「そうですか……」
 苦笑交じりの彼の言葉に、わたしは肩を落とす。もし使えたら何かの役に立てるかも、と思ったのだけど。アドニス様はそんな私の手を引いて立ち上がらせると、ぽんと頭に手を置いてきた。……この手が、大好きだ。優しくて温かい、大きな手。わたしを苛めない、傷つけない。あの気の遠くなるほど長かった孤独と絶望から、わたしを救い出してくれた手。
「この国を出たら教えて差し上げますよ。ウィクトリアには古語がありませんが、かつて旅の果てにこの地へ流れ着いた人々が使っていた魔法ならあるのです。……ああ、ですが、この国とは縁を切りたいですね。ティナ、どこか行きたい国はありますか?」
「風の国に! アドニス様が前にお話ししてくれた、治癒の塔を見てみたいんです」
「王城と並び聳え立つ癒しの象徴、ですね。貴女の体力を回復させるのにもちょうど良さそうです。分かりました、ではアネモスに向かいましょうか」
 答えながら、アドニス様はわたしの手を握ったまま、早歩きで部屋を出る。普段は護衛――という名目でわたしを見張る兵士がいるはずの場所には、しかし今は誰もいなかった。
「あれ……?」
「これでも王の弟でして」
 首を傾げるわたしを見て、彼は悪戯っぽく微笑む。「急ぎましょう」と囁くと、アドニス様は速度を緩めず足を進めた。
 やがて、彼は何の変哲もない壁の前で立ち止まる。わたしと繋いでいるのとは逆の手を装飾の一つに当て、そっと刻み込まれた紋様を指でなぞると、紋様は淡い光を放った。アドニス様は他のいくつかの紋様も同じように光らせると、全く同じ順番でその石たちを押していく。最後の一つが壁の向こうに沈むのと同時、カチッと何かがはまるような小さな音がした。少しして、目の前の壁がゆっくりと、扉のように開く。
 現れたのは、階段だった。扉のすぐ近くに置かれた松明に魔法で火を灯すと、彼はもう片方の手で、まるで小さな子を抱き上げるかのようにわたしを抱き上げる。
「あっ、アドニス様……? 一人で下りられます!」
「嘘を吐かないでください。疲れたのでしょう? 足が震えていますよ。これだけ長い間閉じ込められていたのですよ、無理をしてはいけません」
「……はい」
 大人しく頷き、わたしはアドニス様にしがみついた。彼は満足げに微笑むと、勢いよく階段を駆け下りる。下が見えてきたところで、アドニス様は床を蹴って飛び降り、殆ど音も立てず優雅に着地した。無理を言って下ろしてもらうと、わたしは彼の後について暗い通路を歩き出す。
 アドニス様の持つ松明以外に、明かりと呼べるものは存在しない。思わずぎゅっとしがみつくと、彼は心配そうに振り返った。
「本当に大丈夫なのですか? やはり無理をしているのでは……」
「あっ……ごめんなさい、平気です! ただ、その……少し、怖くて。あの、ここは?」
「有事の際、王族が城から逃げるために造られた地下通路ですよ。暗くて見えないかもしれませんが、今通っている道以外にもいくつか分かれ道があって、城下の至るところに繋がっています。王族と一部の兵士以外は存在を知りませんから、ここまでくれば――」
 不意に聴こえた『それ』に、アドニス様の言葉が途切れる。彼は静かに上を見上げ、その眉を顰めた。同時に、わたしも彼にしがみつく手に力を込める。一度しか聞こえなかったけれど、今のは。
「アドニス様……」
 呟く私に応えるかのように、今度はさっきより大きく、同じような声が聞こえた。
 ……間違いない。これは、悲鳴だ!
「っ、……急ぎますよ、ティナ!」
 アドニス様も同じことを思ったのだろう、わたしの手を引き、殆ど小走りに近い速さで歩き出す。断続的に聴こえ出した悲鳴に気を取られつつ、わたしもまた必死に足を動かした。
「もし何かあれば兵の足止めを、と何人かに頼んでいたのです。……無事で、いてくれればいいのですが」
「安心しろ、皆殺しにはしない」
「っ!」
 前を向いたまま、彼はまるで独り言のように、悔しげに呟く。それに答えるように前から聞こえた声に……聞こえてはいけないはずのその声に、わたしたちは思わず立ち止まった。どこか呆然と目を見開き、アドニス様が掠れた声で呟く。
「あ……兄、上」
「奇遇だなアドニス、こんなところで出会うとは」
 楽しそうに唇を歪め、しかし恐ろしいほどに冷たい光をその目に宿して、夫はゆっくりとわたしたちに近づくと、少しだけ離れたところで止まった。息を呑むわたしをかばうように前に出て、アドニス様は険しい顔で実の兄を睨む。
「何故……貴方が、ここに」
「ほう? おかしなことを訊くな。王が自分の城にいて何が悪い?」
 今夜はこの城を留守にするはずだった男は笑顔のまま答えるが、しかし次の瞬間その笑みを消した。無表情でわたしを眺め、彼は僅かに目を細める。
「お前たちがそれほど仲が良いとは知らなかったぞ。一体どこで知り合った? ……いや、訊くまでもないな。驕るなよ、弟よ。あの館もまた、我が城だ。お前が異端者どもに手引きさせたように、私の駒も大勢いる」
「……そういう、ことですか……」
 男の言葉に、アドニス様は悔しそうに顔を歪める。……どういうこと、だろう。わたしが訝しげに彼を見るのと同時、国王は氷のような表情のまま、楽しそうに言った。
「これは重罪だぞ、アドニス。紛れもない反逆だ。『王の座を兄から奪うために王妃を誑かす』など、どんな刑に処されても文句は言えまい」
 それを聴いて、わたしもようやく悟る。そうか、この男は始めから、それを狙っていたのか。彼らにとっての『異端者』でありながら王の弟として強い権力を持つアドニス様は、国王たる男にとっては邪魔以外の何者でもないはず。だからその権力を……いや、彼の言葉から察するにその命すらも奪うために、私たちを泳がせていた?
「そんな……」
「逃げなさい、ティナ」
 思わず呟いたわたしに、アドニス様が囁く。抗議しようと彼を見上げると、青年は哀しげに微笑んだ。
「今来た道を引き返してしばらく行くと、左の方に細い抜け道があります。そちらに曲がって真っ直ぐ行けば城下の、私の部下が隠れ住む家の傍に出ますから、彼らを頼って――」
「嫌です」
 アドニス様の言葉を遮り、わたしは首を横に振る。……彼を残してわたしだけ逃げるなんて、そんなこと、出来るはずがない。溢れる恐怖を必死に抑えつけると、わたしは一歩だけ彼の前に出て、キッと睨み付けるように王を見た。
「お、……お願いがあります」
「言ってみろ」
 わたしが泣き声以外の言葉を彼に聞かせたのが意外だったのだろう、彼は興味深げにわたしを見る。声が震えないように意識しながら、わたしは頷いた。
「はい。わたしはどうなっても構いません。何をされても、犯されても殺されても、絶対に文句は言わない、わたしに出来ることなら何だってします。……だから、アドニス様を殺さないと約束して欲しいのです」
「ティナ!」
 悲鳴のような声で叫ぶアドニス様を無視するように、ただ目の前の紅い瞳を見つめる。……同じ? かつてのわたしは、なんて馬鹿なことを思ったのだろう。アドニス様の目は、こんな暗く濁った紅じゃない。彼の方が、ずっとずっと綺麗だ。
 王は僅かに目を細めると、不機嫌そうに答えた。
「本気で言っているのか? 我が妻よ。この愚弟を見逃せと」
「王弟の反逆も、それを処刑することも、広がってはいけない類の噂でしょう」
「外聞が悪い、とでも言いたいのか。このウィクトリアの狂った民がそのようなことを気にするとでも? 気にするならばそやつらもまた異端だ、捕らえる口実になる」
 そう、それは確かに、その通りかもしれない。けれど彼のそんな言葉に、わたしは無理やり微笑する。……怖くない、怖いものか。アドニス様が命を落とすこと、その方が余程恐ろしい。彼はわたしを救ってくれた、今度はわたしが――そう自分に言い聞かせ、精一杯強がった。
「確かに、国内ならそうでしょう。けど、ウィクトリアは外交はなさらないのですか?」
「……ほう」
 わたしの言葉に、国王は面白そうに呟く。彼はつかつかとこっちに歩いてくると、無言でアドニス様を牽制し、わたしの顎に手をかけて持ち上げた。……怯えるな、大丈夫、怖くなんてない。
「驚いたぞ、アドニスからどこまで聞いた? ……まぁそんなことはどうでも良い、何でもするという言葉に偽りはないな。決して逆らわぬと誓えるか」
「もちろん」
 目を逸らさず、短く答える。男が思案したのはほんの一瞬で、彼はすぐに頷くと、わたしの首を掴んで引き寄せた。当然息が出来なくなるが、逆らわないと言った手前、目立った抵抗など出来やしない。駆け寄ってこようとするアドニス様に、王は剣を突きつけた。
「動くな、アドニス。王妃の願いを無駄にしたくなければな」
「くっ……」
 悔しそうに立ち止まる彼を見て、夫は満足げに笑い、わたしの首から手を放す。思わずその場に頽れ、げほげほと咳き込みながらも、この男から逃げ出したいという思いだけは必死に抑えつけた。
 そんなわたしを見下ろし、彼は剣を鞘に納めて言い放つ。
「普段ならそんな頼みなど聞きはしないが、今は気分がいい。良かろう神子よ、お前が私に従う限り、アドニスの命だけは保証してやろう」
「……はい」
 この国王が約束を破る可能性が、無いわけではない。それでも、わたしはそっと微笑んだ。同時にどこからともなく数人の兵士が現れ、アドニス様を取り囲む。彼は絶望の滲む表情でわたしを見て、首を振った。
「いけません、貴女だけでも……」
「ごめんなさい、アドニス様。わがままばかり言って、聞いてもらって。だけどこれで最後です、わたしは、アドニス様に生きていてほしいんです」
 そう、それにわたしは『神子』なのだ。この男がそんな存在を手放すわけがない。どちらにしろ、ここで見つかってしまった時点で、わたしが逃げることは叶わなかった。二人とも生き延びるには、これしか方法がない。
「貴方がいたから、貴方に出会えたから、わたしは今までわたしでいられたんです。この世界に来てしまったことも、この国に落ちたことも不幸だったけれど、決して不幸なだけじゃなかった、アドニス様がそれを教えてくれた。貴方を見捨てるなんて、出来ません」
 じわり、と視界が滲む。……本当は今すぐ駆け寄って、抱き着きたかった。最後にもう一度、一度だけで良いから、彼に抱き締めてほしかった。だけどそれはもう叶わないから、代わりに想いの全てを言葉に乗せて、彼に届ける。きっとここで別れたらもう二度と会えないだろう、それでも、貴女のいない世界なんて耐えられない。
 やがて、アドニス様は諦めたように深く嘆息した。そんな彼に、国王は嘲るような笑みを向ける。
「別れは済んだか? 『神は決して微笑まない』、お前の口癖だったな。なるほど、確かにお前のような異端者に、神が微笑むはずもあるまい。……北の塔にでも閉じ込めておけ」
 後半は、アドニス様を取り囲む兵士たちへの言葉だろう。彼はわたしのほうに向き直ると、ぐいと髪を掴んで持ち上げる。当然、頭皮を引っ張られる痛みに、わたしは顔を歪めた。
「っ……ぅ」
「ティナ……!」
「動くなと言ったはずだぞ、アドニス。少し眠らせるだけだ」
 続く呪文に、ふっと意識が遠のく。こちらに来ようとしたのだろうか、兵士たちに取り押さえられたアドニス様に、わたしはそっと微笑んだ。
 ……わたしの妊娠が明らかになったのは、その直後のことである。一体どちらの子であるのか、それはまだ、誰にも分からなかった。
こんばんは、高良です。……ギリギリセーフ?

上手く国王の掌の上で踊らされていただけだった二人。逃亡は叶わず、それどころか恐らくもう二度と会うことも出来なくなってしまいました。
少しずつ、少しずつ。本編の時系列に近づいて行きます。

では、また次回!
off.php?img=39

+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ