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枯花廻りの籠の中 作者:高良あおい

第三部

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第十九話 痛みと後悔を重ねて

 一番最初の記憶は、物心つくよりずっと前のものだった。普段は忘れている、だけどたまに不意打ちのように思い出す、母親同士の他愛もない会話。
「慎君ったら本当に泣かないのねぇ、うちの真澄とは大違いだわ」
「真澄君は元気よね、毎晩うちまで聞こえてくるもの。慎君は夜泣きとかしないの?」
「それが全然。良い子すぎてちょっと拍子抜けだけど、おかげで助かってるわ」
 ……なかないのは、いいこ?
 なかないのが、いいこなの?
「ごめんなさいね慎君、また真澄が迷惑かけて。怖かったでしょう?」
「ぼくは平気だけど、ますみとさつきはこわがってたから……あの、あまりおこらないであげてくださいね」
「まあ、いいのよあの子たちは、自業自得だもの。でも助かったわ、慎君が冷静で。咲月ったらさっきから大泣きで、泣きやませるのが大変そう」
「慎君は強い子ね、滅多に泣かないんだもの。偉いわ」
 泣かないのは、強い子?
 ぼくまで泣いたら、大人の人にめいわくをかけるの?
 そうしたら……大人は、しつぼう、してしまうだろうか。そんな弱い子だとは思わなかったと、そういって、ぼくをみすててしまうのかな。
 そんなのいやだ、それは、こわい。
 だから、泣いたらだめだ。大人に、めいわくをかけちゃだめだ。大人の人たちがのぞむ、良い子でいなきゃ、だめなんだ。
「慎はすごいね、なんでもしってるんだもん!」
「おれとか咲月とはぜんぜんちがうよなー。大人もすごいすごいってほめてたし」
「……うん。ありがとう」
 ああ、遠い。少し前まで隣にいたはずの二人が、気付けばずっと遠くにいて、分厚い壁に隔てられて。
 気付きたくなんか、なかった。一緒にいるなんて決して出来ないのだと、そんなこと、ずっと知らないままでいられれば良かったのに。
 嫌だ。怖い。一人は、いやだよ。
「本当に良い子ねー慎君ったら。成績も顔も運動神経も良いし、言うことないじゃない」
「まあ、ありがとう。……でも、実はね、たまに怖くなるのよ。あの子は確かに賢くて良い子だけど、その……」
「良い子すぎる、ってこと?」
「ああ、それは分かるわぁ。私たちより頭良さそうだもんねぇ、子供らしくないわよね。こっちの考えまで読まれてるみたいで、ちょっと怖いかも」
「そうなの。もちろん、母親としてあの子の理解者でありたいとは思うのよ。だけど……賢すぎて、私には理解できないんじゃないかって、たまに思ってしまって。悩みとか話してくれればいいんだけど、あの子、私たちに気を遣っちゃうから」
 聴こえない、僕は何も聴いていない、聴いてはいけなかった。自分が本当に独りなのだと思い知るくらいなら、こんなの、聴きたくはなかった。
 どうして、こんなに辛いのに、どうして涙は流れないのか。泣けないと、きっと余計怖がられて、恐れられて、ずっと一人のままなのに。どうして。
「慎も、そんな顔するんだね。ちょっとびっくりかも」
「何があっても平然としてるって思ってたんだけどな」
 見慣れた二人の、拍子抜けしたような、どこか失望するような、そんな表情。……駄目、なの? 泣かないだけじゃ、駄目なの? 僕はずっと、何があってもずっと、笑っていなきゃいけないの? ああでも、それで君たちに失望されずに済むなら、見捨てられるに済むなら、その程度のことは耐えられる、かな?
 無理だよ、耐えられない。僕は、そこまで強くはない。分かっていたけれど、それでも、彼らだけが信じている平穏でも、僕にとっては痛いほど辛い平穏でも、続けていたかった。
「……俺は、慎のこと、見捨てないよ」
「あんたは無理しすぎなのよ、ちょっとくらい頼りなさい」
 初めて、『僕』を見てくれる相手に出会った。『僕』を理解してくれたのも、叱ってくれたのも、二人だけだった。彼らなら、大丈夫だろうか。僕が弱音を吐いても傍にいてくれる彼らなら、信じても平気だろうか。
 だけど代わりに、幼馴染たちとの距離は広がっていた。彼らはそれに気付いてはいなかったけど、小さい頃から見えていた壁は、僕にだけ見えていたその壁は、確実にその厚さを増していた。
「お人好しよねー、慎」
「優しすぎるんだよ、お前は」
 違う、優しくなんかない。嫌われたくないから、一人が怖いから、だから。
 柚希や悠に依存しちゃいけない。二人に、これ以上迷惑はかけられない。……ああ、だけど、彼らといるときの心地良さを知ってしまったら、幼馴染たちといるときの耐えがたい痛みを思い出してしまったら、もう耐えられなかった。
「あ、あの、私、ずっと前から、加波君のことが――」
 何度も、何度も、同じことを言われた。……ねえ、君が、君たちが好きになったのは、本当に『僕』なのかな? 君の目に映っているのは、ただ好かれたくて必死だった、加波慎という人形じゃないのかな? ――ああ、そもそも好きって、恋って、愛って、どんなものなんだろうね? 僕が咲月に抱いている感情は、本当に愛なのかな?
 ……信じたく、なかったのだ。自分が、人を好きになることも満足にできないなんて、そんなこと。

 ◆◇◆

「……っ!」
 勢いよく目を開いた拍子に、包帯の下の右目がずきんと痛みを訴える。重い腕を上げてそっと右目に触れ、僕は静かに息を吐いた。
 ……嫌な、夢を見た。いつも見る夢のように死ぬことは無いけれど、もしかしたらそれよりもずっとずっと嫌な夢。僕にとっては、何よりも恐ろしい悪夢でもある。加波慎が泣けなくなったことの、僕が泣けないことの、元凶。
 物心ついたときから、もしかしたらその前から、自分が逸脱していることは知っていた。自分が同い年の子供よりもずっと賢いことも、大人たちすら上回ってしまうかもしれないことも、そんな自分が本当の意味で周りと打ち解けられることなど無いことも、悟ってしまっていた。それでも、一人は怖かったのだ。
 泣けないのだと知られるのが怖くて、泣かないのだと思わせようとした。
 人を愛することも出来ないのだと知られるのが怖くて、咲月を愛そうとした。結局、その感情は愛だとか恋だとかそんな綺麗なものじゃなくて、もっと重い、家族愛に似た何かに執着と依存がごちゃ混ぜになった、どろどろしたものだったけれど。
「………………リザ」
 幽かに漏れたのは、一緒に旅をしている、していたはずの、紅髪の少女の名前。彼女を最後に見たのは、いつだっただろう。詳しくは分からないけれど、それでも季節が一つ過ぎ去ってしまうほどには、経っているのだ。
 無性に、彼女に会いたかった。もう僕に会う資格は無いと、痛いほど分かっていたけれど、それでも、もう一度だけで良いから。
「愛、って、何なんだろうね」
 こんなときですら、涙が流れない自分が呪わしい。苦い感情が広がったのは、王女と体を重ねたせいか。カタリナの怒りは、僕の眼球程度では治まらなかった。女性の純潔というのは、アネモスでは……特に貴族にとっては相応に大事なものなのだけれど、このウィクトリアではどうやら違うらしい。何度か王女と交わるたびに、僕の心にはいつしか、諦めにも似た感情が渦巻いていた。
 リザは、僕を好きだと言ってくれた。周りに見せる優等生の顔じゃない、弱くて臆病で、満足に人を愛することも泣くことも出来ない、人として欠けた『僕』自身を、好きだと。けれど、分かっているのだ、きっと僕じゃ、彼女を幸せになんて出来やしない。僕を好きになってしまったこと、僕が傍にいること、きっとそれ自体が、リザを不幸にする。
 ……だから、と胸に宿る暗い決意。僕の想いだなんて、そんなものは要らない。そんなもの、無視して構わない。自分を偽って、自分の全てを偽って、あの王女を利用して、それでアネモスを守れるのなら。僕にも、大切な人を守れるのなら、と。
 ノックの音が響いたのは、そのときだった。
「っ……どう、ぞ」
 この部屋を訊ねてくる人間など、カタリナ以外にいるはずがない。そしてあの王女は、ノックなど決してしないはず。そう思い込んでいたから、反応が遅れる。どうにか言葉を返したものの、扉の向こうから現れた人影に、僕はまた目を見開くことになった。
「貴方は……」
「無理はなさらないでください、賢者殿。横になったままで構いません、起き上がるのは辛いでしょう」
「いえ、そういうわけには」
 僅かに苦笑を返し、寝台に横たわったままだった体を無理やり起こす。その間に目の前に来ていた、三十代ほどの男性に視線を向け、僕はにこりと微笑んだ。
「それで、王弟殿下が僕に何の用でしょう」
「……驚いた。流石は賢者殿、ですね」
 僕の言葉に、彼は言葉の通り驚いたように目を見開く。その瞳は彼の兄や姪と同じ紅だったが、男性にしては長く背中に下りた髪の色は青緑。こうして会うのは初めてだったが、この城で過ごしていて何度か、その姿を見る機会はあった。それは、向こうも同じだろう。
「既にご存知だとは思いますが、念のため。私はアドニス=リヒト=フェルステル=ウィクトリアと申します。ウィクトリアの国王の異母弟に当たりますね。初めまして、賢者殿」
「ええ、よく知っていますよ。ジル=エヴラールです、初めまして」
 一瞬、探るような視線が交わる。……同じだ、と直感したのは、僕だけではないだろう。どこかこの世界を厭うような、今すぐにも逃げ出したいのにどうしてもそれが出来ないような、全て諦めた、絶望に満ちた目。似ている、と、そう感じた。
 やがて、彼は微笑む。
「貴方とは話が合いそうなのですが、本題に入らせて頂きますね、賢者殿。あいにく、時間が無いもので。私が兄に疎まれていることは、ご存知ですか?」
「ええ、ですが貴方を慕う者は多いと。……協力の申し出、ですか?」
 訊ねると、彼は再び目を見開いた。その表情が、ゆっくりと苦笑に変わる。
「その通りです。アネモスにも使いをやるつもりなのですが、貴方にもと。私を慕ってくれる民の殆どは、現在異端者として捕らえられています。私自身にも兄の監視の目があるため、彼らを逃がしてやることは出来ません。ですが、私の監視よりも重要な出来事があればどうでしょう?」
「……例えば、敵国が攻め込んで来たり?」
「はい」
 微笑と共に頷き、彼は続けた。
「僅かな隙さえあれば、彼らを助け出すことは可能です。その後は我々もアネモス側に加勢するから、その隙をアネモスに作って頂きたい。……ここまでが、アネモスへの使者に託す内容です」
「では、僕は違うと?」
「ええ。賢者殿には、カタリナを抑えていて頂きたい」
 その言葉に、一瞬息が止まる。何とか平静を装うと、僕は少しだけ表情を引き締めて訊ねた。
「一つだけ、訊いてもよろしいですか?」
「構いませんよ。一つと言わず、いくつでも」
「何故、まともなはずの貴方たちが、『異端』なのですか?」
 彼の話とは直接の関係は無い、純粋な疑問だった。僕の問いに、彼はまた苦く笑う。
「周りが全て狂っていれば、まともな方がおかしいとされるのは道理でしょう。ウィクトリアは、そういう国なのです。生まれるべくして異常者が生まれ、集うべくして集うことを、約束された国なのです」
「……その、紅い瞳ですか」
 呟いた一言に、彼は哀しげに頷いた。
「兄や姪からすれば、これは神に選ばれた証であり、祝福なのだと。ええ、確かにそうでしょう。この目が私たちに、ウィクトリアの王族に他国には無い力を与えてくれるのは確かです。ですがこれは、呪いです。紅い髪ならば歌姫の祝福の証ですが、紅い瞳は神の呪いなのです」
「っ」
 紅い髪、歌姫。懐かしい単語に、ずきんと胸が痛む。……彼女が歌守の血を引いていると聞いたのも、もう随分前のことだ。前世から歌が上手いのは知っていたから、妙に納得出来たのだけど。
「あ……申し訳ありません、賢者殿。失念していました。貴方は――」
「いえ、……もう、会うことは無いでしょうから」
「っ!」
 遮るように首を振った僕に、彼は目を見開いて息を呑む。少し間を置いて、どこか震える声で、彼は訊ねてきた。
「貴方は……死にたいのですか?」
「はい」
 微笑混じりに、躊躇いなく頷く。
「ですから、アドニス様。先ほどのお話、引き受けましょう」
 もう、失うものなんて、きっと何もないのだから。
「……感謝します、賢者殿」
 だけど答えた彼の瞳には、どこか後悔にも似た、形容しがたい色が浮かんでいた。

 ◆◇◆

「アドニス様」
 このことを姪に悟られれば、身が危ういのは賢者殿の方だろう。足早に彼が軟禁された部屋を離れると、目の前に人影が見えた。
「ああ、ちょうど良かった。少し相談したいことがあったのです」
 見間違えようもない。牢に入れられていない数少ない仲間の一人で、使者としてアネモスに向かってほしいと頼んだばかりの相手でもある。頬を緩めて近づくと、彼は訝しげに眉を顰めた。
「ご相談、とは? まさか……」
「いいえ、賢者殿は協力してくれると。貴方に届けてもらう手紙を一通増やすだけです。賢者殿と一緒にいた少女は、知っていますね?」
「紅髪の、ですか。もちろん存じておりますが……」
「今から急いで手紙を書きますので、彼女に会えたら渡して頂きたいのです。会うことを拒まれたら、その時は破り捨てて構いません」
「……よろしいのですか」
 戸惑うように訊き返してくる男に、私は首肯する。
「ええ。どちらにせよ、私たちにとって不利なことにはならないでしょう。言ってしまえば彼らに迷惑をかける詫び、もしくは賭けですから」
「賭け、とは?」
 その問いには、無言で微笑だけを返した。
 死にたい、という彼の言葉は、恐らく本心だったのだろう。それは、よく分かっていた。全てを失ったあの日から、私自身も何度そう願ったことか。実際、彼がそういう思考の持ち主であることは予想出来ていたし、だからこそそれを利用する気でいたのだ。
 だが、懐かしい鈴のような声が、耳元で抗議した、そんな気がして。
「……彼の願いが叶うか、彼女の祈りが届くか……置いて逝かれるのは、本当に辛いものですよ、賢者殿」
 私たちのようにはならないでくださいね、と。
 失った温もりを思い出して、そっと拳を握った。
こんばんは、高良です。今回は余裕あると思ったのにギリギリ。なにゆえ。

さて、久々に終始主人公のターン。慎だった頃から引き継がれるジルのトラウマ、ですね。一緒にいた時間が長いキースではなくリザの名前を呼んだのは……さて。
後半は自己犠牲最高潮。っていうか死にたがりが一人増えたねおかしいね。第三部終了後に書く予定の番外編への伏線もはりつつ。

さて、お知らせ。
テストが近いため、次の更新は九月二十六日以降とさせていただきます。いつもより期間が開いてしまいますが、ここからはクライマックスに突入しますので、気長に待っていただけると幸いです。

では、また次回。
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