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枯花廻りの籠の中 作者:高良あおい

第二部

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番外編・三 うつろうとき

 あと数カ月で小学校も卒業を迎える、そんな冬のある日のこと。悠がいつもの公園に来たのは、普段より少しだけ遅い……もう少しで日が暮れる時間帯のことだった。近づいてくる彼の様子がどこかおかしいことに気づき、僕は悠に駆け寄る。
「遅かったね、悠。……どうしたの、その怪我」
「……慎」
 僕の問いに、彼はゆっくりと顔を上げ、呟く。その顔には、殴られたと思わしき傷がいくつかあった。……そう、一つではなく、複数。ところどころにガーゼがあてられているのは、勢い余って切れでもしたのだろうか。
「ごめん悠、ちょっといいかな」
 彼の返事を待たず、僕は悠の片腕を掴み、その袖を捲りあげる。見れば腕もまた痣だらけで、目立たないところには火傷らしき傷すら見えた。どうやら真新しいその傷は治療すらされず、出血すらまだ止まっていない。
 その惨状に、僕は目を細めた。珍しく僕が笑みを消したことに対してか、悠が驚いたように、どこか怯えたように僕を見る。
「……あの、慎」
「来て」
 袖を元に戻し、傷に障らないように注意しながら、彼の腕を引く。小走りに近い速度で公園を出たところで、僕は僅かに速度を緩めて悠の方を振り返った。
「ごめん、あまり走れないんだっけ」
「……うう、ん。これくらいなら、多分……大丈夫」
 物心ついたときから続くという親からの虐待のせいか、それとも別な要因があるのか。悠は、出会ったときから体が弱かった。病気にかかりやすい、などと言うわけではないけれど、とにかくよく倒れるのだ。初めて聞いたときには、今まで生きて来られたのが奇跡なのではと思ってしまったほどに。出会ったときに比べれば良くなったようだけど、それでも無理はさせられなかった。
 しばらく無言で歩き、目的の場所に辿り着く。遠い、と言っても僕らの目から見た意見であって、恐らく大人にとっては大したことは無い距離。それでも、背後に立つ少年は苦しそうに息を切らしていた。
「本当に大丈夫、悠? ……ごめん、無理させたかな」
「平、気……あの、ここ」
「僕の家。母さん、多分家にいると思うんだけど」
「っ、待っ――」
 驚いたような悠に構わず、僕はドアを開ける。ただいま、と声を上げる前に、奥からぱたぱたと駆けてくる足音。
「お帰りなさい慎、早かったわね……あら、お友達?」
 悠に……正確にはその顔の傷に気づいたのか、母さんは訝しげに眉を顰める。
「ただいま、母さん。わけは後で話すから、とりあえず悠の傷の手当、任せていい?」
「まぁ、その子が? ……分かったわ。悠君、上がって」
 笑顔で促す母さんを、悠は無表情の中にどこか怯えるような色を浮かべて見つめた。僕はそれに苦笑し、彼の背を押す。
「大丈夫だから、とにかくおいで」
「……う、ん」
 恐る恐る、といった風に、悠は首肯した。

「……あの、人……慎の、お母さん?」
 それまで殆ど喋らなかった悠がようやく口を開いたのは、母さんが悠の手当てを追え、僕の部屋から出て行ってからのことだった。
「うん、そうだけど。どうして?」
「……若い、から、びっくりした」
 その言葉に、僕は思わず苦笑を浮かべる。そういえばそうだった。昔から何度も言われたことのある言葉だけど、彼に話したことは無かったっけ。
「うん、母さんはちょっと特殊な事情があってね。かなり若いときに僕を産んだらしくて、まだ二十代」
「仲……良いんだ」
 その言葉に、僕は本題を思い出す。そう、何のために彼を連れてきたのか。
 普段より更に暗い、虚ろとすら言える瞳を見つめ、僕は躊躇いがちに訊ねた。
「訊いても良いかな、悠。何があったの?」
「……母さん、が」
 僕の問いに、悠はためらうことなく、ぽつりぽつりと話し始める。
「今日、凄く、機嫌悪くて。最近、俺が言うこと聞かないから、って……殴られたり、後は、薬缶のお湯、かけられたり、とか……だから、逃げてきた。あそこにいたら、殺されそう、だったから。殺されても、良かった……けど、慎が、怒るかなって」
「そう……」
 見れば彼は普段通りの無表情のままで、けれどとても辛そうなのが分かる。ぼんやりしたような表情の裏に隠された本音、それを悟れる程度には、親しくなっていたから。
「悠。辛いときは、泣いても良いんだよ」
 呟いた言葉が聴こえたのか、悠は首を傾げる。
「辛い……の、かな」
「辛そうな顔してるよ。泣きたくて、でも泣けないような、そんな顔」
「……そう、かも」
 不思議そうに、彼は首肯した。しかし彼は僕を見て、僅かに不満そうに言葉を続ける。
「でも……それは、慎も、同じ」
「僕も?」
 思わず目を見開いた僕に構わず、彼は再び頷いた。
「いつも、泣きそうな顔、してる……けど、慎が泣いたとこ、見たことない。慎だって、泣いても、良いはず」
 悠の言葉に、僕は思わず笑みを浮かべた。ただし、どこか自虐的であろう笑みを。
「そうだね。そうしたいって、僕だって思うよ」
「……慎?」
「でもね、泣けないんだ。泣きたいって思うのに、泣きたいほど辛いことだってたくさんあるのに、どうやっても泣けないんだ」
 小さい頃に、耐えすぎてしまったのだ。物心ついて間もない頃、周りが大泣きして周りの大人を困らせる中、一人だけ涙を堪えて大人を助けようとしていた。良い子だと……滅多に泣かない強い子だと褒められて、それを裏切って失望されるのが恐ろしいと感じた。感じてしまった。
 だから、なのだろう。咲月への想いが一生叶わないことを知っても、誰よりも傍であの二人を見ることを強いられても、涙の一滴も零れないのは。その代わりとばかりに、軋む胸が激痛を訴えるばかり。
「だから……悠には、僕みたいになってほしくない。泣けることも、強さなんだよ。決して、弱さの証なんかじゃないんだ」
 顔を歪める僕を、悠は困ったように見てくる。少しして、その唇が動いた。
「それでも……泣くって、どういうことか……まだ、分かんない、けど。でも……俺は、慎のこと、見捨てないよ。何があっても、絶対」
「……ありがとう」
 見捨てない。その言葉に、僕は微笑む。ずっと欲しかったその言葉を、両親以外から聞くのは初めてだった。
 だから、僕は。
「そうだ、悠。今日は泊まっていきなよ」
「……え」
 唐突な言葉に、悠の動きが止まる。珍しく驚いたように目を見開き、彼は僕に対して首を傾げた。
「どう、して?」
「いつか絶対助けてあげる、そう言っただろ?」
 悠の問いに、僕は微笑む。僅かに表情を変えた悠に、語りかける。
「今がその時だ。だから、そうだね……泊まるのは、その下準備のためかな」
 これ以上、悠を傷つける彼の母親を放置は出来ない。『僕』を理解してくれた君のためにも、全力で君を助けようと誓った。
 そんな僕の隣で彼が浮かべた、今までにないほど嬉しそうな微笑の正体にも気付かずに。

 ◆◇◆

 奴の言葉にジルは頷いたものの、魔眼――魔法を付与した義眼と言うのは作るまでに少し準備が必要らしく、結局今日は互いに転生してからのことを話すのみで終わってしまった。
「……『その前』のことを話さずに済んだだけマシ、かしら」
 深夜。家の外に出て、夏にしては肌寒く思える程度には冷たいグリモワールの風を浴びながら、あたしは目を細めた。ジルは気にしていたみたいだけど、彼が自分からそれを訊くことは無いだろう。彼は、優しすぎるから。
 そう、だけど出来ることなら、それが許される間は話さずにいたかった。きっと、聞けばジルは自分を責めるに決まっている。そうして彼が傷つくところなど、見たくはないのだ。
「ああ、来たわね」
「……勝手に、外に出られると……困る」
 全く困って無さそうな顔で首を傾げるキースに、あたしは呆れ混じりに嘆息する。ジル以外に対して全く感情を表さないのは、よく知っているけど。
 こんな真夜中に長話をしていてもしょうがない。そう判断して、さっさと本題をぶつけるべく口を開く。
「……でも、良かった」
 しかし、それは唐突な彼の一言で遮られた。相変わらず主語の抜け落ちた言葉に、あたしは眉を顰める。
「何の話よ」
「宝城、が……リザが、ジルと一緒で、良かった。ジルが、一人じゃなくて」
「あら、あたしのことは嫌いなんじゃなかったの?」
「大嫌い、だけど……信頼は、してる」
 薄紫の瞳を細め、キースはゆっくりと首を横に振った。
「さっきの、話。……右目、あいつらのせいだって……ジルは、優しすぎる、から」
「ついでにあいつらのせいで死にかけたわね」
 あいつら、というのが誰を指しているのか悟り、あたしは苦笑する。そう、昔からそうだった。彼を本当の意味で理解できたのは、あたしたちだけだったから。
「まぁ、それは良いわ。さっさと本題に入りましょ」
 軽く嘆息し、キースを睨むように見据える。
「正直に言うとね、迷ってるのよ。あんたが――椎名悠が死んだときのこと、ジルに話しておくべきか。これはまだあたしの推測でしかないけど……あんた、慎の後を追ったんでしょ?」
「……うん」
 あたしの問いに、彼はあっさり頷いた。次いで彼は特に表情を浮かべないまま、どこか不思議そうに首を傾げる。
「でも、気づかれるとは、思わなかった」
「あたし以外は事故だと思ったでしょうね。けどあんた、死ぬ前にあたしと会ったでしょ」
「……そう、だっけ」
 目を瞬かせる青年に対し、あたしは呆れ気味に息を吐く。……様子がおかしかったからそうじゃないかとは思ったけど、やっぱり気づいてなかったか、こいつ。
「分からないなら良いわ。そんなことより、一つ確認しておくけど。あんた、ジルにそのことを話す気は?」
「……あるわけ、ない」
 訊ねると、彼は心外だと言わんばかりに目を細めた。その顔に浮かぶのはぼんやりしたような無表情のままだけど、不本意ながら鉢合わせる機会は多かったのだ。ジルほど正確にではないにしろ、表情の変化くらいは読み取れる。
「言った、ら、多分……ジルは、自分を責める、から。ジルが、悲しむことは、したくない」
「だったら死ぬなっつの」
 彼の言葉に、あたしは嘆息した。生前、椎名が慎ではなく自分のためにしたことというのは、恐らくそれだけだろう。理由は知らないし、訊く気もない。……まぁ、こいつの考え方からそれを察するのは、割と容易ではあるけど。
「まぁ、その気持ちは分からなくもないけど。でもあたし、ジルに全部教えるつもりよ」
 意外にも――いや、そうでもないか。キースは特に何も言わず、ただ無表情のままあたしを見た。薄紫の瞳に浮かぶ怒りの色に、あたしは再び嘆息。
「あたしだって、あいつが悲しむことはしたくないわよ。でも、考えてみなさい。今隠しといて、後から偶然ジルが真実を知ったら……そっちの方が、よほど怖いわ」
 キースの言った通り。ジルはきっと、自分を責めることだろう。あたしたちがそれを隠していたという事実すら、彼は自分のせいにする。他人を責めるくらいなら自分を押し殺す、彼がそういう人間なのはよく知っているのだ。
「……それは……そう、かも」
 あたしの言葉に、彼は僅かに首肯する。
「だったら……説明は、任せる」
「言うと思ったわ。じゃ、話は終わりね」
 肩を竦め、あたしは家の中に入ろうと彼に背を向ける。そのまま少し歩いたところで、背後から呟くような声が聞こえた。
「応援は、してる。……多分、もう、俺がジルにしてあげられることは、少ない……から」
「あら、それはどうも」
 柚希だった頃に椎名が言った、『邪魔はしない』という言葉を思い出す。それでも慎の傍にいることには拘っていた彼が、何故。そんなあたしの疑問を悟ったのか、キースはそっと付け足した。
「ジルは……慎じゃ、ない」
「……そうね」
 驚いた。こいつのことだから、前世むかし今世いまを混同しているんじゃないかと思っていたけど。
 彼もまた『あたしたち寄り』の人間だったことに、あたしは僅かに笑みを浮かべた。
こんばんは、高良です。

母親による虐待がエスカレートしたことを知り、流石の慎も怒ります。約束通り手を差し伸べた慎に対する悠の想いは、感謝や友情や愛情の入り混じった、名前の無いもの。元々慎に依存気味だった彼でしたが、その依存が度を越してくるのはこのころから。
あ、ちなみに『慎が泣けない』エピソードは第三部でもちょこちょこ出てくるので、覚えておいて損はないかもしれません。
後半はリザとキース。かつて、というかひょっとしたら今も恋敵にある二人。仲が悪いと思いきや、不思議な信頼関係にあるのでした。

番外編……今回のものは『義眼編』と呼んでいますが、恐らくあと一話か二話で決着がつくと良いな、と思っています。

では、また次回!
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