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枯花廻りの籠の中 作者:高良あおい

第七部

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第六話 兆し

「ヴィーは随分人間らしくなったわね」
 机に頬杖をついて見上げれば、向かい側で何か書き物をしていた彼は顔を上げて、私やリトと同じ黄金の瞳を小さく瞬かせた。
「人間らしく?」
「そう。昔は酷かったでしょ」
「……酷かった、かな」
 訝しげに首を傾げるヴィーは、本当に自覚も心当たりもないのだろう。記憶力は私やリトよりよほどいいはずなのに、と思わず小さく嘆息した。
「新しい知識にしか興味を示さなくて、危険なことにもすぐ首を突っ込んで。いつかふっといなくなってしまうんじゃないかと、最初の百年くらいはずっと冷や冷やしていたわ」
「君たちを悲しませるようなことはしないと、何度も言ったと思うのだけど」
「その割に、未知の物を見つけると目を輝かせていたわね」
 それについては否定できないのだろう、彼は気まずそうに視線を逸らす。こういった仕草すら昔は滅多にしなかったのだから、本当に人間らしくなった。かつての彼はどこか一歩引いたところから、冷めた目で世界を見ているような、そんな人だったのだ。私やリトの言葉には普通に笑ってくれても、それもどこか作り物めいていて……感情らしい感情を見せるのは、知らないものに出会ったときだけ。それが今では、私たちだけではない、子供たちの言葉に対しても時折大きく表情を動かすくらいだ。
 彼が変わった原因は、自惚れではないと思うけれど、恐らく私なのだろう。最初はただ、そんな危うい彼を放っておけなかった、それだけだった。けれど気付けばそれは、暖かくもどかしい、一つの感情へと変わっていた。その感情の名を、私は知っている。かつて、この世界に私たち三人しかいなかった頃にはなかったもの。人が増えて、心が触れ合ううちに生まれたもの。
 私は、ヴィーを愛している。
 それは子供たちに向ける見守るような愛とも、ましてリトに抱く親愛とも違っていた。
 一度それを自覚してしまったら抑えられなくて、彼にもその感情を知ってほしくて、随分と振り回したものだ。今のヴィーがそんな私の思惑に気付いているのかといえば、正直断言はできない。彼のことだから察してはいるのだろう。けれど、その割には態度が変わらない。甘い言葉をかけられるわけではなく、かといってぎこちなく接してくるわけでもなく。こういうときには段階を踏んで確かめるものだと子供たちは語っていたけれど、そもそも私たちは自分の中に感情らしい感情が芽生える前に体の関係を持っていたのだから、今更そんなものは通用しない。
 どうして私はリトではなくヴィーを選んでしまったのだろう、と何度も不思議に思った。相手がリトなら、今頃私はこんなことで悩んではいなかっただろう。彼は真っ直ぐな人だし、普段から私を気遣ってくれる。私の想いに気付けば、それに対する答えがどちらであるにしても、正面から誠実に向き合ってくれたはずだ。それでも、時に身を焦がしてしまいそうなほどのこの愛しさを、リトに対して抱いたことはない。
 私の視線に気付いたのだろう、ヴィーは私に視線を戻して小さく首を傾げた。
「どうしたの、姫」
「別に、……いえ、そうね」
 何でもない、と答えかけてふと思い出す。黙って私の言葉を待つ賢者を、わずかに表情を引き締めてそっと見上げた。
「貴方、リトから何も聞いてない? 最近調子が悪いみたいだけど、貴方もリトも、私にはそういうの教えてくれないじゃない」
「それは……仕方ないよ。君に弱いところなど見せたくないのだもの」
 小さく浮かべた微笑をすぐに消して、彼は真面目な表情で私を見る。「リトのことだけれど」と普段よりゆっくりと言葉を紡ぐその様子は、どこまで話していいか迷っているようにも見えた。
「調子が悪いと、姫はそう思うのだね」
「前ほど頻繁にはここを訪れなくなったし、顔を合わせても口数が妙に少ないから、何かあったのかと思って……貴方の方が、リトのことには詳しいでしょう」
 だって貴方たちは、対なのだから。
 言葉に出さなかったそれを勘のいいヴィーは察したのだろう、その唇が苦笑に似た形を作る。けれど「確かに」と彼が躊躇いがちに頷いたのは、少し間を置いてからのことだった。
「近頃リトの様子がおかしいのは事実だし……その理由も、見当はついているけれど。彼はそれを姫に知られることを何より嫌がると思うから、話すことはできない。ごめんね」
「……貴方たちはそればかりだわ」
 私に知られないように、私に心配をかけないようにと、二言目にはすぐそれだ。彼らは私を幼子か何かと勘違いしているのではないだろうか。確かに二人と違って、戦う術は全く持たない。『外』の獣と対峙するようなことになれば、一瞬で八つ裂きにされてしまうだろう。ヴィーやリトがそんな私を守らなければいけないと感じることは、間違ってはいないと私だって思う。
 けれど彼らがこの地を守ってくれている限り、そんな事態は起こり得ない。何より、私だって彼らと同じ時間を同じ場所で生きてきたのに、と思うと少し悔しかった。
 そんな感情が顔に出てしまっていたのだろう、ヴィーは穏やかに微笑んで首を振る。
「大切な人の前では格好をつけたいと、そう思ってしまうだけだよ」
「ものは言いようね」
「手厳しいね。……僕たちの中で最も早く心を得た歌姫に、これ以上置いていかれないようにと必死になるのは、おかしなことではないと思うけれど」
「本当に変わったわね、アルヴィース」
 おかしくなってくすりと笑みを零せば、彼はそれに対してはただ苦笑だけを返して、「だから」と言葉を続けた。
「リトが姫に対して無様なところを見せるような事態には、ならないと思うんだ。……そう、信じてくれないかな」
「私は貴方たちを信じなかったことなんてないわ」
 ただ、心配だっただけ。けれど賢者が信じろと言うのなら、きっと大丈夫なのだろう。そう楽観的に捉えていたことを、私は一生……いや、死んでからもずっと、後悔し続けることになった。

 ◆◇◆

「ルフィノさんは、火の国の騎士、なんだよね?」
 ここに連れてこられてから、もう二週間が経つ。彼が部屋に入ってくるなりそう訊ねれば、ルフィノさんは持っていた食事を机の上に置いて、ほんの少しだけその目を細めた。感情らしい感情はその顔からは何一つ読み取れないけれど、それでもこういう雑談には、彼は真面目に答えてくれる。
「自分から名乗ったことはないが、確かにそう呼ばれることもある。それがどうかしたのか」
「火の国……イグニスには、戻らないの?」
 ルフィノさんの生い立ちについては、お兄ちゃんやお姉ちゃんから事情を説明されたときに一通り聞いていた。小さい頃から恐ろしく剣の腕が良くて、故郷にいた頃は最年少で王族の護衛を任されていたりもしたのだという。火の国の騎士、という最も有名な二つ名は、当時の活躍からきているのだとか。原初の騎士の再来のようだ、と……真実を知ってしまった今では、何とも複雑な心境になるのだけれど。しかし彼はそんな立場に執着せず、ある日突然イグニスから旅立ち……クローウィンで二人に出会ってしまうまでは、世界各地を旅していたらしい。
 国を飛び出して旅をしていた、というところにはお兄ちゃんと似たものを感じるけれど、ルフィノさんは国を出なければいけない理由があったわけではない。けれど、彼からは故郷への愛着の類は一切感じられなかった。案の定、ルフィノさんは私の問いに小さく首を振る。
「必要なら立ち寄るくらいはするだろうが、腰を落ち着けるという意味で訊いているのならば、戻る気はない」
「生まれ故郷なのに?」
「何も説明せず突然国を飛び出した恩知らずな子供を、そう簡単に迎え入れはしないだろう。……ルフィノ=ウルティアが生まれた国が、たまたまイグニスであったというだけだ。どの時代においても、俺にとって故郷とはこの場所であって、他のどこかではない」
 窓の外に向けられた夕闇の瞳が、ふっと遠くを見るように、どこか懐かしむような色を帯びた。
 ああ、とぼんやり思う。この人がお兄ちゃんとお姉ちゃんを苦しめていることも、柚希お姉ちゃんをあんな酷い姿で死なせてしまった張本人であることも、頭では分かっているのだけれど。そして彼は、その事実を否定しなかったけれど。それでも私には、どうしても信じられなかった。許すとか許さないとか、そういう話ではなくて、ただ純粋に。
 だから、だろう。口から零れ落ちたのは、何度訊ねても答えらしい答えの返ってこない問いだった。
「……どうして、お姉ちゃんを殺したの?」
「殺さなければならなかったからだ」
「どうして?」
 案の定、返ってきたのは今までと全く同じ答えで、被せるように更に訊ねる。ここで沈黙を返されて終わるのが常だったけれど、今日はいつもと違っていた。黙り込むルフィノさんを見て、また駄目だったかと嘆息しかけたところで、ぽつりと彼が呟く。
「かつて、……神は、永遠を与えると、そう仰った」
「え?」
 思わず目を瞬いても、ルフィノさんの表情に変化はない。いや、元々表情らしい表情なんて全く浮かべてくれない人だけれど、今のこれは何かが違う気がした。僅かに細められたその瞳に、私は映っていない。
賢者アルヴィースはその慈悲を拒んだ。神は裏切りをお許しにならず、……始末を、と命じられた」
 首を傾げながらそこまで聞いて、ハッとようやく気付く。これは、多分『始まり』の話だ。何度か訊いて、そのたびにはぐらかされていた、原初の国が亡びる直前の出来事。なら、私は聞き逃してはいけない。もしかしたらお兄ちゃんだって知らないかもしれないようなことだ。
「俺がどれだけ庇っても、神は頑なに殺せと繰り返した。姫は賢者アルヴィースを説得しようとしたが、奴は奴で、聞く耳を持たなかった。ゆえに俺は神の意思に従い、賢者を殺し、……気付けば歌姫も永遠を捨て、俺だけが残されていた」
「歌姫も神様を裏切って賢者の側についた、ってこと? ルフィノさ、……『騎士』が、殺したとか」
 あくまでも話題に上がっているのはかつての彼らであって、今の彼ではない。そう思って言い直しても、どこかぼんやりした様子のルフィノさんは、それにも気付かないようだった。それでも質問にはちゃんと答えてくれる様子に既視感を覚えて、少しして昔見たテレビ番組のようなのだと気付く。催眠術にかけられた人が、何にでも正直に答えてしまうのに似ていた。
「わからない。……死が叶ったということは、彼女もまた永遠を拒んだのだろう。ならば俺が殺したのか、……殺さなければならないと、声が、誰の声だ? あれは俺の、……違う、追いかけろと、探し出して殺せと、あれは、……違う」
 痛みを堪えるように頭を押さえるルフィノさんを見て、思わず慌てる。無理をさせただろうか。あれこれ訊かない方が良かった? でも、今を逃したらきっと、普段の彼は何も教えてくれないだろう。そう思うと、やめた方がいいと分かっていても、口からさっきと同じ質問が滑り出ていた。
「どうしてお姉ちゃんを殺したの? 『歌姫』のこと、大切だったんでしょう?」
「大切だったからだ」
 すぐに返ってきた思いもよらない言葉に、え、と目を見開く。
「だったら、なんで」
「愛していた、……愛している。……ならば殺せと、声が、……殺して、くれ、と……、っ!」
 ハッと我に返ったように、ルフィノさんの顔に正気の色が戻った。顔を上げた彼が普段通りの……流石に少し硬いけれど、それでもこの二週間で見慣れたものに戻ったことに安堵する。
「ええと……大丈夫?」
「すまない、何か話していたところだったか」
「それは平気だけど、雑談してたら突然様子がおかしくなったからびっくりしたよ。体調が悪いなら、今日は休んでた方がいいんじゃない?」
「敵の体調まで気遣ってどうする」
 呆れるように目を細めたルフィノさんは、けれど「そうだな」と小さく頷いた。そのまま部屋を出ていくかと思いきや、彼は少しだけ間を置いて、再び私を見る。
「そろそろお前をアネモスに帰せるだろう。早ければ、明日や明後日にでも」
「え、本当に? ……そっか、意外と早かったね」
 古代魔法を扱えるようになったお兄ちゃんと戦う準備、と言っていたから、もう少し色々とかかるものだと思っていた。けれど考えてみればルフィノさんはずっと古代魔法を当然のように扱っていたわけで、対策なんかも熟知しているのかもしれない。そうか、と一人で納得して、私は微笑んだ。
「じゃあ、準備……も何もないけど、心構えだけしておく」
 その言葉にルフィノさんは小さく頷いて、今度こそ部屋を出ていく。運んできた食事に手をつけながら、思わず溜息が漏れた。私も懲りないなぁ、と流石に少し呆れながら、さっきまでの会話を頭の中で繰り返す。勘が鋭いというレベルではないあの人を上手く誤魔化せたのは、やはりさっきのルフィノさんが本調子じゃなかったからか。
 敵、と彼は言った。それは間違いではないだろう。ルフィノさんは柚希お姉ちゃんの仇で、お兄ちゃんとお姉ちゃんを今世でも殺そうとしていて、……神子を攫ったという意味では、アネモスの敵でもあるのかもしれない。味方になれる要素なんて、本当なら一つも無い。そのはずなのに、どうにか出来ないかと考えてしまう私は、カタリナの言う通りお人好しなのだろう。でも、カタリナのときだってそれは結果として間違いではなかったのだから、今回もそうであってほしい。そう考えるのは流石に自分勝手だろうか。
 だって、……ルフィノさんのことだって、私は助けたい。みんな幸せのハッピーエンドを望んで何が悪いの? 悪役の立場にいる人が、実は悪い人じゃないのだとしたら、それで苦しんでいるのだとしたら、全部丸ごと救ってみせるのが主人公の役目でしょ? 目指すは文句なしの大団円。私は神子なんだから、それくらいの我侭は通るはずだ。
「となると、やっぱりあの洞窟かなぁ」
 大昔の事情を何も知らない私が、何かを掴めるとしたら、散策していて見つけたあの小さな洞窟の中だろう。結界か何かに阻まれて中に入れなかったけれど、そんなものがある時点で奥に何かありますと言っているようなものだ。どうにかして、あそこを破れれば。……それで何も無かったら、そのときはそのときだ。無かったときに考えよう。
 考えがまとまったところで、ちょうど朝食を食べ終わる。使い終えた食器を静かに置いて、私は小さく微笑んだ。
こんばんは、高良です。
予告通り数日で続きをお届け出来てほっとしています……笑

さて、前半は前話に引き続き遠い昔のお話。崩壊の予兆が少しずつ表れ始めた頃のこと、彼女はある感情を知りました。
後半はもう解説するまでもない我らが神子様のターン、ですね……笑 なんだか第三部で似たようなことがあった気がしますね。はてさて。

それでは、また次回。
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