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枯花廻りの籠の中 作者:高良あおい

第四部

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番外編・二 天邪鬼と本音

「……二年だ」
 夏でもアネモスよりずっと涼しいこのグリモワールでは、秋の三ともなると上着が手放せなくなる程度には冷え込む。逆に雪が降るほど寒くなるわけでもないのが救いだが、あまり外に出たくないことに変わりはない。とはいえそれは屋外に限った話で、俺が今いる学舎に隣接した図書館も中は暖かく、過ごしやすかった。これが暖炉などではなく魔法によるものだ、というのがまたグリモワールらしい。
 机に突っ伏して呟いた俺に対し、本を何冊も抱えて戻ってきたアドリエンヌは立ったまま、ちらりと視線だけを向けてくる。そんな彼女を睨むように見上げ、俺は繰り返した。
「二年だぞ! 俺がここに来てから、もう二年だ!」
「正しくは二年と四カ月ですね。そんなことよりドミニク、古アネモス語の授業って取ります? 明日からの」
「……俺の悩みはそんなこと扱いか」
 恨みを込めて呟くと、アドリエンヌは呆れたように嘆息する。席についた彼女の前にはいつの間にか本が開かれていて、俺の話なんてまともに聴いていないとその態度で示しているかのようだった。いや、アドリエンヌの恐ろしいほどの賢さも、これくらいの並行作業なら難なくやってのけることもよく知っているのだが。
「そんなに言うなら、ドミニクの方から手紙でも出したらどうですか? 実家が恋しいからせめて連絡くらいください、と」
「う、ぐ……それは、嫌だ」
 父に対して負けを認めるようなものである。そんなことをしたら、帰ったときに何を言われるか分かったものじゃない。二年間実家から何の連絡も無いのを気にしているのは事実だが、それを言い当てられた悔しさもアドリエンヌから目を逸らした理由の一つだった。出会った頃からそんな感じではあったが、なかなか慣れない……というか慣れたくないものである。不貞腐れるように机に突っ伏した俺をちらりと見ると、彼女は再び本に視線を戻した。
「でしたら諦めて勉学に励むことですね。学舎にも試験というものがあれば、結果も分かりやすかったのですけれど。首席になる、とか」
「アドリエンヌがいる時点でその夢は潰えただろうな。女のくせに生意気なんだお前は。……年下のくせに」
「くせに、が被っていますよ。それと、性別も年齢もグリモワールでは関係ないといつも言っているでしょう。大体、年下と言ってもたった一歳じゃないですか」
「うるさい」
 年下のくせに、ともう一度呟き、俺は黙り込む。そんな俺に対してアドリエンヌは再び嘆息すると、「それで」と続けた。
「質問に答えてください。取るんですか? アネモス語」
「まさか。どれだけ難しいと思ってるんだ」
「ですが、自国の言葉でしょう?」
 その言葉に、俺は思わず顔を上げる。こいつに限らず、グリモワールで生まれ育った人間の常識というのはどこか一般常識に欠けているのだが、流石に今のは許容出来なかった。
「智の国にいると勘違いするかもしれないが、他の国なら古語なんて学者と魔法使いくらいしかまともに話せないんだぞ。貴族も一応習いはするが、精々単語が分かる程度だ。自分の国以外の古語をわざわざ習うような物好きは滅多にいない」
 優秀な魔法使いなら様々な国の魔法を扱うことも出来るのだろうが、そもそも魔法使い自体それほど多いわけではない。風の国の魔法のように治癒に特化している場合は複数の国の治癒魔法を覚える魔法使いもいるらしいが、祖国で出会ったことはなかった。俺の説明を聴いて、アドリエンヌは特に表情を変えず頷く。
「では、授業は受けないのですね」
「そう言っているだろう。何故そんなことを訊く?」
「ドミニクが授業を受けないなら、初めて別行動じゃないですか」
「……そういえば、そうだな」
 女が苦手にも関わらず俺がこの女とよく一緒にいるのには、そんな理由があった。もちろん、同期で年が近いのがアドリエンヌくらいだというのもあったが、それ以上に大きな理由。俺が選択する授業とアドリエンヌが選択する授業が、ことごとく被っていたのだ。魔法を学ばない、となると残る授業は限られてくるから、それも当然だろう。
 ちなみにアドリエンヌの方はどうだか知らないが、俺が魔法を学ばないのはこの立場故に、である。今はともかく、いつか公爵位を継いだ時のことを考えれば、他人によってかけられた治癒魔法が効くことと、というのは割と重要なのだ。魔法のことはよく知らないが、例え潜在的な魔力がどれほど高くても、魔法を学んだことが無ければ治癒は普通に効くらしい。逆に一度でも魔法を使ってしまえば眠っていた魔力が表に出てくるから、途端に治癒が効かなくなるのだと聴いた。要するに、いつ何が起きるか分からないこと、そして次期公爵という自分の立場を考えれば、俺は魔法を学ぶわけにはいかないのだ。少なくとも、しばらくの間は。
「それがどうかしたのか?」
「いえ、特には。では、その時間は別の授業ですか?」
「他にすることも無いからな。……何だ、その目は」
 何か言いたげな視線に気付き、俺は僅かに声を低くする。しかしそんな上辺だけの脅しが彼女に効くわけも無く、アドリエンヌは「いえ」と僅かに微笑んだ。
「ただ、授業の内容によっては私にも教えられませんから、少し気になって」
「……待て、何故俺がお前に勉強を教わることが前提なんだ」
「むしろ、そうしなかったことがありましたか?」
 呆れるように目を細めた彼女に対し、俺は言葉に詰まる。智の国にやってきたところで、知ることは好きだが学ぶのは嫌い、という性格まで変わるわけがない。頭自体は悪い方ではないと思うが、それでもそんな俺が学びたがりしかいない学舎の授業に楽についていけるわけもなく……気付けば授業が全て終わった後、日が暮れるまではアドリエンヌに解説を聴くという流れが出来上がっていた。非常に不本意ではあるが、背に腹は代えられない。
「知っていることであれば教えられますが……私にも、知らないことはありますから」
「アドリエンヌ……お前はさっきから、俺に喧嘩を売っているのか?」
「そういうわけではありませんけれど。後からやっぱり教えてくれなんて言われても、流石に出来ませんよ?」
「うるさい。全部が全部分からないわけじゃないんだ、何とかなるだろう」
 本気で心配するような表情を浮かべるアドリエンヌから目を逸らし、俺はそう吐き捨てた。けれどふとあるものが視界に映って、思わず独り言のように呟く。
「……お前、髪伸びたな」
「髪ですか?」
 俺の言葉に、彼女は初めて気付いたとでも言いたげに目を瞬かせた。けれどその表情はすぐにいつもの読み辛いものに戻り、アドリエンヌはそのまま自分の髪を一房つまんで眺める。二年前、出会った頃には肩の辺りまでしか無かった灰藍の髪は、今は背中の辺りまで伸びていた。
「言われてみれば、そうですね。流石にそろそろ切らないと……」
「切るのか?」
「え?」
 反射的に返した言葉に、彼女は驚いたように目を丸くする。しかしそれは俺だって同じで、自分がたった今発した言葉の意味が分かるまで少しかかった。しばらく二人で見つめ合った後、アドリエンヌが戸惑うように首を傾げる。……彼女のこんな表情も、よく考えれば割と珍しい。
「……切らない方が良いですか?」
「知らん、俺に訊くな。お前の髪だろう」
 思わずそう答えたところで、流石に無責任だと気付いた。ついさっきの自分を心の中で呪いつつ、「だが」と付け加える。
「俺は、切らない方がいいと思う。……あ、あくまで客観的に見て、だぞ。いくらお前がグリモワール人でも、せめて髪くらいは女らしくすべきだ」
「分かりました。では、しばらくはこのままで」
 俺の言葉を恐ろしいほど素直に受け入れ、アドリエンヌはふわりと微笑む。普段あまり表情らしい表情を浮かべないせいだろう、彼女が今のようにたまに笑ってみせるのはやはり新鮮で……俺は何を考えているんだ、と、一瞬遅れて我に返った。

 ◆◇◆

「……早まった、か?」
 教室から少し歩き、人気の少ない廊下に出たところで、立ち止まって宙を仰ぐ。アネモスの王城や生まれ育った屋敷とは違って装飾の少ない天井を眺め、俺はぽつりと呟いた。言うまでもなく、たった今まで受けていた授業のことである。故郷でも学んでいた内容なら大丈夫だろうと選んだのだが、この国の人間の勉学に対する姿勢ときたら、俺の方がおかしいのかと錯覚するほどだった。昨日アドリエンヌに言ったことを思い出せば、彼女に頼ることは出来ない。自分の発言を振り返り、少しだけ後悔した。
「いや待て、俺」
 そこで、ハッと我に返って首を振る。そうだ、そもそもアドリエンヌに頼りきりなのがおかしいのだ。女なんかに力を借りるなんて、どうかしている。二年前、ここに来たときの俺は、間違いなくそういう思考だったはずだ。彼女が変わり者だったから少しは認めてやったというだけで。
「おや、ちょうど良いところに」
 廊下のど真ん中で立ち止まったままそんなことを考えていると、不意にぽんと肩を叩かれた。勢いよく振り返り、俺は思わず目を瞬かせる。
「……学長?」
「やあ、ドミニク君。どうしたんだい、こんなところで。何か悩みでもあるのかな?」
 そこにいたのは、現在この学舎を統べる人間だった。つまり、アドリエンヌの実の父親である。醜態を見事に目撃されていたことに気付き、俺は慌てて首を振った。
「いえ、何でも。それより、俺に何か用ですか?」
「その通り。君を探していたんだよ。今日の授業はもう終わりだろう、良ければ少し話さないかい? 君に訊きたいことがあってね」
「それは……構いませんが」
 頷くと、彼は一瞬だけ驚いたような顔をする。しかし流石はアドリエンヌの父親と言うべきか、すぐに元の表情に戻り、廊下を歩き出した。俺がその隣に並んだのを確認し、彼は口を開く。
「こちらから誘っておいて何だが、時間は大丈夫なのかい? 授業の後はうちの娘と会っているんだろう」
「授業の後というか、昨日までは最初の授業からずっと一緒でしたが。……そうですね、授業が長引いたとか適当に理由を付ければ大丈夫です」
「そうか、なら良かった。いざとなれば正直に私に呼び出されたのだと説明してくれて構わないよ。ただ、話の中身については内密に願えるかな」
「……もしかして、アドリエンヌの話ですか?」
 ふと訊ねてみると、学長は不意に立ち止まり、楽しそうな笑顔でこちらを振り返って頷いた。よく見れば彼の目の前には一つの扉があって、彼は躊躇いも無くそれを押し開ける。そう言えばさっきいた場所は学長室に近かったな、などと考えながら、俺は彼の後について中に入った。促されるままに席につくと、学長はその対面に座る。
「君がグリモワールに来て二年か。もう流石に慣れたかな?」
「……生活や気候には、だいぶ」
「人の方には慣れない、か」
 ぼかした言葉の裏に込めた意味を鋭く読み取り、彼は苦笑した。……こういう聡さに、慣れないのだ。俺が顔を顰めた理由も分かっているのだろうが、学長はそちらについては指摘せず、僅かに表情を引き締めた。しかしその顔に浮かぶのは、なおも微笑のままで。
「本題に入ろうか。娘と……アドリエンヌと、仲良くしてくれているようだね」
「仲良くというか……はい、まあ」
 仲良くなった覚えはない、と言いたい。授業が被っていて、更に数少ない同年代だから行動を共にしているという、ただそれだけの理由である。下手をすると友人ですらない。しかしいくら何でも彼女の父親本人にそう反論する気にはなれず、俺は曖昧に頷いた。
「あの子が早くに母親を亡くしているのは知っているかな?」
「何度か聞きました」
「グリモワールの人間は元々、子育てというのがあまり得意ではなくてね。私もまた例外ではなかったし、ここの長という立場上、あの子に構ってやる時間も取れなかった。あの子は人ではなく本に育てられたようなものだ」
「……ああ、それであんな」
 一歳下とは思えない彼女の知識量と頭脳を思い出し、俺は乾いた笑みを零す。そんな俺を見て、学長は不意に笑みを消した。ふっ、と彼の纏う雰囲気が僅かに変わり、俺にとっては予想外だった言葉が飛び出す。
「だからこそ訊こう、ドミニク君。君は……あの子と共にいることは、本当に君が望んだことなのかな?」
「は?」
 何を言っているのか、と眉を顰めても、彼の浮かべている表情は真剣そのものだった。返答に迷う俺に対し、学長は更に言葉を重ねる。
「アドリエンヌと行動を共にすることを、苦痛に感じたことはないかい? 君は女性が苦手だと聴いているが、だったらなおさらだ。私に気を遣う必要はないよ、思っていることを全て言ってくれ。あの子が普通と違うのは、私もアドリエンヌ自身もよく分かっているんだ。もし君が――」
「……本気で言っているんですか、学長」
 気付けば彼の言葉を遮るように、低い声を出していた。一瞬遅れてそれを自覚し、俺は自分の行動に対して首を傾げる。けれどその理由は、考えるまでもなく胸の内に浮かんできた。
 認めてやったとか、仕方なく一緒にいるだなんて、どの口が言えたものか。確かに女は苦手だったが、アドリエンヌと話をしている間、俺は一度でも故国で覚えたような嫌悪を感じただろうか?
「今の流れでそんな言葉を聴くとは思いませんでしたよ。俺は……俺だって、付き合う相手くらい自分で選びます。嫌ならとっくに逃げている! アドリエンヌと話すのが楽しいから話すし、一緒にいたいと思うから一緒にいるんです。苦痛に感じたことは一度もありません。ただ、今更それを認めるのも癪というか、恥ずかしいというか――」
 まくしたてるようにそこまで行ったところで、俺は唐突に我に返った。自分が口走ったことに気付き、そのまま硬直する。そんな俺を見て、学長はいつの間にか面白そうな笑みを浮かべていた。まんまと嵌められたことに気付き、思わず彼を睨む。顔に集まった熱については俺も自覚していたが、そちらまで気を回す余裕はなかった。
「…………謀りましたね」
「ははっ、そんな真っ赤な顔で睨まれても少々迫力に欠けるな。いや、すまない。どうしても君の本音を確かめておきたくてね。これでも君には感謝しているんだよ、ドミニク君」
「俺に? 何故ですか?」
 まだ動揺は収まらなかったが、とりあえず一旦平静を装い、首を傾げてみせる。学長はなおも意味深な笑みのまま、ゆっくりと首肯した。
「君と出会ってからのあの子は、本の話ではなく人の話を聴かせてくれるようになった。感情が以前よりずっと豊かになった。あのアドリエンヌが。それは間違いなく君に影響されたからだ。恐らく君があの子に影響されたのと同じくらいに」
 そんなことはない、とは言えなかった。彼女に出会ってから自分が変わったことは、よく分かっている。例えばそう、女なんか、と事あるごとに繰り返しはしても、もう彼女らに昔のような嫌悪はあまり感じないのだ。相手によってはまだ苦手意識はあるが、鳥肌が立つほどの嫌悪感はもう覚えない。……影響された、確かにそうなのだろう。
 感謝しているんだよ、と再び呟いて、彼は顔を上げる。いつの間にか、その表情はとても嫌なものに変わっていた。学長がそんな顔をするのは初めて見るが、似たような表情なら何度も見たことがある。故郷で父が人をからかうときに浮かべていた、あの楽しそうな笑顔とよく似た顔。
「それにしても、安心したよ。父親として、娘と仲の良い男がどんな相手かくらいは知っておきたいだろう?」
「は? ……いや、ちょっと待ってください、あの」
 娘と仲の良い男、って。その響きは何と言うか、あれじゃないか。
「俺はそういうつもりで言ったわけじゃ、というか俺とアドリエンヌは、別に――」
「自覚のない愛ほど怖いものは無いな」
「少し格好良く言えば俺が納得するとでも思いましたか!」
 完全に相手の掌の上で踊らされている。二年ぶりに味わう感覚に苦い溜息を吐き、俺は静かに立ち上がった。本題が終わったのなら、あまり長居する必要もないだろう。
「話というのはそれだけですか? なら俺はそろそろ失礼します。アドリエンヌを待たせているので」
「ああ、引き留めて悪かったね。娘をよろしく頼むよ」
「勉強面で言うなら、世話をされているのはどう考えても俺の方ですがね……」
 乾いた笑みを残し、部屋を後にする。少し歩いたところで、俺は思い切り脱力した。学長に言われた言葉の数々が、頭の中でぐるぐると繰り返される。
「……でもなぁ」
 例えばもし仮に、仮にだが、俺がアドリエンヌに対してそういう感情を抱いているとして。それでも俺は余程のことが無い限り動こうとはしないだろう。今の、互いに遠慮など一切無い関係が、俺にとっては新鮮で心地良いものなのだから。
「いや、そもそもありえないだろうそんな、俺がアドリエンヌを、とか」
 しばらく頭から離れそうにない、割と大きな問題。彼女の父が投じた石は、確かに波紋を呼んでいた。
こんばんは、高良です。
もうやらないとか言っといて十日以上遅刻とかふざけるなって感じですねごめんなさい!!!! その分普段よりちょっと長めです。

出会いから二年。二人の、特にドミニクの心には、少しずつ変化が現れ……けれど本編に至るには、彼が動こうとするほどの『余程のこと』が必要なはず。

では、また次回!
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