その日でさえも、普通の日と同じ様に、灰色の見慣れた階段を上り「毛利探偵事務所」と白字で書かれたガラス戸を押した。
人気のないがらんとした室内。
…お父さんは今日も長谷川さんたちと麻雀。
コナン君は阿笠博士の家でクリスマスパーティって言ってたっけ…。
大きなソファーに体を投げ出すように座ると、前の机の上に持っていた紙袋を置いた。
小さくため息をつくと、そのリボンのかかった小さな白い包みに向かって呟く。
「今日も一人ぼっち…戻ってこなかったね、新一」
凍えるような部屋を暖めようと、窓の下にあるファンヒーターへ向かった。
ふと気になって、窓を開けてみる。
重くどんよりとした12月の雲から、大粒の雨が黒いアスファルトの地面を叩き始めている。
どこか遠くから流れてくる明るいクリスマスソングも、少し錆付いてるように聞こえた。
「はぁ…雨か…」
余計に憂鬱な気持ちが募って、少し乱暴に窓を閉めた。
しばらくすると、徐々に部屋が暖かくなってきた。
ソファーにまた座り、特にするあてもなくただぼーっとしていた。
時折後ろからヒーターの柔らかい風が髪を撫でている。
そう思っているうちに段々と上の瞼が重くなってきて…。
ふと気がつくと、私は堤無津川に架かる橋の上にいた。
灰色に凍りついた欄干にコートを羽織った腕を乗せ、街の灯りを眺めていた。
隣を見ると、そこにいたのは…新一。
新一も、両手を欄干にかけて、川を挟んで両岸に広がる、宝石箱のような色とりどりの光の粒を、どこか懐かしそうな目で見つめていた。
「新一…帰ってたの?」
新一がこっちを向いた。
「ああ」
妙にさっぱりとした口調だった。
それに、言い終えた途端、また川のほうを向いて、何か考えてるみたいだった。
そんな新一を見ていると、急に胸が締めつけられる様に苦しくなる。
…一体いつまで、こうしていられるの…?
「また…すぐに行っちゃうの?」
新一の顔と、街の灯りが、ぼんやりと滲み始めていた。
新一は、何も言わなかった。
ただ、私のほうを見て、ちょっと困ったような顔をしているだけ。…それが答え。
気づかれないように一度下を向いて目をこすって、もう一度新一の顔を見た。
…優しい表情を、目に焼き付けるように、またしばらく会えなくなる分まで、しっかりと見ておきたかったから。
不意に私の鼻の上に、白い一片が舞い降りた。
「あっ、雪…」
新一もゆっくりと上を見上げた。
また私のほうを向くと、悪戯っぽく微笑んだ。
「知ってるか、蘭。雪の聖夜にした願い事は、次のホワイトクリスマスのときに、サンタさんが叶えてくれるってさ」
「…本当なの?」
そのときにはもう、新一は目を閉じて、何か祈っているみたいだった。
急いで私も手を組み合わせて、一つしかない願い事を祈った。
「終わったか?」
新一の声に目を開け、無言でうなずいた。
「なあ、蘭は何お願いしたんだ?」
私に聞いたのに、新一の目は川面に映る米花町の灯と、雪の舞う夜空を眺めているまま。
…どこか少し寂しげに。
でも、そんな表情にわざと気づかないふりをしてにっこりと微笑んで言った。
「新一の事件が早く解決して、またずっと一緒にいられますように、って。新一は?」
新一も、微笑んで何か言おうとした。
でも、何も聞こえなかった。
新一の口は動いているのに、声だけが届かない。
どうして?どうして新一の声が聞こえないの?
新一は何を、お願いしたの?
ねえ、答えてよ新一………
「…新一…」
そう呟いた自分の声で、現実へ引き戻された。
目が覚めると、そこはソファーの上。
前のテーブルに置かれた渡す相手のいないクリスマスプレゼント。
つけっ放しのテレビから聞こえる乾いた音楽。
少し、夢から覚めたことを後悔してため息をついた。
不意に、テーブルの上の携帯が低いモーター音と一緒に小刻みに動き始めた。
「誰からだろう…こんなときに」
見ると、ついさっきまで一緒だった人。
あわてて携帯を耳に押し当てた。
「蘭か?」
夢の中よりも、ずっと優しい声に聞こえた。
「新一!今どこにいるのよ!」
「それより、ちょっと外、見てみろよ」
質問をいつもみたいにはぐらかした新一に少し頬っぺたを膨らませながら、さっき勢い良く閉めた窓を、もう一度開けてみる。
「あ…雪…?」
いつの間にか、雨は雪へと変わっていた。大粒のぼたん雪が、聖夜に舞っていた。
「…綺麗…」
そう呟くと、新一が言った。
「なあ蘭、知ってるか?」
えっ…これって…もしかして…。
「雪の聖夜にした願い事は、次のホワイトクリスマスのときに、サンタさんが叶えてくれるんだぜ」
やっぱり…。
「蘭は、何お願いするんだよ?」
電話の向こうの新一ににっこりと微笑んだ。
これから先は…夢とは違うよ、新一…。
「新一が、無事に戻って来れますように」
…今は…それだけで充分…。一目…新一の姿を見られるだけで。
部屋のテレビがクリスマスソングを奏でていた。
その中の一言が、妙に印象に残った。
「ねえ、『あわてんぼうのサンタクロース』だったらいいのにね」
「(ぼそっ)蘭……」
「だってさ、次のホワイトクリスマスが来る前に、願いを叶えてくれるでしょ…。早く…会いたいよ…新一…」
現実でも、目の前を通り過ぎる雪と、明るい街の灯が、どんどん滲んでいった。
涙声が新一に聞こえないように、硬く目をつぶった。
―――ピンポーン
突然鳴ったチャイム。
誰なの、こんな時間に…。
携帯を握り締めたままドアへ向かった。
曇りガラス越しに見える人の影。
「あのー、どなたですか?」
ドアの向こうの人影が少し動いた。
「ホーホーホー、サンタクロースじゃよ」
優しそうなおじいさんの声。でも、サンタさんって…?
いぶかりながら、ガラス戸をゆっくりと押した。
向こうから引かれて、一気にドアが開いた。
勢い良く開いたことでバランスを崩して前につんのめった。
そんな私を受け止めてくれたのは…新一。
「あわてんぼうのサンタクロースのご到着だぜ。
メリークリスマス、蘭」
そう言って新一は、私をぎゅっと抱き締めた。
…ありがとう、サンタさん。
蘭と新一の再会を、灰原は廊下の奥から見ていた。
新一の影になって蘭からは見えない場所。
二人の姿を邂逅が始まるまで見届けると、踵を返して背を向けた。
「魔法が解ける前までには戻ってくることね、シンデレラ君」
聞こえないのを承知で、むしろ自分に聞かせるように呟いた。
ビルから出ると、まだ雪は降り続いていた。
ふっと上を見上げる。
「私にはサンタさん、いつ来てくれるのかしらね…」
小さく肩をすくめると、静かに歩き出した。
クリスマスソングが、雪の米花町を真夜中へ向かって送り出していった。
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