ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
第14話
31/


 この場の殺伐とした雰囲気とは不釣合いな穏やかな音色。

 魏の宴席でも聞いたことがあるその音色――たしか“洞簫”という名の竹笛の音色だ。

 一瞬、その場にいた誰もが予想外の出来事に呆然としてしまった。

 怯えていた子供たちでさえ、その音色に恐怖を忘れているようだった。
 
 だが、人とは違い、獣たちはその音色に敏感に反応した。

「グオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 まず熊が、最後の力を無理やり引き出されたかように立ち上がった。

「ワオオオオオオオオオオオオオオオオン!!」

 そして、そこに狼たちの遠吠え。

「……ワオオオオオオオオオオオオオオオオン!!」

 少し遅れて、森の奥から違う狼たちの応えるかのような遠吠え。

 ソイツらはすぐに現れた。

「な、何て数よ!?」

 さすがの桂花も予想外の援軍だったようだ。

 左右の森からゆっくりと這い出してくる狼たち。

 その数、ざっと見積もっても三十匹は優に超えている。

 それに対し、こちらの護衛の兵はちょうど十五人。

 まずい――。

 いくら手練れの兵士とはいえ、俊敏な狼がこれだけの数で襲ってきては一溜まりもない。

 それは桂花も感じているようで、顔には焦りが浮かんでいる。

「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 俺たちの背後で、部隊長と熊が再び戦闘を再開した。

 今までの状況から、熊は部隊長一人に任せても大丈夫だろう。

 現在、俺たちが最も警戒すべきなのはこの夥しい数の狼たちだ。

「――!」

 改めて狼たちの様子を窺うと、奇妙な一致点に気付いた。
 
 後からきた狼たちも、すべて片目が潰され、鮮血が滴っている。

 中には眼球がこぼれ落ち、垂れ下っているものもいる。

「桂花これって!?」

「判っているわ! どうやらこれではっきりしたわね。私たちが誰かに狙われているってことが……」

 俺は急いで辺りを警戒するが、それらしい人影は見当たらない。
 
 笛の音、そして手負いの獣たち。
 
 そんなことが実際に可能なのかと疑うばかりだが、どうやら何者かが笛でこの獣たちを操っているらしい。

 それもご丁寧にわざわざ手傷を負わせている。

 何かの本で読んだことがある――手負いの獣こそが一番恐ろしい、と。

「!! 来るわよ!!」

 桂花の鋭い声。

 最初はゆっくりと、しかし次の瞬間にはもうトップスピードになって、狼たちが目まぐるしく交差しながらこちらに迫ってくる。

「はあああああああっ!」

 すぐさま応戦する兵士たち。

 しかし、やはりこの数には充分に対応しきれていない。

 第一の攻撃を防いでも、すぐさまやってくる第二、第三の攻撃には反応しきれていない。

 それでも、何とか凌げているのは彼らの実力が確かだからだ。

 普通の兵士だったら、先ほどの四匹だって凌ぎ切れたかどうか……。

「まずいわね……」

 冷静に状況を読んでからの、桂花の呟き。

 その一言がどれほどの重みを持つか俺は知っている。

 それだけ、軍師としての桂花の能力を俺は信頼している。

 狼たちの波状攻撃に、徐々に子供たちを包んでいた円が狭まってくる。

 このままではいずれ――

「ぐああああああああ!!」

 そのとき、恐れていたことが起こった。

 一人の兵士の腕に狼が食らいついたのだ。

 すぐに隣にいた兵が助けに入るが、そこに一瞬、包囲の穴ができる。

 噛まれた兵も助けた兵も、すぐに防戦に復帰したが、その脇を二匹の狼が駆け抜けていく。

 ――子供たちへと。

「うおおおおおおおおおおお!!」

 気付いた瞬間には俺は駈け出していた。

 何も考えられない。

 ただ、子供たちにその牙を届かせてなるものかと、走り出していたのだ。

 突然の横合いからの叫びに、一瞬警戒する狼たち。

 その一匹の脇腹に俺は肩からぶち当たった。

 その後のことはもう無我夢中で、我武者羅に狼に組み付き、気付いたときには背中から狼に覆いかぶさり、その牙を使わせないようにと顔を抑え込んでいた。

「一刀ー!!」

 だから桂花が叫んだ理由が判らなかった。

 何とかそちらを確認しようと顔を上げたき、その理由が理解できた。

 俺の目の前に、牙を剥き出しにしたもう一匹の狼が迫ってきていたからだ。

(あっ、これ死ぬなー)

 刹那、俺がこの後辿るべき運命を察することができた。

 すべての動きがスローモーションで見えていた。

 俺の顔目がけて、大きく開いた口が迫ってくる。

 その口蓋までしっかり視認できるぐらいの距離。

 そのとき、俺の頭の中にあったのは華琳のことと――

「桂花ぁぁぁ!! 子供たちだけでも助けてくれぇぇぇえっ!!」

 それだけだった。

 死んでも今掴んでる狼は離しはしないと全身の力で締め上げたまま、死を覚悟した俺は目を閉じた。


32/


「キャイン!」

 暗闇の中、目の前から情けない鳴き声。

 すぐに目を開けると、狼がいなくなっていた。

 慌てて状況を確認――いた。

 俺の視界左前方で、狼は、他の狼に首根っこを咥えられ地面に抑えつけられていた。

「え……?」

 よく見るとその抑えつけている狼は他の狼と毛色が違った。

 他の狼が灰色と白と若干の黒が混ざった複雑な色をしているのに対し、その狼は顔と手足の先に若干の白があるが、全身のそのほとんどは綺麗な茶色をしていた。

 チラチラと見える表情を確認すると、それは狼というよりむしろ犬に近いような――。

「セキト……ころしちゃダメ……」

 風にのって、か細い声が俺の耳に届いた。

 そちらの方を見ると、俺たちから少し離れたところに、その人がいた。

 下手すると、三国志の中で一番有名かもしれない最強の武将。

 飛将軍――呂奉先。
 
「…………」

 無言のままゆっくりとこちらに歩いてくる呂布さん。

 その神々しい姿に誰もが目を奪われている。

 俺たちだけでなく、獣すらもその動きを止めている。

 俺が抑え込んでいる狼も、その抵抗を止めた。

 それほどまでに彼女は美しかった。

 以前から美しい人だったが、この三年で、さらに美女として次のステージに上がってしまったかのような……、すでに人を超越しているかのような美しさがそこにはあった。

 特徴的にぴょんと飛び出した二本のアホ毛(彼女に対してはアホという表現は使ってはいけないような気がする)はそのままだったが、肩までだった髪は腰の方まで長くなり、シルクのような光沢を放ちながら紅く輝いている。

 三年前にすでに完成されていたスタイルはさらに成長し、神聖な雰囲気を保ちつつも、扇情を駆り立てるような鋭い刺激までをも感じさせるようになっていた。

 美しい顔もさらに美しさを増し、身長も少し高くなったようだ。

 この世で一番の美――それが三年後の呂布さんに抱いた俺の第一印象だった。

「……だいじょうぶ?」

 俺の傍まで来た呂布さんが慈愛に満ちた瞳で俺に問いかける。

 ダメだ……。

 本当に美しい……。

「は、はい。大丈夫です」

 俺が答えると、呂布さんはかすかに微笑んだ。

 そして、ゆっくりと手を伸ばし俺が抑え込んでいる狼の頭を撫でた。

「もう……あばれちゃ……だめ……。もりへ……おかえり……」

 そう言うと呂布さんは、狼の拘束を解くように、俺を引き起こした。

 自由になった狼は何も抵抗せず呂布さんを見上げている。

 その頭を呂布さんがもう一度撫でてやる。

「……め……いたかったね……ごめんね……だれかが……こんなひどいことして……」

 呂布さんは泣きそうな顔をしていた。

 それを見つめる狼の顔は、もう正気を取り戻していた。

 そのまま、狼は踵を返して森へと帰っていく。

 呂布さんが辺りを見回す。

「……おまえたちも……もう……おかえり……」

 そういうと、他の狼たちもまるで何事もなかったように森へと帰っていった。

「……」

 あまりに呆気なく、あまりにあっさりとしたその行動に俺は言葉を失っていた。

 それは、周りの他の兵士も、子供たちも、桂花さえも同様に、皆一様に言葉を失っていた。

「……セキト……おいで……」

 呂布さんが、狼を抑えていた犬――セキトに呼び掛けると、セキトは狼の拘束を解いて呂布さんの元へとやってきた。

 この犬を俺は三年前にも見ているはずだが、その時からは想像もできないほど、立派な体躯に成長していた。

 セキトが拘束していた狼を最後に、狼たちは俺たちの前から完全に姿を消した。

 それを見届けると、呂布さんは前方に向かって再び歩き出した。

 その先には部隊長と、傷ついた熊。

 呂布さんは何の躊躇いもなく熊に近づき、その胸元の傷にそっと触れた。

「……いたかったね……ごめんね……」

 また泣きそうな顔。

 俺はこの人にそんな顔をさせた奴を絶対許さないと心に誓った。

「……これは……おおかみさんたちとちがって……てあてしないと……」

 そういうと呂布さんは後ろを振り向いた。

 その視線は俺たちの遥か後方にある一本の木に向けられていた。

「……ねね……てあて……してあげて……」

「はいですー」

 その木の後ろからちんちくりんの変な奴が出てきた。

 何か一瞬にしてテンションが下がった。

 緑色の髪と幼い容姿――三年前にもこんな娘がいたような気がするが、何故だろう、あまり覚えていない。

 可愛い娘だが、とにかくちんちくりんだ。
 
 ねね、と呼ばれたその娘は、とてとてと呂布さんの傍まで走っていくと、熊の傷口を調べ始めた。

 ちんちくりんは一通り傷の様子を診ると、背負っていた鞄から何かを取り出し、要領良く熊を治療していっているようだった。

 なかなか手慣れているように見える。

 やるな、ちんちくりん。

 その間に呂布さんは、部隊長と何事かを話し、他の兵士たちにも次々と話しかけていった。

 どうやら、怪我をしてないか確認しているみたいだ。

 優しい。

 マジ天使。

「ちょっと、アンタ大丈夫なの?」

「お前マジ堕天使」

「死ねっ!」

 いつの間にか傍まで来て、心配してくれた桂花がゲシゲシと蹴ってくる。

「ごめんなさい。つい口が滑りました」

 今回は俺が全面的に悪いので素直に謝った。

「何で、この状況で口が滑るのよ、アンタはっ!」

 蹴りがさらに強くなる。

「あっ! それより子供たちは!?」

「人の話を聞けっ! まったく……。まあ、いいわ。子供たちなら全員無事よ」

 そういって示された方向を見ると、先生が子供たちの様子を確認していた。

 ほとんどの子が、恐怖から解放された安心感からか泣いてはいるが、怪我をした子は一人もいないようだった。

「良かった……」

「『良かった……』じゃないわよ、まったく。アンタね、もう少しバカなりにでも考えて行動しないとその内死ぬわよ。あんな無謀な行動、ほんとこれだからバカは困るのよ」

「? さっきも思ったけど、もしかして心配してくれたのか?」

「な――! な、何言ってんのよ! 私がアンタの心配なんかするわけないでしょう! これは、えーと、あ、あれよ! 私の部下が護衛しているときにアンタに死なれたら、私が華琳様に怒られるからよ! だ、だから別に心配なんてしてないんだからねっ!」

 よっぽど俺に勘違いされたくないのだろう、顔を怒りに紅潮させて桂花が否定してくる。

 やっぱり相当嫌われてるんだな、俺。

 なおも必死に叫ぶ桂花。

「そ、そうよ! アンタなんか私のいないところでさっさとし、死ねば良いのよ! そうすれば、華琳様は私のものに――」

「そうですね。北郷一刀、貴方にはここで死んでもらわないと困ります」

 その声は、俺のすぐ後ろから聞こえた。

「えっ――」

 それは本当に唐突で、俺の背後が視界に入るはずの桂花ですら、突然現れた声の主に気付いて驚いていた。

 それは俺も同じだ。

 俺の後ろに、気配なんて、なかった……。

「それでは、さようなら。“天の御遣い”殿」

 ――死の予感が俺を包んだ。
まさかの連続更新です。

さっそくコメントをくれた方が何人かいて、嬉しくてつい書いちゃいました。

そんな単純な作者ですが、これからもよろしくお願いします。
評価
ポイントを選んで「評価する」ボタンを押してください。

▼この作品の書き方はどうでしたか?(文法・文章評価)
1pt 2pt 3pt 4pt 5pt
▼物語(ストーリー)はどうでしたか?満足しましたか?(ストーリー評価)
1pt 2pt 3pt 4pt 5pt
  ※評価するにはログインしてください。
ついったーで読了宣言!
ついったー
― 感想を書く ―
⇒感想一覧を見る
※感想を書く場合はログインしてください。
▼良い点
▼悪い点
▼一言

1項目の入力から送信できます。
感想を書く場合の注意事項を必ずお読みください。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。