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飛沫をあげて、波を切る大きな存在がある。船だ。だが、現代に溢れる船とは少し様子が異なる。
船の中でも、いわゆる空母艦という種類のものだ。だが、その大きさは通常のそれとは一回りも二回りも大きい。
そして、特徴的なのはその外装だ。平べったい船上。そこには縦長状の司令塔……ブリッジの他にも建物が立ち並んでいた。大小さまざまなそれが集まった船上は街の様相をつくりだしている。
甲板に都市を持つ艦……都市艦。人々の住まう場所。
地上を捨てた人類の新たな居住地。
甲板上の都市、そのコンテナ風住居の上。寝転がっている二人の少女がいる。髪の色も違った二人だが、どちらも現代のスクール水着の様な衣装に身を包んでいる点は同じだ。近づいた太陽ゆえに、自然と衣服はこのようなタイプのものが多くなったのだ。
と、その内の一人、金色の髪を持った少女が口を開いた。
「ねぇ、ミチカ?」
「……何?」
もう一人。黒髪の少女……ミチカ・キリシマは身体を起こし、先を促した。動く度に揺れる長髪は黒く輝き、海に反射してキラキラと光を放つ。
ミチカは何となく嫌な予感がしていた。好奇心が形を持ったようなこのオセアが、こんな風に躊躇いがちになる時は、何か妙なこと、面倒事を言い出すときだ。
それに対して、オセア・スギハラはウェーブがかった金色を揺らして言った。
「私たちってどうして水上で生活しているのかな?」
「……それ、授業で習ったでしょ」
面倒事ではなかったことにホッとしつつ、担当講師を真似るように、黒髪の少女は語りだした。
かつて、人類は地上に住んでいた。しかし、環境の変化によって多様化し、凶暴に進化した生物たちに居住区を侵食され、その後は追い出されるように人類は水上へと進出した。
科学技術の発展により産み出された超大型空母艦である都市艦は、各エリア内を周回しながら他都市艦と交流、貿易をしながら生活をし、かつての栄華に近づこうとしている。
「……って。もしかして前の講義も寝てたの?」
「いや、そーじゃなくてさ。……何で水上に進出したのかな、って」
オセアは目を海に向ける。その片目は青みがかっている。いわゆるオッドアイだ。目を向けた先には、船があげる飛沫と、それに付随してユラユラ揺れる海面。
金の少女は疑問する。
「だって、科学技術が発達したんでしょ? 普通だったらあっちに行くんじゃないかな、って」
そう言って、彼女は人差し指をピンと真上に立てる。指の先にあるのは雲、空、そして……宇宙。
「私たちは何で地球に留まっているの?」
屋根から降りたオセアは家に帰っていた。極東エリア都市艦No.04『センダイ』。その『イズミ』区C地。そこに彼女の家がある。
国の成立条件は、主権と国民と領土である。故に領土が沈み、国民が海へと離れた「日本国」はもはや存在しない。
そもそも、現在も陸で暮らす民はいるのだろうか? だが、もはやそれを知る術はないのだ。
オセアは歩く。踏みしめる甲板の材質はオセアが名前を知らない金属。何かを合成してできているのだろうか。
「……」
足を動かしながら、オセアは講義で習うことに矛盾を感じていた。これだけの艦を造れるほどに発展していた文明が、何故宇宙に行かなかったのか。
たとえ、この程度の技術では宇宙に行けなかったとしても疑問は残る。何故進化を止め、漁と甲板上の畑で採れる作物で生活をしているのか。
これではまるで人類は逆戻りしているようではないか。史学講義で学んだ、かつての劣った時代に。
原始。人類には何もなかった。しかし、人類は成長し、学習することが出来た。
人類の英知の結晶、科学技術。講義でその話を聞く度にオセアは心が踊る。
空を飛べる乗り物や、個人同士で会話のできる通信端末。科学技術は夢物語のようなモノを現実に産み出すのだ。彼女はすっかり惚れ込んでいた。
私たち人類は、科学技術を手に入れ、使うことのできる誇り高き生物だ……と、オセアはそう信じて疑わない。
だから、正しく言うなら、オセアが心を奪われているのは科学技術ではなく、それを産み出した人類の能力なのだ。
それだけに彼女は我慢ならないのだ。科学技術の欠片も残っていない現在の状況と、それを良しとする大人たちが。
と、不意に大きく揺れた。おそらく作業用ロボが衝突でもしたのだろう。よくある話だ。
作業用ロボット『kawasakiⅡ』。球状のコクピットにキャタピラーとアームを取り付けた、作業にしか使えない人形。それが現在の人類に残された最後のロボットだ。古くはさらに高性能なロボットがいくつも造られたらしいが、今ではこんな……武骨なダルマのようなものしか残っていない。
これも謎だよね、とオセアは思う。
(記録では多く造られたって書かれているのに……どうして機械はこれしか残っていないのだろう?)
またダルマとダルマがぶつかった。金属と金属が触れ合い、やかましい音となって響く。
その音にウンザリとしつつ、彼女はボソリと呟く。
「何か、あるよね……?」
空を見上げる。コンテナのような家が積み上げられた先、紅がある。夕焼けの空だ。そこには早くも微かに星が見える。
オセアは決心する。この謎を解明してみせよう、と。
謎を解明するカギは、この都市艦の地下ーー正確には甲板下ーーにある資料室だ。大人の、役職持ちでなければ入れない場所。そこにきっとあるはずだ。
「……私の疑問に答える何かが、きっとあるはず」
決意に満ちた目で、彼女はコンテナの陰からブリッジを見上げた。
夜。黒が支配する中にオセアはいた。母親譲りの金色の髪は帽子で隠し、黒のコートを身に纏っている。
光源は月の光のみ。司令塔からも光が出ているが、あれはあくまで航海用だ。手前の海は照らしても、都市上は照らしてくれない。確か、こういうのを講義で習ったなぁ、とオセアは思考する。旧人類が作った「コトワザ」の一つ。古文単語テストにも出た言葉だ。
「トーダイ、もと暗し……だっけ?」
ともあれ、光が無いのはオセアにとっては幸運だ。闇は彼女を隠してくれるのだから。
人がいないことを確認しつつ、自らの家がある居住区画を抜ける。
この都市艦『センダイ』は大きく5つの区画に分かれている。
コンテナのような直方体の居住スペースが縦や横に並び、人々の住まう場となる「居住区画『イズミ』」。
病院や学校、神社や港が並び、開けた土地も多いことから、人々の憩いの場となる「文化区画『ミヤギノ』」。
甲板上に設けられた畑や田などを用い、農畜産業に励む「農業区画『ワカバヤシ』」。
海で獲れた魚や、農業区画で採れた野菜や果物。それに生活用品が並び、「シェル」と呼ばれる通貨で売買をする「商業区画『タイハク』」。
そして、すべての区画を見下ろすようにそびえ立つブリッジ。都市艦における操縦室であり、最高意思決定場。そこが「行政区画『アオバ』」だ。
『アオバ』はシェルをつくる機械がある唯一の場所であり、わずかながら科学技術を用い、生活用品をつくっている場所でもある。
といっても、それはこの都市艦に備え付けられていた機能であり、前時代の遺物にすぎない。都市艦では科学技術の研究は行われておらず、誰もが避けているような印象を受ける。
ともあれ、この5つが船尾から順に、文化、居住、行政、農業、商業と置かれ、船頭に至る。これが都市艦『センダイ』だ。
オセアが目指すのは、その『アオバ』ブリッジの地下だ。センダイの地下……すなわち艦内部は動力スペースと言われている。
廃棄物の燃焼や水力などをエネルギーとするための運動がなされていると彼女の父親は言う。もっとも、酒が混じった彼の話における構成要素の半分は冗談であり、本当のことはオセアには分からない。
……いや、彼女だけではない。地下は立入禁止区域とされ、アオバで働く役職者しか入ることはできない。
確かに科学技術を放棄したと言っていい民族だが、都市艦、特にブリッジ自体は発達した技術の賜物なのだ。科学技術によるセキュリティシステムは生きているに違いない。
けれど、それこそオセアの目論見どおりだった。
『認証コード、確認。『アオバ』管理局係長、トモヤ・スギハラと断定。ロックを解除します』
ガチャン、と大きく音をたてたことにビクリとし、周りを見渡す。しかし、辺りには人影など無い。
「やっぱり電子機器ってのは真面目で凄いなあ。……だからこそ、応用に弱いみたいだけど」
カギさえ示せば、何も確認せずに開けてくれるんだから……とオセアは呟く。
(これじゃあ、学校にいる警備員さんの方が優秀だよね)
警備員なら、カギを持っている人物が不審者ならば止める。
だが、この電子セキュリティはあくまでシステムに則って判断する。キーが証明をすれば、誰であろうと受け入れる。
しかし、そんな一途なところも含めて、オセアは科学技術に憧れている。
(使う人次第で、何にでもなる。科学技術は万能だもの)
そして、自分たち人類はそれを正しく使いこなせる者だ……オセアはそう信じて疑わない。
役職者である父親のキーを持ち出したことに罪悪感はあったが、オセアは首を振って、それを必死に打ち消した。
「……だって、気になるじゃない。私たちの衰えのワケが何か」
恐怖心を上回る好奇心が、彼女の足を動かす。
自動で開いた扉の先へとオセアは歩き出した。
帽子を外し、金色の髪を揺らすと、オセアはその左右不揃いの両目で全貌を見渡す。
資料室の中は彼女が想像していたよりも広かった。資料室の名の通り、天井に届きそうな程の棚には、書物が所狭しと積まれていた。
そんな中でオセアの目についたのは黒板のようなモノ。史学講義において習ったテレビの画面のようだ。かつて、一家に一台が当たり前とされたそれは、今では残されていない。
ここならば……と、オセアは期待に胸を踊らせて、さらに奥へと進む。
歩きながら、改めて本棚を眺める。きちんと整理されたそれはジャンルごとに分類されている。オセアが見つめた先にあったのは『農業』。
1冊を取り、めくる。色とりどりの野菜や果物の絵が描かれている。中には彼女の知らない種類もあり、それは環境変化により滅んだ種だと知った。自分が見ているのは未知の領域の情報だとオセアは改めて実感する。
禁忌を犯している。だが、先程から興奮を抑えられない。
やがて、『歴史』と分類された棚を見つけた。オセアが目当てとしていた情報だ。ファイル状にまとめられた情報群は彼女の好奇心をさらに刺激する。
この時代における史学講義において、くわしく教えられる時代は限られている。
現代で言う、原始・古代の史料はほぼ残っておらず、伝える人もいない。ゆえに、そこは実にサラッとしているが、中世・近世は現代と変わらず教えられている。
そして、近代・現代、だ。
その時代については資料も史料も残るため、変わらず教えられている。が、年代までくわしく記されているのは、2126年までだ。
その後の歴史は、昼に彼女の友人、ミチカが口にした通りだ。
ーー環境の変化とそれに伴う生物の進化。住みかを失った人類は、その後、水上に進出し、現在に至る。
それしか述べられていない。
だから、オセアが取り出すのは、その空白の歴史。変化した環境と生物たちに彼らがどう対処したのかについて、だ。
水上に進出する際に彼らが何を思って科学技術を捨てたのか、それを知るべく、オセアはページをめくった……。
翌日。
太陽は今日もギラギラと熱を発し、都市艦はいつものように静かに海を進む。
何も変わらない日常。しかし、金髪の少女には変化が見える。空をボーッと眺めて立ち止まったかと思えば、甲板を見つめながら歩いて人にぶつかる。挙動不審に見えるし、体調不振にも見える。
「ねぇ、オセア。……何かあった?」
そんな変化を察した黒髪の少女は、陰鬱な表情を浮かべる友人に声をかけた。
「あー、うん。何でもないよ?」
ハッとして、オセアはミチカに答える。しかし、その様子は何でもない様子では無い。
それに対して、ミチカは何も言わない。そうしてオセアを待っている。
波の音が響く。作業用ロボットのぶつかり合う金属音や、遠い商業区画からの喧騒も微かに伝わってくるほどの沈黙。
やがて意を決したようにオセアが口を開いた。
「もし、もしもだよ? ……私たちが無能な人々の末裔だって聞いたら、どう思う?」
歴史資料はハッキリと事実を示していた。たとえ、その事実が残酷であろうと、ただひたすらに正義を貫く。
確かに、オセアたちが習う講義と概略は同じだった。しかし、抜け落ちている箇所があった。
それは、居住地を失った人類が海上へと進出するまでの課程。
彼らは、何とか大地を取り戻そうと尽力した。生物を駆逐しようとし、自然をもとに戻そうとした。
だが、成果は出なかった。そこで地球合同政府は対策をとる。
宇宙進出。もはや住むことは不可能な地球を捨て、新たな星を探すと言うもの。科学者たちは既にいくつかの検討箇所を見つけており、金も時間も、こちらに注ぎ込まれた。
各国は都市艦を仮の住まいとし、その中で宇宙船を造り出そうと研究を重ねた。
そして、2423年。人類は本格的な宇宙進出を開始する。各国は長年造り上げてきた宇宙船に乗り込み、新天地に向けて長い旅を始めようとする。
しかし当然のことながら、乗り物には定員がある。
こうして、宇宙へと行けた者と地球に残された者の二種類に、人類は分かれた。
そして、宇宙へと行くための条件は、資料にしっかりと刻まれていた。それは、あまりに単純な分類であり、あまりに無情なものだった。
『科学技術への知識が多少なりともある者。そして、その家族を対象とする。なお、身体的損傷がある者は安全のために待機』
宇宙開発において役立つ人々を、国は連れていきたかったのだ。そして、役立たずをできるだけ減らしたかった。
つまり、オセアたちのように地球に住む民は、取り残された人類。見捨てられた人々。
衰えたのではなく、はなから劣っていたのだ。
科学技術の進歩を諦めたのではない。したくても出来なかった。
彼らにできることは、残された都市艦を使って同胞の迎えを待ち続けることのみ。
この事実は、自分には科学技術を使う能力があると信じこみ、人類に対し誇りを持っていたオセアにとって、衝撃を与えるものだった。
(私は、劣った人類の末裔。科学技術を生み出した人類の血は、私には流れていない)
どうしようもない程の空虚が襲う。
あの後、オセアは自分がどうやって帰ったのか覚えていない。
ただただ黒から白へと染まりかける空を眺め、その先にある宇宙を夢想した。
けれど、オセアはそこには行けない。落ちこぼれた人類だけが住まう地球で、牧歌的に一生を終えることしかできない。
『イズミ』に着いたことに気づいたのは、いつもの金属音を耳にしたからだ。
普段と変わらない光景。ポンコツのような作業用ロボット同士がぶつかり合い、火花を散らして音をたてる。
オセアは正直、このダルマのようなロボットが嫌いだった。しかし、見方が変わってしまった。恐らく、宇宙進出の際に、有効活用できる機械類は持っていったのだろう。大規模な人員削減をしたのだから、それくらいのスペースはあったはずだ。都市艦に残された機械類が必要最小限なのも頷ける。
だが。これは持っていかれなかった。つまり、オセアたちと同じ。
そう考えると、彼女はこのダルマとも仲良くなれそうな気がしたのだろうか。急に『kawasakiⅡ』に触り出し、静かにお礼を言った。
「……ありがとう」
人工知能を持たない遺物は、応答をすることなく、また作業に戻った。
ハッと我に還り、オセアはミチカの返事を待つ。もっとも、何か答えを期待していたワケじゃない。ただ、何となく喋りたかっただけに過ぎない。ゆえに根拠となる、彼女が見てきた情報は何一つ告げなかった。黒髪の友人は、しばらく唸った後、ニコリと笑って口を動かした。
「別に、何ともないんじゃないかしら?」
えっ……と言葉に詰まるオセアに対し、ミチカはピッと指を立てて、担任講師を真似るように言う。
「良い? かつての人類には何もなかったの。けれど、人類は成長し、学習していくことができた。……オセア、やっぱり講義寝てたでしょ?」
そんなことない、と反論しようとするオセアの口は手で遮る。潮風が黒髪を揺らした。
だからね……と、ミチカは言う。
「私たちだって、成長できる。オセアの好きな科学技術だってもう一度取り戻せるわよ」
風がオセアに届いた。暗雲を吹き飛ばすような、強く爽やかな風だ。
成長。進化。人類はそれを繰り返し、生きてきた。火をつけ、食物を狩り、蓄える。そして、文化を形成し、国をつくりあげてきた。
失敗と成功を繰り返し、偶然に助けられながら。人類は挑戦してきた。
劣った人類だからといって、挑戦から逃避するような道理はどこにもない。
オセアは決意する。変えてみよう、と。
(まずは行動しよう。そうしたら私たちにも出来るかもしれない。成長できるかもしれない)
左右で異なる色をしたオセアの目。そこに先程までかかっていた影は消え、光を放っている。
ここで生きていく。
ゆっくりと航海する都市艦の上。オセアは決意を新たにする。
「いつものオセアの顔ね……」
茶化すように呟くミチカに対し、オセアは満面の笑みで自身の復活を告げた。
待ち続けていた人類が再スタートを切るのは、ここからさらに8年後。何も出来ない人々が、科学に挑むために研究を始めるのだ。
その研究メンバーの中には、『オセア・スギハラ』の名前もあった。