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甘きもの、汝の名はチョコレートなり

作者: つんどら






「鴫原、それもしかして美園から貰ったの?」


 今まさに入ろうとした教室の奥から自分の名前が聞こえ、思わず美園は立ち止まった。

 声の主はクラスでも賑やかなグループに居る少年で、自分とはほとんど関わりもないような人種である。髪色も明るく、性格もまた明るい少年は、乃木といった。


「そう。まあ、オマケだけどね」

「もしかして、試作品とか?」

「うん。だからやたら大量なの。あの子完璧主義だから」

「へえ」


 ぐるぐると美園の頭の中に様々なことが去来し、はじけていった。ずるずると扉から遠ざかって、隠れる。

 会話の内容は頭に入って来なかったが、その後の言葉は脳裏に焼き付いた。


「へー、一個ちょうだい」

「んー……いいよ。はい」

「ありがと。ラッキー、クラスのマドンナにチョコ貰っちゃった」


 美園は、俯いたまま制服の胸元をぎゅっと掴み、はぁぁぁと溜息を吐いた。

 十年来の親友である鴫原の元に男子が群がっていき、お零れに預かろうとチョコレートをねだっていく。それが誰の作ったものであるかは関係なく、ただ彼女の手からチョコレートを貰いたいという一心で。


(そうだよね……)


 もう一度吐いた溜息は、泣きそうに濡れていた。


 ――美園が作った“本命”のチョコレートは、今朝早く登校して、乃木のロッカーに忍ばせていた。サッカー部の朝練習を終えてからロッカーを開けるのを見越し、そのときに見つけてくれるように。

 けれど彼が求めているのは、鴫原がその手で渡してくれる、たった一欠片のチョコレートだった。当たり前だ、彼女は誰よりも可愛いのだから。


 美園は昼休みの残りが10分ある事を確認して、そっと教室を離れ、トイレに戻った。

 情けない泣き顔で教室に入り、目立ってしまわないために。




 放課後、委員会があるという鴫原を待つついでに、美園は教室に残って黙々とノートを纏め直していた。

 要領は悪いが、何かと丁寧で真面目な美園のノートは、テスト前になると何枚もコピーされる事になる。そこまでする義理もないのだが、人がいいのも困り物だといつも鴫原に呆れられていた。


(……やっぱり、しぎちゃんのことが好きなのかな)


 幼稚園からの仲である鴫原は、いつもモテていた。幼稚園でも彼女はいつだってお姫さまで、自分はまるでそれに付き従う侍女である。

 本人はさっぱりとした性格だし、いつだって美園の事を気遣ってくれる大切な親友だ。見下してくるような事もない。けれど美園は、どうしても劣等感を感じてしまう。


(でも、しぎちゃんならいっか)


 そうして、勝手に負けを認める。

 戦うまでもなく、負けて当たり前だと、いつも思っていた。


(……で、でも……でもやっぱりやだ)


 好きな人と親友が、遠くなる。それはとても寂しく思えた。

 シャープペンシルを置き、美園はずるりと机に突っ伏す。


 丁度、その時だった。


「……美園?」


 ドアががらりと開く音と共に、聞き慣れた声。

 思考が一瞬、停止した。

 呼びかけられたのだと数秒後に気づき、ばっと起き上がってみると、そこには確かに乃木がいた。練習中のような格好で、タオルで頭をごしごしと拭いている。


「な、何か、用?」

「や、ちょっと聞きたい事が。急に降ってきたからちょっと休憩になったんだけどさ……鴫原が廊下通ってったし、今なら1人かと思って」


 彼の口から鴫原という名前を聞くと、どうしても胸が苦しい。

 大切な親友のことなのに、嫉妬してしまう自分が見難く思えて仕方がなかった。


「し、しぎちゃんの事なら、本人に」

「いや、違くて……あのさ、青い包装のチョコ、美園がくれたんだよな?」

「え……」


 血の気が引く。

 どこからばれたのだろう。鴫原にすら、本命がいるという事は言ったが、誰なのかは言っていないというのに。

 そもそも自分以外、相手にも、家族にも、誰も知らないままの自己満足でよかったのだ。ただ、彼に向けられるたくさんの気持ちの1つとして、受け取ってもらいたかっただけで。


「そんな顔すんなって。突き返したりしないから」

「……う、うん。ごめんね」

「ごめんって、何で謝んの?」

「え、えと、私なんかが……」

「なんかって、何だよ」


 ほんの少し強まった語調に、びく、と肩が震える。

 まっすぐな視線に耐えかねてうつむくと、頭の上から声が降ってきた。


「……ごめん、その、脅かしてるつもりはないんだけど」

「う、ううん、私こそごめんね」

「謝んなって。……で、その、チョコなんだけど」


 恐る恐る前髪の隙間から見上げるが、表情はよく見えない。

 次に言われる事を予想して身構えていると、思いがけず固い声が聞こえた。


「ほ、本命……だよな」


 顔が真っ赤に染まる。

 イエスと答えることは、告白とも同義だ。とても恥ずかしくて声など出せない。けれど、ノーと答えることなど出来なかった。

 長い逡巡の末に、ほんの小さく、こくりと頷きを返す。


「……」


 しかし、それに対する答えはいつまで経っても帰ってこない。

 迷惑だったのだろうか、気分を害してしまったのだろうか、それとも伝わっていないのだろうか――泣きたいような気分で視線をまた少しだけ上げると、突然、視界が真っ暗になった。


「ちょ、ご、ごめ……見ないで」


 手で目を覆われているのだと気づいたのは、その後である。

 乃木の手が触れている事に、更に顔が熱くなる。しかもその手から温度が伝わってしまうと思うと、ますます恥ずかしかった。


「の、のぎくん?」

「……昼休みに、鴫原が持ってたチョコ見てさ。あの袋、俺が貰ったやつに付いてたのと同じリボンで縛ってあったから、もしかして美園なのかって思ってさ。練習も集中できねーし、マジで困った」

「こ、こまっ……ご、ごめんね、あの、無理に食べなくてもいいから」

「食べる! 大事に食べる!」


 妙に力強い言葉に、びくっと肩を震わせる。

 そして漸く手が外されたかと思うと、今度は自分の顔を手で覆った乃木が目に入り、美園は目をぱちくりとさせた。


「あのさ、美園」

「う、うん」

「チョコ、すっげー嬉しいよ。――俺、美園のこと、ずっと好きだったからさ。びっくりした」


 ――今度こそ美園の脳は、動きを止めた。

 はにかむように笑ってそう言った乃木は、廊下から聞こえてきた先輩らしき声に反応し、じゃあまた明日な、と言って去っていった。


 美園はそのままの姿勢で数十秒固まっていたが、乃木が出て行ったのと反対側のドアががらりと開くと、我に帰った。


「どしたの?」

「……あ……」


 親友の声を聞いた途端、ぐらりと美園の体が傾ぎ――椅子ごと床に倒れた。

 がしゃんと豪快な音がし、慌てて鴫原が駆け寄って助け起こす。しかし、思いきり床に叩きつけられた筈の美園は、ぼんやりと中空を見つめて放心していた。


「な、何かあったの? 痛くない?」

「い、いたくない……し、し、しぎちゃん、の、乃木くんが」

「乃木? 乃木がどうしたの?」

「す、すきだって……」


 自分で言ってまた気が遠くなったのか、美園の体から力が抜ける。

 鴫原が慌てて背中を支えると、いよいよ天国にでも居るかのようなぼんやりとした表情になる。――だめだこりゃ、と溜息を吐いて床に美園をそっと座らせた。


「どうりで欲しがるわけね」


 袋いっぱいのチョコレート菓子の数々は、まるでファミリー用アソート状態だった。何を作るのか迷って全て作り、失敗と成功を重ね、完璧になるまで繰り返したのだと想像がつく。

 鴫原はくすくすと笑いながら、美園の代わりに勉強道具を片づけ初めた。


「……ま、タダじゃ嫁には出さないけど」


 誰も見ていなかった鴫原の微笑みは、かなり不穏なものであった。









「参ったな」


 サッカー部の部室で、壁に寄りかかった乃木が呟く。


「何が?」

「鴫原がいるんじゃ、おちおち近づけない」

「鴫原って、あの鴫原? ミスコン優勝候補の?」

「その鴫原。多分、何か感づいてるな」


 クラスにいる時とは別人のような、表情の薄さと、淡々とした言葉。

 しかし椅子に座っているチームメイト――乃木と小学校の頃からのサッカー仲間である市井は、それを変だとは思っていない。

 元々の乃木は、今のような状態が普通だったのだから。


「俺、鴫原すっごい好みだなー。胸ないとこも好み」

「……なら、鴫原を落とせないか?」

「えー無理無理、氷の女王だってあれ」

「落とせ」

「……はーい」


 その性格が祟ってチームメイトと不仲になり、才能を持ちながら地元のサッカーチームを自らやめたのが小学校の高学年の頃の事だ。

 それから入ったのは隣町のチームで、そこで市井に出会い、彼を真似ることで人間関係を円滑にする方法を学んだのである。

 ――ありていにいえば、猫かぶりだ。


「頑張ってみるけど、お前も頑張れよ」

「当たり前だ。――せっかく、向こうから来てくれたんだから」


 好きになったタイミングは、乃木自身もよく分かっていない。

 気づいたら目で追い、気づいたら時折さりげなく美園の机や椅子に触れるようになり、気づいたら持ち物をこっそり新品と交換して持ち帰るようになっていた。

 立派なストーカーの出来上がりである。

 最近では、稀に会話する事があればこっそりと録音していた程である。


「なあ、本物が手に入ったら録音は消すんだよな?」

「そんなもったいない事できるか」

「……見つかるなよー」


 せめてイメージを崩してやるな、と市井は願った。

 だが、元々の乃木の性質からすれば、どちらかというと大人しいタイプの方が一緒に居て落ち着けるのだろう、とは理解できる。


「で、付き合うの?」

「……テンションが上がりすぎて、そこらへんはまったく話してない」

「えええええ」


 思わず手に持っていたものを取り落とし、市井は驚愕の叫び声を上げた。


「お、お前、付き合ってからが本番ってもんだろ」

「頭が真っ白で、それどころじゃなかった」

「それどころだよ! 馬鹿! お前、明日には絶対付き合うって言えよ!」


 その言葉に、乃木はゆっくりと口元を歪め、笑顔らしきものを浮かべた。

 普段の明るく人好きのする笑顔ではなく、どこか薄ら寒いものを感じさせるような笑顔だ。


「――勿論だ」


 そして、市井は眼を逸らしながら、まずい人間に目をつけられた美園のために合掌した。




 もっとも、鴫原の巧妙な妨害によって、この危険人物と正式に付き合う事になるのは一ヶ月後の事なのだが、そんなことはまだ誰も知らない。

 市井が見事鴫原を落とす時が来るのかどうかも、神のみぞ知るといったところである。








ホワイトデーに続……くだろうか。続くかもしれない!

というわけでバレンタイン小話でした。



ちなみに人物は全部名字です。

名前は決めてないです。


●美園

大人しい。努力家。しっかり吟味した言葉しか口に出したくないタイプ。

とにかくキャラが薄いというか少女漫画の主人公っぽい所がある。

たぶん鍵付きの日記とか持ってる。ただし女子力は低い。しかしパジャマと部屋は可愛い。ぬいぐるみとかいっぱいおいてある。ファンシー。ただしその中に混じってドクロだのマグロだの妙に生々しいフィギュアがおいてある。やっぱり根が暗いのかもしれない。


鴫原しぎはら

しぎちゃん。美少女。つるぺた。

勘が鋭い。容姿とは裏腹にけっこう適当なところがある。

クラスのマドンナだが、率先してクラスの輪に入ることはない。

男はあまり好きじゃない。食いしん坊。趣味は美園を愛でること。

カモハラとか呼ばれるとキレる。


●乃木

いつもにこにこ笑顔が一番  みたいな皮を被った根暗。

猫かぶり歴は5年くらい。年季の入った老猫である。

アイドルというよりはちょっとイケメンな芸人くらいのモテ具合。というのは自ら意図して作ったキャラ。

クラスでは中心格だが、家に帰るとわりと無気力。サッカーのために生きているような所があったが、最近は同じくらいストーカー行為に力が入っている。しかも全くバレないあたりが恐ろしい。


●市井

「部内人気2位なのにイチイでーす!」が持ちネタだが実際の人気は4位くらいである。褒めると調子に乗るので周囲によく叩かれている。が、嫌われない。

根っこからチャラチャラしているが、怒るとヤンキー。が、普段はもっぱら乃木のパシリである。

潜在的ドS。





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