白銀
■イラスト小説企画『小説風景12選』<4月>■参加作品です。
小さい頃――それこそ幼稚園の頃から、犬でも猫でもいいから飼ってみたかった。
家は父さんの会社から借りている社宅で、動物は禁止だった。
飼いたくても飼えなくて、大泣きしたのよね。と、母さんに今でも繰り返し笑い話にされている。
それが引っ越すことになり、建て売りだが一軒家を持つことが決まったのだ。
これは俺にとって、重大な事実だ。
一軒家ならば、動物なんか飼いたい放題!
俺は一人っこだったから、弟分が欲しかった。
そうだ、飼うならばオスの犬がいい。
でっかくて、枕に出来そうなくらい頑丈で、ちゃんと言う事を聞く。かしこい弟。
そう考えるだけで、胸の高鳴りを押さえられない。
一軒家は社宅から遠く、友達とも別れなくてはならない事もあって、両親は犬を飼いたいという意見をのんでくれた。
「正寛、お母さんの友達の犬が子供を産んでね? 飼い主を探してるっていうから、明日見に行ってこない?」
そんな言葉に、勢いにまかせてうなずきかけたが、中学にあがったばかりの俺がついていくのは少し気恥ずかしかった。
俺が欲しがっているんだから、選ぶ権利を笠に行ってもおかしくないのだろうが……親と一緒にというのは、どうにもむずがゆくて。
「母さんにまかせる」
と言ってしまったのは、失敗だった。
慣れない学校から帰ってきた俺の目の前にいたのは、大型犬になるとは思えない、とても小さな白い子犬。
小さなダンボールの中で、にらみつけるように見上げてくるソレに、思わず、
「ぶっさいくなヤツだな」
と言えば、母さんが飛んできた。
犬は人間の気持ちがわかるのよ! と頭ごなしに言われたが、ぶさいくだと思ったもんは仕方ないじゃないか。
しかも母さんが言うには、初めて飼うならメスのほうが飼いやすいから。と聞いて、連れ帰ったのはメス。
途端に、残念な気持ちになって、興味がなくなった。
「正寛が欲しいって言ったんだから、散歩もご飯もちゃんとするのよ」
と言われたが、けっきょく母さんが文句を言いながらもしている。
名前は『シロ』とつけられそうになり、ありきたりじゃないかと文句をつければ、怒られた。
だが、けっきょくはシロと呼べば折れそうな細い足で、だが、元気いっぱい走ってくる犬に、俺はせめて、
「白銀にしよう」
と言った。そこから彼女は白銀になった。
しかし、犬を育てるということは意外と大変で。
何度もかみついてくる白銀に、手から血が出たと母は悲鳴をあげていた。
小さい牙はあまりにも細く、とてもとがっていて、しかも問答無用で力強くかみついてくるのだ。
狂ったように走り回り、人間の手や足が目の前に差し出されれば、大喜びでかみつく。
前足や小さな口の届く範囲の物は、すべてひきずり落とし、それはもう見ていて気持ちがいいほどの破壊っぷりで、なんでもボロボロにする。
父さんがまだ読んでない新聞から、買ったばかりの漫画雑誌は当たり前。手すりにかかっているタオルはすぐ糸クズになり、歩くズボンの裾をかみついて離さず、どれだけ破られたことか。ジーンズは特にかみ応えがあってお気に入りのようだ。
母さんは、限界のようだった。
だが、めげてもいられないようで、タオルは引っ張っても落ちないように、手すりにかけタオルの脇を洗濯ばさみでとめ、ローテーブルの上にある物や、白銀の攻撃範囲にあるすべての物は高い位置に移動させられた。
もちろん、俺も白銀の攻撃例外ではなかった。
構いたくもないと思っているのに、床につけている足にかみつき、逃げれば追いかけてくる。
「このやろう!」
そう叫んで。それでも蹴飛ばすわけにもいかず、かまれないように床に転がしてやった。
最初は、なにが起きたのかわからなかったように白銀は座って、俺を見ていた。
しかし次の瞬間、狂ったように飛びかかってくる。
なんだか知らないが、嬉しかったらしい。
もう一度、転がそうと手を出せば、いっちょ前に横っ飛びをしてよけ、ななめからかみつこうとした。
こっちとしてもかみつかれたくはないから、必死に応戦する。
両親はその攻防に大笑いだった。思いもよらず、明るい家庭の一旦をになってしまったらしい。
もちろん、白銀がかみつくよりも、俺が転がす回数のほうが多かったから、俺の勝ちだ。
かみついたら、手をにぎって立ててみたり、指を口の中に入れてみたりと本に載ってるとおりにしてみたが、白銀は強情だった。
油断して、血が出るほどひどくかまれたとき、おもわず横っ面をひっぱたいてしまった。
白銀は悲鳴をあげ、たたらを踏んでから座ってうなだれた。
その姿に、もちろんかまれた手も、叩いてしまったほうの手も痛かったが、なにより胸が痛かった。
「まだ生まれて三ヶ月なのよ! 人間の赤ちゃんだと思ってみなさい? なにもわからない頃でしょう?」
そんな母さんの言葉が、ひどく胸を打つ。
「ごめん、痛かったな」
そう言って膝の上に仰向けに乗せ、大きな目を正面から見て。
白銀も見つめてきてくれて。
ぽってりとした腹をなでてやったら、上目づかいのまま白銀は小さな口を開け、俺の手をかんできやがった。
だけど、それは痛くなくて。少しは甘がみを覚えたのか?
と思った途端、本気がみをしてきた。血が出たとこを、またかまれて俺は怒鳴りつけてしまった。
でも、さすがに二回は叩けなかったけど。
犬用の固いガムとすり替えればいいのだとまた本で見た。しかし、どこからそんな力が出てくるのか、どんなに大きくてもすぐ食べてしまう。
そして、俺の手を狙ってくるのだ。よって、固い物とのすり替えも有効だが、長持ちはしないという結論になる。
かみつかれたら、耳か鼻をかみつき返せ。という話をネットで見て、やろうとしたら口をかまれた。
よって、もうこれは二度とやらないと心に誓った。
*
――白銀が家に来て、二ヶ月目のある日。
「正寛、散歩に行ってやって」
そう母さんに言われ、しぶしぶではあるが細く赤いリードをはめてやり、いまだ慣れない同級生に会わないよう祈りながらスニーカーをはいた。
母さんが慌てて飛んできて、白銀に服を着せようとする。
ピンク地に白いレースがたくさんついている物で、俺は断固として拒否をした。
すごく不満そうに母さんは口をとがらせていたが、そんな白銀を連れ歩く俺は、恥ずかしすぎるじゃないか!
ありえない。とてつもなくありえない。
しかし散歩をしてみれば、犬の散歩をしている人は多いものだと実感する。
そして、服を着せられている犬の多いこと。
子供と同じというのも、なかなかうなずける。
母さんの白銀に対するファッションセンスは、どうかと思うが、こう見ると人間と変わらないような服もあるようだ。
服の線もない事はないのかもしれない。だけど、フリフリな服を着た白銀を連れて歩くのだけは勘弁してほしい。
ときおり、知らない散歩人のおねーさんなのか、おばさんなのか若い女の人から、
「白銀ちゃんでしょう?」
といろんな人に声をかけられる。
おそらく母さんが築き上げてきた犬友達なのだろうと思った。
最初は、逃げ出したい気持ちでいっぱいで、俺はひきつった笑顔を作ることでせいいっぱいで。
でも、それが五回以上にもなれば、いくら引っ込みじあんの俺でも慣れてくるもので。
だけど白銀は、相手の犬にも人にも、一番最初に俺に向けた顔をして、俺の後ろから出ようとしない。
「わんこは、本来それが普通だから。気にしなくていいのよ」
とか、
「いつか仲良しになれたら嬉しいわ」
とか言ってくれる人もいたが、あるおばさんは無理に犬同士で『あいさつ』をさせようとして、白銀がパニックになり、かみつこうとしたもんだから、俺は必死で取り押さえた。
そしたら、
「シツケくらい、ちゃんとしなさい!」
などと怒鳴ってきたのだ。勝手に押し付けてきたくせに、そいつに飼われている犬も不幸だと思ったが、とにかく心の中にある二度と口もききたくないリストにそいつを載せた。
白銀には、大丈夫だからついてこい! と胸をはって、そいつには別れの挨拶などせずシカトしてやった。
最近の子は、挨拶もろくに出来ない。などと聞こえよがしに言っていたが、知るもんか。
大人のくせに、ちゃんとシツケされて育ってきてないに違いない。
そんな騒ぎをもう忘れたのか、あっちこっちとにおいをかぎまくる小さな白銀を見下ろして、考える。
「なあ、白銀はうちに来て、幸せか?」
自分の名前を呼ばれたからかはわからないが、大きな目をこちらに向けて、フンッと鼻息で返してきた。
そのようすが「当たり前でしょ!」と言っているように聞こえて、思わず笑ってしまった。
*
そして、生きているとこういう事もある。
もちろん俺も周りに溶け込む努力しようとしなかったのが悪かったのだが、新しい学校に慣れないと思っていたら、どうやら俺はいじめられていたらしい。
特になにかしてくるわけでもないので、実は気がつかなかったわけだが、懇切丁寧に教えてきたヤツがいて発覚した。
どうも、同じ校区に新しいヤツが入ってきて、挨拶もなしでむかつく。らしい。
一体、誰に挨拶をしたらいいのか?
えてして、そういうヤツは暇人で。
俺としては引っ越してきた隣近所に、家族総出で挨拶回りは終えているので、言いがかりをつけたかっただけだろう。と思っている。
体育の時や、給食当番の時なんかが少しめんどくさいだけで、後は特に支障はないから、本気で気がつかなかった。
教えられたものの、それで傷ついたか? と聞かれれば、そうでもない。と答えるだろう。
きっと、そいつらはソレを聞かされても変わらない俺に、むかついたんだと思う。
今まで自分から馴染もうとしなかったのが悪い。と思っている俺が、そう簡単に変われるわけがないのだ。
だから、今までどおりにいた。それがまずかったらしい。
「体育館裏にこい」
そんな昔からあるような呼びつけられかたをするなんて、思いもよらなかった。
たしかに教室で取り囲まれたときには、さすがに怖くなったが、そいつらが離れていってからは、ちょっと新鮮で、面白くて。
笑いたくなったが、さすがにそれはやめといた。
聞かれていたら、この身がより危険にさらされるかもしれない。
静まり返っていた教室に、ざわめきが戻った。
戻ったというよりかは、その前よりも騒々しい。
おそらく聞き耳をたてていた同級生たちが、ことの成り行きを想像しては人の不幸に花を咲かせているのだろう。
だが、だれも俺に話しかけてこないのは、巻き込まれたくないのだろう。まあ実際、俺もそっち側だったら、同じ行動に出るに違いないが。
それよりも、白銀を叩いてしまった右手を見る。
ケンカになることは、間違いないのだろう。
叩く前。白銀の行動は、傷つけようとしてではなかった。
純粋に遊びたくて、ただ力がありあまっているだけだった。
だったら、今回はどうだ?
あきらかな悪意と、傷つけることに喜びを感じているやつらに、この右手をふるっても痛みは感じるのだろうか。
この心に、痛みは生じるのだろうか。
だがきっと、俺はもう決めていたのかもしれない。
「お、なんだよ。本当にきたよ」
下卑た笑い声に近付いてくる三人に、さすがに後ずさった。
男だろうが女だろうが関係ない。怖いもんは、怖いのだ。なにが悪いのか。
「震えちゃってんじゃねーの? だっせー」
などと色々と言われていた気もするが、緊張のせいかほとんど覚えていない。
だけど、
「こいつ、きったねー犬飼ってんだぜ」
と言われたところから、脳みその回路はつながった。
どこからどうそんな話になったのか。自分が口走ったとでもいうのか? まさか。
しかし、どんどん話は進む。
「じゃあこれから、お前の犬見かけるたびに遊んでやるからよ」
「なんなら、今から連れてこいよ。そうしたらお前は見逃してやるから」
「そのまま逃げたら、一生見かけるたびにお前を殴ってやる」
そう言ってやつらは、笑った。
一瞬、なにを言われたのかわからなかった。
白銀を、こいつらに渡す? なにを、なにを言い出してるんだ? こいつらは。
止まっていた脳みそが、フル回転する。
この場はおとなしくやり過ごそう。そうすれば悪くても二、三発殴られて終わるだろうから。
そんな事を思っていたのに、
「いやだね」
知らず、口に出していた。
もし心に思っただけであっても、きっと。絶対に結果は変わらなかったろう。
あきらかにその場の空気は変わり、一番近くにいたヤツが殴りかかってきた。
「さからうのかよ!」
怒号をあげるやつらに、正当防衛だと自分に言い聞かせて右手を握りしめる。
「汚いことしか出来ないヤツに、白銀を触らせられるかよ!」
威勢よく叫んではみたが、多勢に無勢ってやつだ。
けっきょく俺は手を上げられなくて、ボコボコにされはしたけど、なにをされても抵抗しなかった俺につまらなそうに舌打ちをして、あいつらは立ち去った。
そこかしこ痛くて、とても動けそうになかったけど、勝った気分だった。
守るんだ。
俺は白銀の兄貴だからな。
遅咲きの桜が、風にあおられてザワザワと音をたてていた。
暖かい風が頬をなで、痛みを助長させる。
「白銀ちゃんのお兄ちゃん!? た、大変!」
だれかの声が聞こえた。
体育館裏の隣は、土手になっていて犬の散歩をしている人もいる。
だから、散歩したときに会った誰かなんだろうけど、目が腫れていてだれなのか判別がつかない。
というか、そんな事を考えるのも億劫だった。
――おにいちゃん!
そんな声が、遠のく意識の中で聞こえてくる。
腫れぼったい目を薄く開ければ、陽の光に輝くような白い耳がうっすらと見えた。
白い着物をきた、小さな少女。
――おにいちゃん、だいじょうぶだよ!
しろがねが、そばにいるからね!
そう言ってしがみつき、変わってしまった顔をペタペタ触ってくる。
そこは痛いから、やめてくれ。と言ったような言ってないような。
気がつけば顔中冷たい物体で冷やされている。そして心配そうな顔でのぞきこむ父さんと母さん。
どうやら自分のベッドに寝かされているようだ。
父さんが低い声で、よく頑張ったな。と言ってくれた。なんでも気を失ってから警察やら救急車やらが来て大変だったらしい。
しかし、俺は今、そんな情報は必要としていなかった。
「白銀は?」
と聞けば、母さんが白銀をベッドにあげてくれた。
大きな目を、いつもどおりキラキラさせて、喜び勇んで顔をなめてくる。
あのとき見た、輝かんばかりの白い着物が似合っていた少女ではなく、白い毛むくじゃらの小さな白銀。
「お母さん、学校に乗り込んでやるからね!」
あまり聞くことが出来ない母さんの怒りに満ちた声に、頼むからやめてとだけ言った。今度は確実に声が出た。
あと、顔が痛いから白銀をどけて。と言えば、難しい顔をしていた父さんがやっと小さく笑った。
不服だったのだろう白銀は、その小さな身体を駆使して、布団を引きずりおろそうとしていて笑えた。
「本当に、大丈夫なの? 後で警察の人が聞きにくるから、正直に話すのよ?」
「うん。俺は兄貴だからね、何も知らない白銀を守るのは、俺の役目だし」
「なにがあったのかは、話してもいいと思ったときでいい……でも、無茶だけはするなよ?」
「わかってる。ありがとう、父さん。大丈夫だから。俺は正しいことをしたんだ、簡単に人を傷つけたりなんかしないんだ」
そう言ってやったら、母さんが口をとがらせ、一矢くらい報いてやってもいいのよ。と呟き、父さんに止められるのを見て、思わず笑い、痛みと笑いにマジでほんろうされた。
そうだ。わかっていたんだ。
だれかを殴ったとしても、きっと俺は自分が傷つく。
人に手をあげて、なにも感じなくなった時点で、俺はすべてにおいて負けなんだ。
布団から手を出して、白銀を探す。
細い前足で抱きつかれ、手首をかまれた。
まだ子供の牙は、甘がみでも痛かったけれど、いつも通りの白銀が嬉しかった。
大丈夫。自分はこれからもきっと、大丈夫なんだ。
そう思わせてくれる存在が、すぐそばにいる。
睡魔におそわれて、そんなに大きくは開けていられない目が閉じていく。目が覚めたら、また大変な日常が繰り返されるのかもしれない。
でも、それでも自分は大丈夫な気がした。前を向いて、歩いていけるんだ。
手首に感じるあたたかな温もりを感じながら、俺は眠りに落ちた。
読んでくださって、ありがとうございます!
初一人称の作品で、なんだか大変でありました><
もっともっと頑張ります。