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蝕−ショク−
作:尾継也太



蝕:30


「椿姫をご存知だそうですね」
 優しい声だった。柔らかな日差しの中で、そう、緑溢れる公園が良い。僕は本を片手に彼の話を聴くのだ。
 だが今の状況はそんな願望さえ空虚なものにする。妄想は妄想だと言う現実を突き付ける。
「彼女が自分の子どもの血で染めた着物を着ようとした件もご存知ですか」
 青葉は小さく頷いた。
「では、何故彼女がそのような事をしようとしたかは知っていますか」
「それは……知りません」
「彼女は自分の子どもを愛していたのです」
 青葉は困った様に頭を擡げた。僕が青葉なら同じくそうしただろう。そんな事は聞いた事が無いし、文献にも載っていない。第一それがどうしたというのだ。彼女は自分が妖怪に憑り突かれているなどと思っていないのだから――気にせずに境生は続けた。
「この家にいる妖怪は椿姫ではありません。いや、そもそも椿姫は妖怪ではない」
 それは確かにそうだった。しかし、椿姫が妖怪かどうかなど関係無い。奴らにとっては『いわく』こそが大事なのだ。想いの力こそが大事なのだ。キッカケなど何だって良い。
「妖怪は名と姿が与えられてこそ妖怪たりえます。椿姫はそれが目的で語られていたのではない」
「目的?」
「ええ、椿姫の話に隠された目的、それは『母と子の愛』です」
「母と子の愛……」
「そうです。彼女は妾に殺されそうになった我が子を守ったのです。まあ良くある後継者争いですね。妾を殺したのは事実ですが、それは白鉛を塗るなどの生温い手段ではない。小柄を手に――それこそ必死だったと思います」
 この人は一体――
「もちろん彼女は自分が処罰される事も承知してました。しかしそれでも我が子を守りたかった。愛していた。そう、今のあなたの様に」
「そう、なのですか……ですが先生、私は……」
「まあ、最後まで聞いてみてください。お嫌ですか?」
「いえ……ただ申し訳無いと……」
「それは気にする事ありません。僕は聞いてい欲しいのです」
「……分かりました」
「ありがとうございます。それでは……この地はそう、元々は『白塗り』という妖怪のテリトリーだった。人を白く塗る妖怪です。椿姫ではありません。先ほども言ったように椿姫は妖怪ではないですからね。ただの人だ。妖怪――彼らは語り継がれる事でその役目を果たしてきました。この白塗りの場合は単純です。白く塗るのには注意しろ、つまり白鉛の毒から身を守れという示唆がその役目ですね。白鉛の毒性は弱く、長年使用してようやく死に至る程度です。だから逆に、普通の人、つまり一般庶民ですね、化粧などに縁の薄かった庶民には、その毒性が判然としなかった。結果、良く分からない現象として認知されてしまう。つまり、白鉛は怪しいけれど確証は無いってところですね。その曖昧さの隙間に生まれたのが白塗りです」
「白塗り……」
「そうです。ところがそこに椿姫が誕生する。そして彼女はその死後、母子愛の代表として語り継がれるようになります。これはかなり一瞬ににして広まった様ですね。おそらく当時、そういった話が求められていた環境にあったのでしょう。幾つかの豪族達が泥臭い後継者争いをしています。それから椿自体が花木として認知されだした時期だったというのも関係するかもしれません。これは僕の憶測ですけどね。まあそれで消えそうになるくらいですから、白塗りの方も元々大した影響力を持っていたとは言えないでしょう。それでもやはり白塗りとしては面白くない。この頃既に白塗りは人格を持っていたのですね。人格を持つというのはつまり、それを信仰していた人が居たと言う事です。そこで彼らは考えた。どうすれば白塗りを生かせるか。僕は別に彼らの考えが悪い事だとは思いません。妖怪とは元々、目的によって新たに生み出されたり、変容したりしなくてはならなかったのです。生物と同じですね。種を増やし進化を遂げながら生き長らえてきた。だから白塗りにも変化が必要だと考える人がいた事は当然です。ただ――そう、ただ彼らが取った手段には疑問を覚えます。彼らは当時流行り、つまり敵ですね。その敵である椿姫に目をつけた。それが今から九百年前、鎌倉時代のことです」
「え、ですが椿姫は千三百年前だと……」
「そこです。白塗りが誕生したのがおよそ千三百年前。つまり椿姫に歴史をそっくり与えたわけです。それだけではありません。白塗りは名前、つまり枠ですね、それすらも消し去った。そして中身だけを確りと溶けこませたのです。これは人を妖怪へと変える行為に他なりません。僕が疑問なのはここなのです。そう、これを果たして進化といっていいものか――いずれにせよそうする事で中身は残ったし、椿姫の話自体が現代まで語り継がれているのはご存知の通りです」
 青葉は沈黙したまま何かを考えていたが、僕には彼女が何を考えていのか手に取るように分かる。
「先生!」
 そう、奴――白塗りが力を増している。近づいてきている。それはつまり、青葉が境生の話を信じだしたと言う事だ。このままでは――
「青葉さん、白塗りは椿姫に隠れています! あなたは確かに椿姫という妖を呼んでしまった! だが――」
 そうか、そう言う事か――
「哉来君を白くさせているのは白塗りであって、椿姫では無い!」
 止まった――
「哉来君が一度でもあなたに白を強制されたと言いましたか?」
 白塗りは緩やかに変体していく。
「それは……。でも、きっとあの子が言い出せない雰囲気を私が作っていたんです。だからあんな事までして私に伝えようと……」
 青葉の言葉とは裏腹に、白塗りは徐々に新たに産まれ変わる。奴は白塗りという名を与えられ、椿姫という形を得たのだ。境生と青葉によって――







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