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蝕−ショク−
作:尾継也太



蝕:03


 道明が境生の日本一妖怪退治事務所で助手として働き出してから、既に二週間が経過していた。今のところ、道明が仕事に、境生に慣れる気配は無い。
 日本一妖怪退治事務所がある周辺は細々としたビルが、まるで計画性を感じさせない配置で建ち並んでおり、それらは、躾を忘れられた子供が積み木箱をひっくり返し、片付ける事をせずにただ部屋の片隅に押しやった状況にとてもよく似ていた。その中で、最も運の悪かった積み木が日本一妖怪退治事務所のある共栄ビルである。共栄ビルは三階建てであったが、三方がより高いビルと隣接しており、しかも周囲のビルのよりも床が一メートル程低くかったため、プライバシーと言うものが全く無い。隣接したビルとの隙間が、階が上がる程に狭くなるのは、周囲三つのビルが共栄ビルに向けて傾いているのか、それとも共栄ビルが上階にいくに従って広がっているのか、それは境生にも分からなかったが、「このビルには何か惹き付ける力がある!」と彼は思い、その事に満足していた。勿論それはビルと言う建築物にとってはありがたくない話である。しかし真実がどうであれ、共栄ビルが悪い噂までも引きつけてしまっていたのも事実で、過去に建築物調査団体が三ヶ月に及ぶ調査を行なっていたところ、調査団全員が原因不明の眩暈に襲われたりだとか、ある時は共栄ビルだけが揺れていて、それを見た人は、まるでビルが蠢いているとしか思えなかっただとか、年に数回共栄ビルには誰も入ることの出来ない幻の四階が現れるなどといった類の噂までいれるとキリが無く、今では立派な『いわく』つき物件と化していた。
 とはいえ、都心から程近く、立地としては悪くなかった。『いわく』はむしろ都合が良かったと、その事をネタに大家と直接家賃交渉した境生は、自分の着眼点の良さ、つまり家賃の安さを良く道明に自慢していた。確かに事務所として共栄ビル三階ワンフロア全てを貸しきるために、境生が大家に対し払っている対価はとても安かった。しかも共栄ビルの一階と二階は現在借り手がおらず、必要であれば借り手が現れるまで自由に使って良いとまで言われてる。家賃月額十万円という事実は、悪い噂などのたぐいが嫌いな道明が、事務所移転を境生に訴える事を諦めさせる程に安かった。だからせめてそういう噂が立ち難く、また消え去りやすくするために道明は、ビル周辺を掃除して綺麗にしたりだとか、綺麗な花を植えたプランターを周辺に配置してみたりだとかを試みたが、効果は余り無さそうで、未だにビルに入っていく道明の姿を見る周囲の眼には深い拒絶が宿っていた。

 そもそも道明が境生の元で働いているのは、彼自身の意思ではなく、彼の父親の意向が大きく関係していた。道明の希望を叶えうる勤め先を父親が見つけ出し、半ば強制的に道明を送り出したのである。職業についてさほどの関心を抱かず、また知識もなかった道明は、この事についてそれなりに納得はしていたものの、やはり完全に自分の意思で決めたとは良い難く、そして、その事が道明を余計に辛くさせた。道明は父親の事を尊敬し信頼もしていたが、それも今や危うい。

「先生は、父とどういう知り合いだったんですか」
「ん、いや、全然知らなかったよ。おまえの事頼みに来た日が初」
「あ、そうなんですか」
「おう、いきなりうちの息子を鍛えてくれって頼みこまれてな。ま、俺様クラスになると、他人の助けなんてこれっぽっちも必要無いが、助手の一人もいないと格好がつかないってところもあるからな」
「ああ、確かに先生クラスなら助手なんて足手まといですよね」
 どうせ仕事無いし、と続けそうになり道明は慌てて口を噤む。
「お、分かってるじゃねえか。そうだぜ、お前は本当に幸せ者なんだぜ」
「月に三百時間も先生と一緒に活動できる上に」
「そうそう」
「お給料まで貰えるなんて」
「うむ」
「月給五万円だからって文句なんて全く言えない」
「そうだ!」
「訴えるなんてもっての他ですね」
「……え」
「あ、いえ、何でもありません」
「だ、だよね」
「でもね、先生、今時、妖怪退治なんて絶対、絶対流行りませんってば。妖怪なんて居ないんですから。折角の先生の、あ、溢れる才能が勿体無いですよ」
 道明は他者へ物事を伝える際に発生する責任を充分に理解していた。例えそれが常識であったとしても、自ら観察、あるいは確認した事象でない限り、出来るだけ断定する事は避けていた。だが、そんな彼も、相手が境生である場合に限り、断定する事が相応しくない事項に関しても躊躇無く断定する事が出来たし、思ってもいない事を言う事だって出来た。この時、道明の心が痛んだのは、境生に対し嘘をついたからではなく、嘘をつかざるを得ない環境下にある己が可哀相だと思ったからである。
「うーん、確かにな」
 遠くを見つめる瞳の奥に、微かな悲しみをたたえながら、狭い車内で境生は呟いた。
「うん、やはり今のトレンドは占い師だな。あんた死ぬわよっ、てか。道明、ちょっとやってみろ」
 道明は深い失望に襲われはしたものの、境生の事務所に勤め出して過ごした二週間が、彼の中に多少の免疫を作っていたようで、何とか冷静に言葉を返す事に成功した。
「先生、占い師が軽トラで街中を宣伝してまわってるところなんて、僕は見た事がありませんよ」
「そうか。そうなると後は、そうだな、教祖様か」
「だから! トラブル解決したいなら普通に探偵で良いじゃないですか」
「――探偵だけはダメだ! 探偵だけは……」
 境生が苦悶の表情を浮かべた丁度その時、二人の後方すぐ傍で一台の黒い大型車が、静かに動きを止めた。
 ようやくその車に気付いた道明と境生が振り返ると、既に機敏な運転手によって後部座席のドアが開かれているところだった。
 道明がこれほど近くの車の気配に気付かなかったのは、境生と言い争いをしていたからというだけではなく、あまりにも高級な、音にに関する技術の粋を集めたその車の性能によるところが大きい。境生の生涯収入を全部足しても買えるかどうか分からないであろうその高級車のドアには、惜しげも無く『菱川探偵事務所』と、これまた高級そうな――金箔で処理された文字列が並んでいた。
 センスは悪いのかもしれない――そう思った道明だったが、颯爽とその車から降りてきた人物には確かに車の価格に見合うだけの風格が備わっているように感じた。







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