蝕:24
インターホンを押すと、暫くしてからドアが開いた。
玄関からはみ出した彼女の一部は、洩れ出る光以上に、闇との強いコントラストを示しているように感じた。今日も白の衣服に身を包んでいる。境生の脳裏に、有紀の話がフラッシュバックした。
「あら、おじさん、今日は遅いのね」
「おじ……、ちょっと、哉来君、というより君の事で、聞かせてほしい事が出来てね」
「何かしら」
「今日、有紀先生に会って哉来君の話を聞いてきたんだが、今は雅ちゃんも白い上履きだそうだね」
「ええ、そうよ。白って好きなの。嘘つかなくて済むもの」
「嘘?」
「ええ。私目が悪いの。知ってる?」
「すまん、聞いた」
「良いの。私、嘘嫌いだから」
「その、良かったら白と嘘にどんな関係があるのか聞かせてもらえるかな」
「ええ、いいわ、昔ね……」
正直に話すのを考えているのか、それとも記憶を手繰り寄せているのか、境生には判断できなかったが、少女にとってそれはあまり話したい内容ではないように思えた。
まだ、私が横浜に住んでいた頃ね――少女はそう言って、頬にかかった髪を指先で弄った。
「雅ちゃん、明日の卒業式はどんな服で行くの」
「あ、さとこちゃん。私はねぇ、白いフリルのついた服で行くよ。お母さんがね、明日のために買ってくれたの」
「うわー、良かったね。そっかあ、じゃあ私も白い服でいこっと」
「お揃いだね」
「うん、あ、だけど、嫌?」
「そんな事ないよ。嬉しい」
「本当、良かったあ。じゃあ、約束だね」
「うん、約束」
そこまで話すと雅は玄関を背にしてしゃがみこみ、目の前にある小さな石を手に取ると、手の平でコロコロと転がした。
境生は嘘を嫌っている雅が悲しかった。同情ではない。いけない事だと理解するだけなく、己を戒めている雅――その現実がただ悲しかった。
「無理に話さなくても良いよ」
「良いの、おじさんに話すと楽になる気がするから」
「そうか、それは光栄だ」
手にした石を地面に戻し、雅は続けた。
「それでね、嘘ついちゃった」
「雅ちゃんの嘘吐きっ」
「え、何、どうして」
「何よっ、とぼけないでっ。昨日、白いお服で来るって約束したじゃないっ」
「だから、この服を……」
「何、言ってるの。どう見てもその服、ピンクじゃない。もう雅ちゃんなんて嫌いっ」
「あ、待って」
「さとこちゃんはね、お揃いが好きだったの。色んなものをお揃いにしたわ。それで私達、良く双子に間違われたんだぁ」――そう言って雅は悲しそうに笑った。
「さとこちゃんは一人っ子だったのかい?」
「そ。私もさとこちゃんも一人っ子。だから姉妹ってのに憧れていたのかもね」
手についた泥を払いながら、雅は素早く立ち上がり境生に言った。
「おじさんは兄弟いるの?」
「うーん、どうだろう。おじさん、孤児だったらしくてね」
「え、じゃあ親も」
「ああ、物心ついた頃には栄都と一緒に育てられてた。まあ、あいつは親いるけど」
「へー、栄都さんと一緒に」
「ああ」
「だから仲が良いのね」
「まさか」
おどけたように肩を上げて答えた境生に、雅は小声でごめんなさいと謝った。
「気にする事ないさ。雅ちゃんはご両親が好きなんだね」
「うん、パパもママも大好き。でも、あの時だけはちょっと嫌いになったかな」
雅は笑いながら背後の扉をチラリと見たあと、唇に人差し指を当てて「内緒よ」と言った。
お母さんはさとこちゃんのお母さんとお話ししてたから、私達が傍で何を話していたか知らなかったのね。
「あら、雅、どうしたの?」
もう私はその時、何をどうして良いか分からなかったし、段々悲しくなって、気持ちが昂ぶって――今思うと、単純に怒ってたんだと思うわ。いえ、きっとそう。
「ねえ、ママ、今日のお洋服……これは白じゃないの?」
「ええ。今日だけはピンクをね」
「どうして……。ピンクなんて買っても、私には分からないのに」
「雅、あなたの目はもうすぐ治るわ。先生が仰ってたの。治療法が見つかりそうだってね。だからその時、今日の写真を見て欲しかったの。色とりどりに写ったあなたの姿を」
「……」
「きっとあなたも今日のピンクの服を気に入ってくれるわ。だって、とっても似合っているもの」
「……ありがとう。……でも、目が治るまでは白だけでいさせてっ」
「そっか、それで……」
「おじさんが悲しむ事じゃないわ。あ、やっぱりこれでおあいこ」
「オッケー、了解」
境生は雅の前で大げさにオッケーサインを作った。
「あ、それからもう一つ。哉来君の家に行った事とかあるかな、そうだな、二週間くらい前に」
「ええ、行ったわ」
「そのとき何か言われた?」
「今の自分の姿はどうだ、気に入ってくれるかって聞かれた」
「哉来君もなかなかの直球ボーイだな。で、雅ちゃんはなんて答えたの」
「うーん、良く分からないって答えた。部屋も哉来君も白っぽい格好していたから」
「なるほど。うしっ、今日はありがとな」
境生が立ち去ろうとする気配を察した雅は、境生の袖を掴み、俯いて聞きにくそうに言った。
「ねえ。哉来君が学校に来なくなったのは私のせい、かしら。彼の嫌がる事、何かしたのかしら」
「うーん、多分逆だよ」
「逆?」
「もうすぐ哉来君も学校に来るようになるから、そしたら直接聞いてみるといい。私の事どう思ってるのってさ」
「そんな事……聞けない……」
「はは。お母さんの言ってた通りだ」
顔を上げて不思議そうに見つめてくる雅の頬を、境生は指で優しく触れる。
「君はピンクが良く似合う」
「もしかして私、赤くなってるの?」
再び俯いた雅の横で境生は立ち上がり、雅の頭を二度撫でた。
「ああ、益々かわいくなった。目が治ったら鏡を見てみるといい」
「哉来君、学校に来てくれるかな?」
「お兄さんに任せとけって」
今なら『お兄さん』も受け入れてもらえると思った境生に、雅は優しく笑顔で答えた。
◆
境生を見送った道明は、安友家の玄関へと静かに向った。
『分かってる、前にもあったから』
そう言っていた境生は、確かに悲しそうだった。
しょうがない――
これは僕の物語なのだから――
目の前にある最後の関門が今――開く―― |