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遺書未遂
作:KMY


 僕の人生は、異常に非常識なものでした。
 僕には、人間らしい生活というものが見当つかないのです。若し他人の人生を評価するという催しがあれば、僕の人生は略間違いなく百点満点中零点です。世界中の極悪人でも一か二はいい事をしているのに、僕はいいところなんで何一つない。世界の芥であるしかないのです。人の存在には、夫々社会的価値があります。みんなに夢を与える小説家、みんなの将来の事を考えてくれる政治家、みんなの夢を現実に変える科学者など、実に様々なものがあるのですが、僕の場合は、周りからバカと言われた人が僕を見て、ああ自分は最低じゃないんだな、と安心する。そういう価値でしかないのです。みんなに論われ、苛められているからこそ僕は僕として活きている。僕は前世も今世も来世も、そんな位置付けでしか僕の存在は認められないのです。それだけではありません。僕は、罪を犯しました。実に沢山の罪を犯しました。世界中のどこを探しても、僕以上に罪を犯した人はいないのです。先ず、この世に生まれたことが最初で最大の罪です。そして、歩いたこと、服、言葉、なり、テスト、鉛筆、つめ、小説・・・。僕は、存在そのものが罪なのです。活きているだけで犯罪を犯しているのです。僕がこれ以上この世に生きていたら、極めて沢山の人に迷惑をかけてしまいます。僕の所為で、人の時間が、平均で百年は奪われました。人は何もしていないのに、僕さえいなければ百年を自由にできていたはずです。
 ここで一つ断っておきますが、読者に伝言です。ここから先は、「そんなことないよ。」は禁句です。こういった類の言葉は、相手が可哀想だから言っているのではなく、自分が人間として生きていくために言っているに決まっています。他の人間をなぐさめ助ける事こそが、自分の人間としての価値を高めることだと心の底で思っていませんか?
 僕は、本当にバカです。それ故に、人にも運命にも嫌われてきました。それは紛れもない事実なのです。僕以下の人はいない。誰もが僕を超えないことができないのです。

 挿絵のある小説は、読者がその絵を見ると見たで、頭の中のイメージが作者のイメージに統一されます。他の人と話題が合いやすくでいいのですが、イメージが固定されやすく読者の想像力は伸びないし、絵を描く手間もかかります。それに対し挿絵のない小説では、ここは宇宙と言ったらそこが宇宙になり、今その川ではポロロッカが起きていると言ったらポロロッカが発生します。読者の想像力も自分の絵に合わせたものになり、作者から与えられたイメージのヒントに合わせ、自分なりの絵が磨かれます。ただ、想像力に欠ける人は流暢なイメージができないのが玉に傷です。
 僕は後者に賛同します。それに至った理由はただ一つ、絵が下手だから。たったそれだけで後者にするのは可笑しくありませんか?それに、僕の小説には後付けが多すぎるのです。一話三千字以上というコンセブトを過剰に意識しすぎたようです。そろそろ三千字超えたかなと思ったらたいてい二千七百字なのです。あと三百字。三百字で終わる事柄は。原稿用紙一枚にも満たない短い出来事。たったそれだけのために僕の小説は矛盾だらけなのです。ラヂオの時間という映画の中に登場する小説「運命の女」と全く同じ進行になっているではありませんか。楽しい。面白い。僕の小説が、とんとん乱れてゆくのだから。三百字は、あの三百字はキャスティングボート以上の価値を伴い、それが故に僕の小説全体の価値が零になってゆくのです。愉快です。これ以上に面白い事はありません。
 僕は生まれてこの方、濁点というものを知りません。濁点のためだけに、僕の小説はさらにみすぼらしくなってゆくのです。愉快です。これ以上に面白いことはありません。きっと僕の将来はこうなるに決まっていますので、僕の小説を避けている、63億人の方々には朗報です。
 二〇××年三月、KMYが執筆し大手小説投稿サイト「小説家になろう」で公開されている小説を読んで吐き気がしたとして、KMYを小説界から排除する会(会員五万人、会長零時治)に加盟している個人会員が、KMYに対し小説の執筆停止と五千万円の慰謝料を求めた訴訟で、KMY側が第一審で敗訴し、KMYの弁護士も小説を読んで吐き気がしたため原告にまわり、弁護士不在のKMY側は控訴できず、判決が確定しました。
 もしこうなったら、と世界中の人々が求めているに決まっています。そうです、僕が生きていたら、地球人全体の価値が下がっていくのです。だから各界は、僕を排除しなければならないのです。自分の利益のために。
 行くあてのない僕を拾ってくださった方がいました。一人の天使です。その天使は言いました。「お帰りくださいませ、ご主人様。」帰る?ぼくの家はどこにあるというのですか?僕の身の置き場所は、どこにも存在しないのです。そう言ったら天使は、「それなら死ね。」とのことです。僕は逃げました。すると死神に会いました。「死んじゃえば。」ひどい。人を殺すのが死神の役目です。人を殺すのと死なせるのと、話は別です。死にたい、と僕は思いました。どこか安心して死ねる場所を、と思ったら富士の樹海まできました。しかし後ろから人に呼び止められました。「あなたと同じ所で死にたくない。」それなら僕はどこで死ねばいいのでしょうか。いや、だめです、どこもあすこも僕の死に場所として受け入れてくれませんでした。僕には生きる資格がないのです。しかし死ぬ資格もないのです。つまり僕の人生はすでに終わっているのにまだ生きているのです。ちょっと話はややこしくなりますが、僕は生きているのです。しかし人生はすでに終わっているのです。僕の人生は、三歳の時に全うしました。しかし僕はまだ生きているのです。生きる資格がないからです。生きる資格がないから死ねと言われた事はありませんし、生きる資格がないけと死ぬなとも言われてはいません。ということは僕は、死ななくでもいいが死んだほうがいい。生きる資格がないから死んだほうがいい。でも死ぬ資格もないから生きたほうがいい。お前は死ね、ただし死ぬな、と言われたようなものです。選択ができません。僕は人として軸がぶれているのです。ぼやけているのです。存在や言動がぼやけているのです。だから言っていることもぼやけていますし、生と死のどちらを取るべきかというその結論もぼやけています。僕の言動は全て、暗号です。誰にもその暗号は読めないのです。それもその通りです。なぜなら暗号ではないからです。

 昨日やった事だと思っていたら今日やった事でした。僕には記憶力がないのです。何でもかんでも覚えたらすぐに忘れてしまうのです。紙に今日やった事を書いてもその次の日には、これをいつやったか忘れてしまうのです。日付をつけたら、遺書だと母に言われかねません。
 僕は、三日ぼうずではありません。三分ぼうずです。三分前までに書いた事は、全部忘れてしまうのです。僕の小説であまりにも矛盾が多すぎるのも、その所為なのです。しかも、あきるのではなく忘れるのです。それだけなら普通の範囲内かもしれませんが、僕の場合、忘れたい事に限って覚えてしまうのです。小学一年生の時に先生に対して高慢な態度をとりました。クリスマス会のプレゼント交換の時、プレゼントの用意を事実上忘れてきました。遅刻もしました。中学生においては他人のテストの点数を覗き見もしました。現世分の堪忍袋はすでに満杯です。いや、前世も前前世も、少なくとも百世分の堪忍袋を消費したに決まっています。ということは、今使ってもらっている堪忍袋は、現世のものではないのです。五百万世目の堪忍袋なのです。借金しているのです。それも沢山。

 僕は誰ですか?どこに生まれ、どこに生き、どこで死ぬのか、その運命は荒々しいものです。いや、それを通り越して、極悪人です。七百万人を殺したのと同じくらい大きな罪を背負っているのです。
 僕の名前が名前である事さえも許されないのです。多くの人、いや限りなく全員は、僕を排除しようとしているのです。そんな硲で、僕は生の道がもうすぐ突きようとしているのです。
 僕の小説に、長谷川玲子という人がいます。全く同じ名前の人が実在するのを知ったのは、初登場してから二年後でした。しかも小説の玲子は悪役です。あっちがこっちに気付いたら、絶対に訴えられるに決まっています。そんな人生。僕の行動の一つ一つが、訴訟に値するものです。ちょっとでも似ているだけでパクリと言われかねないこの社会ですので、小説を書くたび、すべての本、すべての番組、すべての作品、すべての著作物、全世界のホームページなどをチェックしなければいけません。でもそんな時間は全くありません。でも義務なのです。ちょっとだけでも他と似ていたら、著作権侵害で訴えられかねないのです。なのでこの小説では、他ではありえない事を書いてみます。
 すぺらーぼっらーかるめんちゃあぐぶむがりっきんがいもろおりんもげぎげごぐがいうさびみさむろらさらりるんわぐれびもあさたつもぐりんがい・・・。
 これが現実なのです。小説を書く上で、必然的に他の何かと似てしまいます。なので他と似ているところが全くない小説を書きたいと思ったら、以上のように意味不明の文章を書くしかないのです。かといってこれでは読者に理解してもらえないと、普通の日本語文にしたら、今度は著作権で訴えられるに決まっています。なので普通の小説を書きたいなと思ったら、世の中の全ての人に了承をもらわなければいけません。では死んだ人はどうするのでしょう。死んで五十年は経たないと遺族から訴えられます。いや、遺族が全然見つからなかったらどうしましょう。取るべき手段は一つ。黄泉に行って本人から直接了承を取るしかないのです。でも一度黄泉に行ったら、現世では小説を書く事は出来ないのです。来世に生まれて、現世と違う名前になったら本末転倒です。せっかく承諾を取った人々に、もう一度許しを乞わねばいけません。これが小説家の現実なのです。小説家は、そもそもあってはならない職業なのです。いや、詩人、音楽家、その他諸々の創作家も、存在してはならないのです。
 そういった意味で、僕だけでなくこの世の人々は、創作家であるだけで罪なのです。全員刑務所に入らなければいけません。でも、そもそもの罪は全部僕にあるのです。僕は嫌われ者なので、みんな、僕に罪を押し付けるのです。そうでないと僕以外の地球人は生きてはいけません。世界中の罪が全部僕に押し付けられ、そして周りのみんなが僕の罪の重きを知り僕から離れてゆく。その繰り返しで、僕はそのようになっていくのです。深く淀み、そして。

 この文章を読んだあなたは、さっさとKMYから離れてください。あなたにも飛び火します。
 僕がなぜここで小説を書いているかというと、他の売れない小説家が僕の小説を読んで、自分の小説は最低じゃないんだ、とほっとしてもらうためです。そのためだけに書いていますので、普通の人は読まないでください。おちこぼれだけが読んでください。いや、おちこぼれも読んではいけません。それよりもさらにさらにおちこぼれになった人だけが読んでください。つまり僕の小説の読者は、全員おちこぼれの集団なのです。
 普通の人が読んだら、おちこぼれ集団に巻き込まれます。














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