疑念と思惑
「なぁ、アイツの事どう思う?」
午後の柔らかな光が差し込む自宅のリビング。自分が最も落ち着ける場所で、俺は目の前の客人に問い掛けた。
「アイツって…黒羽のことか?」
こちらには目を向けず、出されたコーヒーに手を伸ばしながら答えたのは、服部平次である。
「あぁ」
それだけ言って、相手の言葉を待つ。
何故だか妙に気になった同級生について、信頼できる友の意見が聞きたかった。
どう思うって聞かれてもなぁ、と困ったような顔をしながら一言、
「別に普通やろ?」
予想通りの返答。そう、別におかしな所があった訳じゃない。そんな事は自分もよく分かっているのだが、でも何かがひっかかる。
「俺、やっぱり黒羽と会ったことがある気がするんだよな…」
服部は、気にしすぎや、と笑うけど。唯の勘違いなんだろうか…
「同じ顔やから物珍しいだけや!おかしいとこなんか一つもあらへんかったやろ?…まぁ、度胸のある奴やとは思たけどな」
「度胸…?何でだよ?」
付け足された言葉が気になって今日一日を思い返してみたが、俺には思い当たる節がない。
「あぁ、お前も寝とったから知らんやろうけど、黒羽の奴も授業中思いっ切り寝とってん!それも、こう机に突っ伏して堂々とな…工藤もやけど、よくあの雰囲気の中寝れるよな…」
服部が両腕を顔の前で組んで突っ伏す真似をしながら呆れたように言った。
だって昨日ほとんど寝てねぇし…
悪態をつくのは心の中でだけ。どうして寝れなかったのか、その理由をまた話題にしたくなかったからだ。
「唯の思い違い…か…?」
席を立ちながら独り言のように呟いた言葉。会った事があると確信を持って言える訳でもないし、と考えを改め始める。
「そやそや。それに、黒羽ってなかなかおもろそうな奴やんか。俺は気に入ったで!」
色黒の肌によく映える白い歯を覗かせて、服部が笑いながら答えた。
それには同感だ。今日初めて会ったばかりでまだ何とも言えないが、アイツには人を引き付ける何かがあるような気がする…。
「まぁな、俺も嫌いじゃないぜ?」
「それじゃあ次の獲物は来週末から東才美術館で展示される“candy piece”に決まりだな」
落ち着いた雰囲気の店内、そのカウンターで快斗が言った。彼の前には数枚の資料が無造作に置かれている。
『ブルーパロット』
時折、老人らしからぬ鋭い眼光を見せる店主が営むビリヤード場である。
普段はそこそこ客足も良く人で賑わっているこの店だが今日は、本日定休日の札が掛けられている。
「そうですな。北欧で有名なダイヤモンド“candy piece”、まさか日本でお目にかかれるとは思っておりませんでしたが…昔は門外不出の品だったのですよ」
答えたのは店主、寺井黄之介。通称『寺井ちゃん』
元は快斗の父、黒羽盗一の付き人であり、今は二代目キッドこと快斗の良き協力者である。
ふうん、と大して興味もない様子で目の前の資料を片付け始める快斗。だがその動きはすぐに止まる。そして、急に固まった自分を不思議そうに見つめる老人に向き直る。
「あ、あのさ寺井ちゃん、落ち着いて聞いてくれよな?」
大事なことを言い忘れていた。ここに来たもう一つの理由…
「実はさ…」
探偵二人と同じ大学に通うことになった、と慎重に言葉を選びながら説明する。慎重に話したのは、これ以上寺井の心労を増やしたくないという快斗なりの配慮だったのだが、内容が内容だったためあまり意味はなかったようだ。
快斗に出すつもりだったジュースを持ったままカウンターの向こう側で立ち尽くす彼は、まさに顔面蒼白という感じだろうか…
「じ、寺井ちゃん…?」
恐る恐る声を掛けてみると、途端にガシッと両肩を掴まれ揺さ振られる。
「そんな危険な所に坊ちゃまを行かせる訳には参りません!!」
危険な所って…学校なんだけど。行かない訳にはいかねぇだろ…
思いっ切り揺さ振られ、クラクラする頭で、ぼんやりと考え導き出した正論。両肩を掴んでいる手をやんわりと外し、今にも泣きだしそうな寺井に笑みを向ける。
「大丈夫だって!俺が捕まるなんてヘマする訳ねぇだろ?怪盗キッドは神出鬼没、確保不能の大怪盗なんだからよ!」
自信たっぷりに言ってみせるけど半分本気、半分嘘。
あの探偵達の力は時に予想外。今までの対峙で何度ヒヤッとしたことか…
これからの大学生活に不安がないと言えば嘘になる。
でも先にも言った通り、逃げ切る自信があるのも本当。彼らとの対決を楽しみにしている自分がいるのも事実だ。
寺井は快斗の言葉にも未だ納得出来ていない様子で、しばし無言の睨み合いが続く。
…が、最終的に折れたのは寺井の方。
「…分かりました。ただし常に注意を怠らない事、約束ですよ?」
深い溜息をつきながら、寺井ちゃんはそう言う。
「分ぁってるよ。心配すんなって!」
それから色々と次の『仕事』について話し、店を出た時にはもう薄暗くなっていた。
RRRR… RRRR…
普段あまり鳴ることのない家の電話が鳴り出す。
服部の帰った後、書斎に移動して読書中だった新一はその音に気付き、迷惑そうに頭を上げた。だが、この時間を邪魔されるのが一番嫌いな彼は、すぐに視線を本に戻す。
大事な用ならば携帯に掛かってくるだろう。それに、普段あの電話は全くと言っていいほど鳴らないのだ。どうせ自分には関係のない内容だ…。
そう思って無視を決め込んだのはいいものの、電話のベルはいつまでたっても鳴り止まない。
しつこい…
さすがに苛々してきた新一は、本を閉じると静かに立ち上がった。彼の周りには明らかな不機嫌オーラが立ち込めている。
「…もしもし」
いつもより1トーン低い声で応対する。不機嫌な感情そのままに電話に出たのは、新一にはもう相手の見当がついていたからだ。
『やぁ新一、やっぱり居たんじゃないか!父さんてっきり留守かと思ったよ』
受話器から聞こえる父、工藤優作の声。
嘘だな…
居留守だと思ったからこそ、あんなにしつこく鳴らしたんだろ?
「それで…?何か用なのか?」
敢えて突っ込まずにそう聞くと、来月には少し日本に帰ってくるとの事。
忙しかったのか、また連絡すると言い残して電話はすぐに切られたが、受話器を置いて書斎に向かう新一の顔には、先ほどまでの不機嫌な様子は微塵も残っておらず満面の笑みが浮かんでいる。彼をご機嫌にしたのは、父の“日本ではまだ出版前の自分の推理小説の新作を手土産に持ち帰る”という一言だった。
書斎に戻った新一は、読み掛けの本に手を伸ばす。すでに月は高く昇り、周りの家々の照明が一つ、また一つと消されている事に彼は気付いていない。
その日、辺りが明るくなるまで工藤邸の照明が落とされることはなかった。 |