第2話 夢は屯(たむろ)する (その98)
「でも、そのために、あのおばさんにお手間をかけるのでしょう?お店もあるのに。」
源次郎は、そう言って、躊躇していることを伝える。
「ううん、大したものは出ないから、心配しないで。・・・だから、駄目?」
美由紀は、どうしてもここで食べたいらしい。
源次郎は、諦めることにした。
先ほどの休憩のときに聞かされていたこの家を出てからの話も聞きたかったし、ここは、素直に美由紀の提案を受けておく方が良いのだろうと思えてきた。
「分りました。・・・でも、寝るのはホテルでお願いしますね。」
昨夜の一連のことを考えると、とてもここで同じようには出来ないと思っていたから、その点だけは押しておく。
「うん。それは分ってる。」
美由紀も、そうした源次郎の心配は理解してくれたようだ。
また、勉強机の上の目覚まし時計がガチャガチャガチャと鳴った。
美由紀が立つ前に源次郎が行って、そのベルを止める。
「明日にでも、新しいのを買ってきましょうか?」
源次郎は、そう提案する。
「ううん・・・・・・」と美由紀は首を横に振る。
どうやら、余程の思い出でもあるのだろうと、源次郎は勝手に想像する。
「では、笠野氏が来たら、そのように回答しておきます」と確認しておいてから、階下へ降りる。
店では、6時からの夜の開店に向けた準備が進んでいるようだった。
「おばちゃん、源ちゃんのOK貰ったから、今夜、お願いね。」
美由紀は、鍋の傍にいたおばちゃんに向ってそう言った。
「あい。・・・・それじゃあ、ご足労お掛けしますが、よろしくお願いいたします。」
おばちゃんは、美由紀には軽く答えたのに、源次郎の姿を見ると、向き直って、丁寧に頭を下げながらそう言った。
「お手間をかけますが、よろしくお願いいたします。」
源次郎も、丁寧に頭を下げる。
それが、自然と出来たことに、源次郎は何となく安心できた。
美由紀は、最後に店主の傍に行って、また、何やら耳打ちのようなことをした。
勿論、源次郎には、その内容は聞こえていない。
店の表に出る。
「もう、今日最後の幕は上がってるんですよね。」
源次郎は、先ほどの幕における時間軸を捉えてそう言った。
「うん、今頃は、2人目のマヤさんだと思う。」
美由紀の顔も、既に舞台へ上がるときの顔つきになっている。
夕刻の五時半を回ったところである。
商店街の中は、既に夜の風景に変わりつつあった。
歩くのも、男達の比率が高くなっている。
「ところで、ひとつだけ、お聞きしても良いですか?」
源次郎は、まっすぐ前を見て歩く美由紀に向って、そう訊ねる。
「うん、何?」
気合が乗っているのだろう、美由紀の言葉が短くなっている。
「おばちゃんには、僕のことをどのように言われているのですか?何を言われても、そのあたりが分ってないので、返事に困ることがあるんです。」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
美由紀は黙っている。
だが、無視をしているようでもない。
考えているようなのだ。
「そうね、一言で言っちゃったら、私のこれ!」
美由紀は、右手の親指を立てて見せた。
それを見た源次郎は、つい、立ち止まってしまって、美由紀から遅れることになった。
「ええっ!・・・・・それは・・・・」
源次郎が漏らした言葉は、美由紀には届いていない。
(つづく)
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