第2話 夢は屯(たむろ)する (その829)
グラスを置いた源次郎は、用意された小皿に醤油を注ぎ入れる。
早速、そのにぎり寿司を食べるつもりだった。
「では、頂きます。」
誰に向かって言うのでもなく、源次郎はそう宣言をする。
そして、2貫出されたにぎりの1貫を手で摘まんでそれをひっくり返す。
つまりは、ネタの部分にだけ醤油を付けるためだ。
シャリ(ご飯)に醤油を付けるものではない。
これは、大阪の実家にいるとき、父親に教えられた食べ方だった。
もちろんそれが絶対に正しいものだとは思わなかったが、「寿司というものはこうして食べるのが大人」と言われたものだから、それだけは何となく覚えていた。
現代では、「寿司」と言えば「回転寿司」と言われるほどだが、昭和40年代の当時には、まだまだそれほどの普及はしていなかった
余談だが、回転寿司の元祖は、昭和33年に大阪府布施市(現在の東大阪市)の近鉄布施駅北口にオープンした「元禄寿司」だと言われている。
さすがは「食道楽」と言われる大阪である。
だが、この食文化、関西ではそこそこ普及はしたものの、なかなか箱根の山を超えられなかったのも、これまた事実だった。
そこには、やはり、「江戸前寿司」という関東を中心とした食文化が立ちはだかったのだろう。
東日本の仙台にその1号店が出来たのが昭和43年だと言うから、何と大阪での誕生から10年も経ってからのことだった。
そんな時代である。
もちろん、源次郎もそうした回転寿司で食べたことはなかった。
いや、回転寿司どころか、にぎり寿司そのものを殆ど食べていなかったと言うべきだろう。
源次郎の感覚では、「寿司」と言えば、家でよく作ってもらった「バラ寿司」(チラシ寿司)か「巻寿司」で、こうした職人でなければ作れない「にぎり寿司」はやはり別格だった。
「う~ん・・・、美味しい!」
源次郎は最初の1貫を口に入れて、正直にそう言った。
それ以外の言葉が見つからなかった。
「うふっ!」
隣の美由紀が笑ったように聞こえる。
おばちゃんがまたビールを1本持って来た。
そして、言う。
「これ、あちら様から・・・。」
「ん?」
源次郎は、おばちゃんの指先の方を見た。
そこには、あのお婆さんのにこやかな顔があった。
(つづく)
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。