第2話 夢は屯(たむろ)する (その8)
源次郎は、トイレを探す。動かずに、目で探す。
右手の後ろのほうに「便所」と書かれた紙が張ってあって、その下に矢印が記されている。
あっちの方なんだな、と思って、その席を立つ。
とたんに、ぬめっ!とした感覚が、ブリーフの中を移動する。
ゆっくりと歩き出す。
本音は、即座にトイレに駆け込みたいのだが、下腹部に感じるものがそれを許さない。
ガニマタのような歩き方になる。
自分では意識していないのだが、自然と、そうなる。
粘り気のある感触が、前のほうから、真下の方に移動するのがよく分かる。
この感触は、高校1年のときに体験した「夢精」のとき以来である。
背後になった舞台では、依然としてあの女の艶技が続いているようなのだが、もう、源次郎はどうでも良いことに感じる。それどころではないのだ。
辺りにある客席の背もたれを杖代わりにして、張り紙の矢印の方向を目指して、ガニマタで急ぐ。
一刻の猶予も許されない状況に感じる。
何とか廊下に出る。
急に明るいところに出て、源次郎は自分の姿を腹立たしく感じる。
まるで、オネショをした子供が、親に内緒でトイレに行こうとしたのに、廊下の電気を突然に点けられたような気恥ずかしさがある。
泣き出したいぐらいだ。
リハーサル中だということが幸いしてか、廊下では誰にも会わずにトイレまで辿り着ける。
辿り着けた事にほっとする。
ところが、そこでまた、とんでもないことに出くわす。
向おうとした個室から、女が飛び出してきた。
「きゃ!」
「ぎゃぁ!」
どちらがどちらの声か分からないぐらいに、互いに悲鳴のような声を上げる。
女は、手にしていたバケツをその場にひっくり返す。中の水が当たり一面にぶち撒かれる。
女は、勢いで尻餅をつく。丁度、撒き散らした水の中に座り込む格好になる。
源次郎は、その一瞬に飛び退いて、何とか転がりはしなかった。
だが、足元からバケツの水を被ったようだ。ズック靴の中に冷たいものを感じる。
「あんた、何よ。一体誰よ。なんで、ここにいるの?」
女は、立て続けに言葉を投げてくる。
よ〜く見ると、その女はどうやら清掃人らしかった。紺色の作業服を着ている。
開演前だから、トイレの掃除をしていたのだ。
まさか、こんな時間に男が入ってくるなどとは考えもしていなかったと見える。
余程、驚いたのだろう、目が点のようになっている。
「ごめんなさい。急に用を足したくなって・・・。掃除中だとは知らなかったもので・・・。」
源次郎は、素直に謝る。そうでもしないと、大声で誰かを呼びそうな気配なのだ。
こんな状態で、誰かを呼ばれても困るのだ。
「でも、あんた、一体誰なの?ここの人じゃないよね。」
危険はないと思ったか、女はようやく水の中から立ち上がって、そう言う。
「うん、仕事を世話してくれるって言われて来たんだけれど・・・・・。」
源次郎は、ガニマタの股間に冷たいものを感じたまま、突っ立っている。
「まあ、いいや。とにかく、その用とやらを先に済ましなよ。」
女は、個室のひとつを指差してそう言う。
源次郎は、ぺこりと頭を下げて、その指された個室に入って、内側から鍵を掛ける。
(つづく)
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。