第2話 夢は屯(たむろ)する (その70)
「美由紀さん、ちょっと待ってください。」
源次郎は、明確にそう言った。
支配人がどのような話をしたのか、美由紀がそれをどのように聞いたのかは分らない。
だが、ここは、このまま帰らせてはいけない。
源次郎は、そう思っていた。
舞台に穴が開く、契約上のトラブルになる、そんな理論的なことは考えていない。
ただ、佐崎美由紀という女性が、この仕事にかける並々ならぬ思いを感じた以上、これで東京へ帰らせるのは今後の美由紀にとって決して良い結果をもたらさない、と考えただけである。
「駄目です!佐崎美由紀の名に傷を付けるつもりですか?」
源次郎は美由紀を叱った。初めてのことである。
「だって!・・・・・・・・・」
美由紀は、今にも壊れそうな顔をしている。
「だっても何もありません。お客さんが佐崎美由紀を待っているんですよ。それを、何を言われたかは知りませんが、そうしたお客さんの思いを放り出して逃げ出すんですか?そんな我侭が許されると思いますか?」
美由紀が見つめる源次郎には、一種の怒りがあった。
美由紀が見る、初めての源次郎である。
そのとき、支配人が美由紀の後を追うように入ってくる。
「美由紀さん、僕には舞台のことは分りません。でも、先ほどの秋本さんじゃないですけれど、皆が期待しているんです。それを、演出の部分での意見の違いだけで、舞台を放り出す。それは、僕には許せないんです。」
「・・・・・・・・・・・・」
美由紀は何も答えられていない。
同様に、後から入ってきたあの老獪な支配人も、言葉を挟めない。
「いいですか?出来ないことをやれと言ってはいません。美由紀さんはちゃんと舞台でお客さんを総立ちに出来る人なんです。そうでしょう?それなのに、それすらもしないで帰るってのは、舞台に生きてきた人とは思えない言葉です。卑怯だと思います。」
「・・・・・・・・・・・・」
「僕は、美由紀さんに卑怯なマネだけはして欲しくないんです。」
そこまでを聞いていた支配人がようやく口を出す。
「な!吉岡君もそう思うだろ?」
源次郎は、それまで見つめていた美由紀から目を逸らして、支配人を睨みつける。
「支配人も、やることが卑怯でしょう!昨日、あれだけ、この2週間、美由紀さんの好きなようにして良いと言ったはずですよ。それを、どうして、今更ひっくり返すんですか?それは、約束が違う!と言われても仕方のないことですよ。」
「いゃあ、そういうつもりじゃないんだが・・・・、何しろ、お客が期待するのは・・・」
「もう、その話はしないと約束した筈です。今日から2週間、佐崎美由紀の舞台は、佐崎美由紀のやり方で務めさせていただきます。それが、出来ないのであれば、昨日と同じです。どうしても、と言われるのであれば、美由紀さんが舞台を降りられるのも止むを得ないと思います。どちらを選択されるかは、責任者である支配人がお考えください。ただし、言っておきますが、佐崎美由紀が舞台を降りたのではなく、支配人が降ろさせたということですから、その点は間違わないでください。」
源次郎としては、一世一代の啖呵であった。
(つづく)
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