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第2話 夢は屯(たむろ)する (その64)
昨日、この劇場で初めて美由紀と出会って、支配人の指示でホテルまでタクシーで送った。
そのときの運転手が、確かに「料金は要らないからサインを欲しい」と言っていたのだ。

実際のやり取りをした源次郎が完全に忘れていたのに、傍で聞いていたかもしれない程度の美由紀はしっかりと覚えていた。
それは、やはり、「佐崎美由紀」というストリップ嬢の意地に関わることなのだろう。
こうした人気商売は、何よりもお客を大切にする。
それが、例えタクシーの運転手であろうが、魚屋の主人であろうが、サラリーマンであろうが、やはり自分を見るために足を運んでくれるお客に対する気持の表れなのだと源次郎は理解する。

あの約束は、決して美由紀が行ったものではない。源次郎とあの運転手の間での約束事だった筈である。
それを、美由紀はしっかりと果たすべきだと考えていたに違いない。
だから、楽屋入りして最初にそれを書いたのである。

源次郎は、頭が下がる思いがした。
このまま色紙のサインを準備しないままに、あの運転手がやってきたらどうなっていたのだろうと。
昨日の料金を支払うからと言うだけでは済まされない話だ。
あの運転手は、少なくとも、佐崎美由紀を知っていたのだ。
本当に料金を支払ってまで劇場に入るかどうかは分らないが、美由紀にすれば、少なくともお客になりうる人物であったに違いない。
そうしたお客に対する心配りを、源次郎は改めて教えられたような気がする。


美由紀が書いてくれた色紙3枚を、源次郎は丁寧に両手で受け取った。
改めて見ると、そのうちの1枚には、赤い口紅で縁取ったキスマークがくっきりと付いている。
そして、さらに驚いたのは、「秋本順平さんへ」と書き記されていることだった。

「あのう、美由紀さん、この秋本さんというのは?」
源次郎は、まさか?とは思ったが、その疑問をぶっつけている。
「源ちゃん、何言ってるの?あの運転手さんに決まってるでしょう?」
美由紀は事も無げに返してくる。
「いつ、名前聞いたんです?僕も聞いちゃいませんよ。」
源次郎は、その点がどうしても納得できないのだ。

美由紀は、化粧ケースを開けて、その前に座りながら、笑うように言う。
「車内に名札が張ってあったの、見なかったの?」

源次郎は、絶句するしかない。
「えっ、それをちゃんとご覧になっていたんですか?」
「劇場前でタクシーに乗るとき、あの運転手さん、私の名前を呼んでくれたのよ。こちらが名乗らないのに。それってね、私にはとても嬉しいことなのよ。ううん、私だけじゃないわ。この業界の子だったら、顔を見ただけで名前を呼んで貰えることの大切さは、誰よりも分っているの。痛いほどね。だから、あの運転手さんには、是非とも劇場で私を見て欲しいのよ。そういう意味での特別な色紙なの。分った?」

源次郎は、佐崎美由紀の凄さをまざまざと感じていた。


(つづく)



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