第2話 夢は屯(たむろ)する (その62)
珈琲のいい香りが湯気とともに流れてくる。
カウンターの後ろの壁には、カップなどの収納棚が取り付けられていた。
そこに、いろいろな形、いろいろな模様、いろいろな色の珈琲カップが並べられている。
たまに、空間が用意されていて、そこにはバレエを踊る女の子の写真や絵が置かれている。
オヤジさんの雰囲気とは似つかわしくないのだが、それなりの思いがあるのかもしれない。
「実を言うと、僕はモカとキリマンジェロしか知らないんです。いつもは、ブレンドって決めてますから。」
源次郎は、ぽつんとそう言った。
この店に入ってから、美由紀が話してこなくなったからだ。
「そうなの?」
美由紀はそれだけを答えて、また押し黙ってしまう。
少し離れたところで珈琲を入れているオヤジさんの姿をじっと見ているだけである。
「はい、どうぞ。」
オヤジさんが二人の前に珈琲カップを置いて、その上から珈琲を注ぎこむ。
美由紀は源次郎が蓋を開けたシュガーケースから1杯だけ砂糖を入れる。
そして、ゆっくりとかき回したかと思うと、カップを持ち上げて香りを楽しむようにする。
「マスター、いただきます」と言ってから、口に含んだ。
マスターと呼ばれたオヤジさんは、その美由紀の横顔をそっと眺めているようだった。
源次郎は、砂糖を2杯、ミルクもたっぷり目に入れてかき回す。
珈琲と言うより、珈琲ミルクのような色になったのを、慌てて口に運ぶ。
珈琲の飲み方を知らん奴だと思われるような気がしたのだ。
美由紀は、じっくりと時間を掛けて飲んでいるようにも見えたが、一度もカップを戻さないで、最後まで飲み終える。
それを見た源次郎も、急いで残りを飲んでしまう。
「じゃ、またね。2週間ほどはこの町にいるから。」
それだけをオヤジさんに言い残して、美由紀は源次郎に千円を渡す。
これで支払をせよと言うことなのだ。
オヤジさんは、こっくりと頷いただけである。
「すみません、お幾らですか?」
源次郎は料金を確認して、それを支払う。
迷ったが、お釣りもちゃんと受け取った。
「釣りは要らない」と美由紀が言わなかったからである。
レジを済ませたときには、もう美由紀は歩き出していた。
表に出て、後を追いかける。
「ご馳走様でした。これお釣りです。」
源次郎がそう言って小銭を渡そうとすると、
「源ちゃんが預かっててよ。それより、ミルク入れすぎよ。」
美由紀は、そう言って笑う。
「以後、気をつけます。でも、素敵なお店でしたね。」
源次郎が答えると、美由紀は少し考えた後で、
「昔ね、バレエを習っていたことがあってね。そのとき、あのマスターの娘さん、キヨちゃんって言うんだけど一緒に習ってたの。」
と話始める。
歩きながらだから、美由紀の表情はよく分からないのだが、どうやら楽しい話ではないようだ。
源次郎は、何も言わずに、ただ黙って聞くことにする。
「でもね、キヨちゃん、死んじゃったの。・・・それも、自殺。本当はね、私も一緒に死ぬつもりだったの。」
源次郎の足が一瞬止まる。
(つづく)
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