第2話 夢は屯(たむろ)する (その50)
「まさか!」と、源次郎は思う。
しかし、この部屋には自分と美由紀しかいない。
だとすれば、この脱いだものを畳んだ上に、それを床ではなく、わざわざ棚の上に上げたのは、美由紀なのか?
何故なのだ?
先ほどの様子では、美由紀の身体に自分が僅かに反応したのを見咎めていたのではなかったか。
少なくとも、男を忘れるべき時に、そうした反応を見せたことに、美由紀は怒ったに違いない。
風呂から出たら、素直に謝ろうと決心したのは、そういう判断があったからなのだ。
それが、どうして、なぜに、そこまでのことをするのだ?
腹が立つ相手に、そこまでの配慮をするのは可笑しいだろう。
源次郎は、身体を拭くことも、そして持って出てきた美由紀の洗濯物の存在も忘れたかのように動けなかった。
「源ちゃん、あがったの?」
ソファの辺りからなのだろう、美由紀の声がする。
慌てて、「はい」とだけ返事をする。
今、聞こえた美由紀の声。その響きから、怒りのかけらを探そうと必死で繰り返してみる。
だが、予想と全く違うのだ。
何度、耳の中で繰り返してみても、怒りだとか、非難するような気配は感じられない。
何故なのだ?
と、突然のように、美由紀の足音が近づいてくる。
「えっ!」と一瞬戸惑ったが、それからどうこうする時間などはなかった。
いきなり、ドアが開いて、バスローブを羽織った美由紀が入ってくる。
源次郎は、慌てて、脱衣籠の淵に掛けられていたバスタオルを取って、前を押さえる。
何とか、間に合った。
だが、その片手には、まだ美由紀の洗った下着が入った風呂桶を持ったままである。
何とも不様な格好である。
だが、美由紀はそんなことは意に介しない。
自分も全裸の身体を見せていたからそういう態度がとれるのか、それとも、仕事柄、男の裸には興味がないためなのかは分らない。
ともかくも、全く普通の対応をする。
「洗ってくれたのね。ありがとう。でね、後は、部屋の中にロープを張ったから、そこに干しておいて欲しいの。」
美由紀は、桶の中の下着を目の端に止めて、そう言う。
「それからさ、ジュース、頼んどいたから、もうすぐ運んでくると思うの。グレープとオレンジ、源ちゃんはどっちが好き?」
源次郎の顔を下から覗き込むようにして訊いてくる。
「・・・ええっと、ど、どちらでも。」
それしか、言えない源次郎である。
美由紀は、くくっ!と笑うようにして、
「源ちゃんさ、そこまで遠慮しなくてもいいんじゃない?気楽にして。私、源ちゃんの裸見たからといって襲ったりはしないわよ。そんな女に見える?」
「いえ・・・」
「でしょう?だったら、もっと楽にして付き合ってよ。私、男の人に構えられるの、大嫌いなの。確かにさ、仕事の上では、厳しいことも言っちゃうけど、本当は、優しい源ちゃんだから、頼んだのよ。舞台を離れた部分で、優しくされたいの。ちやほやじゃなくて。・・・・・言っている意味分る?」
また、源次郎の顔を下から見上げるようにして訊く。
「ええ・・・・何となく。」
「・・・そっか、何となくだけか・・・。ま、いいや。まだ一日目だものね。これから、分るようになると思うけれど。」
美由紀は、自分自身に言い聞かせるように言った。
「じゃ、パンツ早く履いて、こっちの部屋に来てよね。ジュースもやがて来るし。」
美由紀は、そう言って、バスルームを出て行った。
源次郎は、依然として、バスタオルと、風呂桶を持ったままでいる。
(つづく)
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