ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
第2話 夢は屯(たむろ)する (その369)
「じゃあ、そういうことで、2階のお部屋へ行きましょうか?」
望月婦人はそう言って換気のために少しだけ開けてあった窓を閉めた。
雨だから、このままだと折角の打ち直した畳が湿気を帯びる、と思ったようだ。
さすがに主婦の感性だ。
源次郎だけだったら、そこまでは思いが及ばなかっただろう。

「あっ!・・・それと、お風呂屋さんはこの前の通りにあります。
近いですし、冬場でもそんなに湯冷めをする心配は無いと思いますよ。」
小さな台所を通ったとき、振り返るようにして婦人が付け加える。

あっ、そうなんだ。風呂はついてないんだ。
源次郎はたった今いた部屋に、そうしたものがない事に改めて気がつく。
「じゃあ、トイレはどこなんですか?」
風呂の話が出れば、どんなに鈍感な源次郎でも次に思うのはトイレである。
「御不浄は、廊下の真ん中です。後でご案内いたします。」
靴を履きながら、婦人が答える。

「御不浄」とは「トイレ」のことである。
昔の人、明治生まれの、とりわけ女性がよく使う言葉らしい。
源次郎が祖母から聞いた話である。

部屋を出るときには一応ドアは閉めておく。
鍵は大家しか持っていないから掛けることは出来ないが、先ほど婦人が窓を閉めた事に習うつもりで、そのようにした。
それを見ていた婦人が、ふっと笑うようにしながら、
「吉岡さんって、お若いのによく気を遣われるんですね。」
と言ってくれた。


そのまま廊下を少し行くと、右手に階段がある。
これも今のようなステンレス製や鉄製ではなく、木で作られたものだ。
婦人が「古い建物ですから」と言っていたことが実感できる。
一段昇るたびに、キシキシという音がする。
どこか懐かしいそれでいて耳障りな音だ。

そう言えば、源次郎が小学校に上がったばかりの頃には、まだ大阪の家にも木製の階段があった。
その後、増改築工事をやったときに撤去されてしまったのだが、その階段もこれと同じような音を立てていた。

その階段の中辺りまで来たとき、先を行く婦人の足が止まった。
「はぁ〜、少しだけ、少しだけ休ませてくださいね。」
一段一段、手すりを抱えるようにして上がってきた婦人だったが、どうやらかなり疲れているようだ。

「大丈夫ですか?」
源次郎がそう声を掛けると、首を縦に何度か振る仕草を見せたものの、婦人の声は聞こえなくなった。
慌てて、その背中に片手を添える。
まずは、万が一の転落に備えようと考えたものだ。
そうしておいて、身体半分を婦人の腰の後ろへと持っていく。

小柄な婦人である。
こうしておけば、万一ふらっと来られても支えられると源次郎は思う。

顔を覗き込むと、顔面蒼白である。


(つづく)




+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。