第2話 夢は屯(たむろ)する (その36)
「それじゃあ、皆さん、また明日。おやすみなさい。」
美由紀は、改めて周囲にそう声を掛けて、事務所から出ようとする。
源次郎も、慌てて、「それじゃ」と、こちらは支配人にだけ向って頭を軽く下げる。
美由紀の視線から源次郎が外れた一瞬を支配人は見逃さない。
まさに、とっ捕まえるという雰囲気で、源次郎の腕を抱くように引張る。
そして、美由紀に聞こえないような小声で話してくる。
「おい、吉岡君、君は、ミッキーとは昔からの知り合いかい?」
「いいえ、今日、ここで会ったのが初めてですよ。どうしてですか?」
「本当に、そうなのか?以前からの知り合いじゃないのか?君も東京にいたそうじゃないか。」
「東京にはいましたけれど、会ったこともないですよ。これは本当ですよ。」
「ミッキーには言わないから、俺にだけは本当のことを教えてくれ。な。頼むよ。」
「支配人も疑うんですね。今、言っていることが、本当のことですよ。第一、僕がどうして嘘つく必要があるんです?そんなものないでしょう?今日、ここに来た事だって、たまたまの偶然なんですよ。あの富さんに食堂で出会っていなければ、僕はここにも来ちゃいませんし。」
この言葉で、支配人は黙ってしまった。そうだった、という事実を思い出したのだろう。
自分が考えていた疑問が、まさに愚問であったことを自覚したようである。
この一瞬を、今度は源次郎が逃さなかった。
「ところで、僕の日当は、幾らなんですか?それで、いつ払ってもらえるんですか?さっき、それは後で、と言われてたもので。」
「・・・・・・・・・・」
支配人は、そんなことは聞いちゃいないような感じである。どこか、上の空で聞いている。
「ねぇ、支配人。それだけは教えてくださいよ。そうでなけりゃ、僕はここで降りますから。」
「降りる」という言葉に、支配人が我に帰る。よほど、そのキーワードに苦労しているようである。
「そんな無茶なことをまた言い出して・・・・。」
「またって、僕は初めてお聞きしているんですよ。当然のことでしょ?賃金に不満足ならば、当然に他の仕事探しますよ。僕も、食っていかないと駄目なんで。」
「分った分った。日給で1500円、昼飯と晩飯はここでの弁当付きだ。宿泊場所は・・・それは要らんのか。」
「えっ!実際のところ24時間勤務みたいなものですよ。それで、たったの・・・・?」
「わかった、じゃあ、1700円でどうだ。その代わり、ちゃんとミッキーを2週間この舞台をやらせるようにしてくれ。それが出来なかったら、1500円しか払えん。」
「分りました。その条件で了解です。ところで、・・・・。」
「何だ!まだあるのか?」
「いつもらえます?」
「公演が始まったら,日払いしてやるよ。それなら、文句はあるまい。」
「じゃあ、明日からもらえるんですね。」
「ああ、その代わりだ、ちゃんとミッキーを舞台に上げることが条件だ。これ以上、ミッキーの機嫌を悪くしないでくれ。」
「あは!美由紀さんの機嫌が悪くなるのは、僕のせいじゃないですからね。でも、ちゃんと日当まで聞かせてもらったんですから、明日から遅れないようにここまでお連れしますよ。何時に入ればいいんですか?」
「初公演が11時からだから、10時半には楽屋入りして欲しい。それを守れるか?」
「はい、お聞きした以上、ちゃんと守りますよ。」
「なあ、吉岡君、もう一度聞くけど、本当にミッキーとは今日が初めてなのか?」
「ハイ、そうですよ。」
何度聞いても、それを信じられない様子の支配人であった。
(つづく)
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