第2話 夢は屯(たむろ)する (その34)
いつの間にか、源次郎は、その机の上に伏せる状態で、眠っていた。
今朝、安宿を引き払って、当てもなくそこを出た。
母から送ってもらった現金は、直ぐになくなるだろうと思った。
これからどうする?という自分自身への疑問をずっと抱いたままであった。
そこから、急激な展開があって、今は、何とか「仕事」という目処が付きかけている。
だが、それなりに神経を使っている。
東京では感じたことのない圧迫感もある。
確かに、疲れていた。
睡魔が源次郎を包んでいる。
どれぐらいの時間が経ったのかは分らない。
辺りのざわめきで目が覚める。
机の上に置いた鞄を枕のようにして寝込んでいた。
身体の節々が固まったようにギシギシ音を立てている。
「ちょっとごめんね」と声を掛けられる。
台本のようなものを持った3人ほどの男が、源次郎のいる机を占領しに掛かる。
どうやら、この机で打合せをするようだ。
「あのさ、・・・・だから、あの場面ではさ・・・」と議論を始める。殺気立っている。
源次郎は、美由紀の化粧ケースと自分の鞄を机の端に寄せる。
それから、足元にある美由紀のハイヒールもそっと端に寄せる。
それでも、この机から離れるつもりはない。
ここを離れたら、どこへ身をおいてよいのか分らないのだ。
そこへ、支配人を引き連れた美由紀がやってくる。
かなりご機嫌斜めだ。源次郎はそう感じた。
「あのさ、あんなことされて、私が黙ってると思うの?佐崎美由紀ですよ。それが、あんな扱いを受けて、許すと思うの?駄目よ、絶対、許さない。」
美由紀の目が吊りあがっている。自分の意にそぐわないことを目のあたりにした時の反応である。
「だけどね、ミッキー。ここは、東京じゃないんだよ。その辺りは分ってよ。これで、我慢してよ。」
支配人は、必死の形相だ。ここに来るまでに、かなりこっぴどく叱られたようである。
「駄目、絶対に駄目。それを譲れないのなら、私、帰る。」
「帰るなんて、そんなことは言わないでよ。明日、初日なんだよ。満員になるんだからさ。そんな無茶を言わないでよ。な。」
「そんなことは、私の知ったことじゃないわ。私のやり方でいいって言うから、わざわざ来たのよ。それを、今になって、あれはこう、これはああ、って、いちいち指図されるんじゃ、たまったもんじゃないわよ。佐崎美由紀が小樽ではこんな舞台をやったって言われたら、どうしてくれるのよ。私には私のやり方、流儀っていうのがあるの。それを尊重してくれないんだったら、本当に帰るわよ。東京じゃ、ここの数倍のお客が待っていてくれるんだから。」
「そんな・・・・・。じゃあさ、今夜、一晩考えさせてくれ。できるだけ、ミッキーのご要望に合わせるように考えるからさ。ねっ!取り敢えずは、機嫌直してよ。」
「幾ら考えても駄目なものは駄目。私のやり方、そのものでなけりゃ、明日の初日から、即刻降りるわよ。いいわね、支配人。くどいけれど、私は本気よ。」
源次郎は、久しぶりに興奮を覚えた。
東京でのアジ演説を聞いたときのような、臨場感がある。
そこまで一気に喋った美由紀が、ふと、源次郎に視線を移す。
「源ちゃん、本当にじっと待っていてくれたんだね。有難う。・・・・でもさ、このお仕事も今日で終わりかもね。このおっさんが私の顔を潰しにくるんだもの。」
それを聞いた支配人は、慌てて2人の間に割ってはいる。
「だからさ、これから考えてみるって言ってるじゃない。そんなに決め付けないでよ。・・・・よ、吉岡君からも頼んでくれよな。ここまできて、それはないだろう?」
そうした支配人を無視するかのように、美由紀は源次郎に向けて優しい顔を見せる。
「そしたら、源ちゃん、ご飯でも食べに行こう。美味しいところ知ってるから。」
源次郎は、慌てて、美由紀のハイヒールを揃えて目の前に運ぶ。
「じゃあ、皆さん、ごきげんよう!」
美由紀は、そこにいる全員に向って手を軽く上げて挨拶をする。
(つづく)
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