第2話 夢は屯(たむろ)する (その329)
「経験者が言うのだから・・・」とあの初老の婦人は言っていた。
まさに、早々とそれを実感する。
確かに、普通の生活をしているものからすれば、10円玉をこれほどまでに持つ必要はない。
したがって、それを入れるものなど、考えもしないのだ。
先ほど、500円を越えるほどの電話を掛けた源次郎ですら、たまたま傍にいたあの婦人から提供を受けたから、50枚を越える10円玉を使ったにも関わらず、その量や重さを感じなかったのだ。
だが、今、こうして、手の中に50枚ごとに包まれた10円玉の棒を手にしてみると、これをどのようにして持ち運ぶかと考えると、ハタと困ってしまうものなのだ。
そこに、あのきんちゃく袋が出てきたのである。
源次郎は、「さすがに経験者・・・」と思うのに加えて、「今日から知っている子も入院する」と言った後輩への温かな配慮に頭が下がる思いがする。
さっそく、そのきんちゃく袋を広げて、受け取ったばかりの棒状になった10円玉を入れる。
そして、それを実際に病院の中をイメージして手に提げてみる。
「なるほど!」
これだと、下げやすいし、電話の途中で硬貨が足らなくなってきた場合でも、片手で取り出して追加投入が可能だ。
何しろ、10円玉以外は入っていないのだから、手さえ突っ込めば、触った分だけを握って出せば済む。金種の確認も要らないのだ。
確かに、経験者しか分らない感覚なのかもしれない。
今更のように、このきんちゃく袋を握らせてくれた時の、あの手の温もりが蘇ってくる。
「有難うございます。」
源次郎は、小さな声で、そう呟いた。
これで、美由紀にいつでも電話が掛けられる状態にはなった。
次は、腹ごしらえである。
里山医師は、病院の前の道を渡った商店街に安くて旨い店があると言ってくれた。
源次郎は、そこを目指す事にする。
きんちゃく袋を大切そうに鞄に入れてから、その小さな郵便局を出る。
傘を差して、来た道を戻る。
病院の前に横断歩道があったのを思い出している。
「あそこを渡れば良いんだろう。あまり、うろうろすると、道に迷いそうだしな。」
事実、源次郎は方向音痴なところがあった。
生まれ育った大阪だとそうはならないが、東京では、よく道に迷った。
一二度来た事がある場所でも、帰りに駅が分らなくなることさえあった。
ましてや、ここは生まれて初めて来た札幌である。
慎重にも慎重を期す必要があった。
病院の前まで戻った。
横断歩道の手前で、信号が変わり始める。点滅する。
一瞬は走ってでも渡ろうかと考えたが、それは思いとどまる。
病院の前で、交通事故にあうなんてシャレにもならないと思ったのだ。
(つづく)
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