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第2話 夢は屯(たむろ)する (その29)
その後は、どこに立ち寄ることもなく、劇場に着いた。
約束の5時までまだ15分もある。

源次郎は、何か不思議な感じがしていた。
歩いていこうと美由紀が言い、自分はそれに従った。
それは、それでいい。何も、特別ではないだろう。
だが、何か府に落ちないのだ。

美由紀は、全く道に迷うことなく、ホテルからこの劇場までやってきた。
その間、立ち寄ったと言えば、あの雑貨屋だけである。
ウインドーショッピングをするでもなし、どこかの景色を楽しむわけでもなく、ただひたすらに歩いてここまで来た。

良くは知らないが、ホテルから車で来たとしたら、その代金は経費で落とせるはずだ。ひょっとすると、そうした経費は、支配人側で負担するように契約されているかもしれない。
兎も角も、僅か千円足らずのお金を惜しんで歩こうと言った筈はない。
源次郎は、その辺りが分らない。
千円の車代を惜しむのならば、あの煙草の買い方はつじつまが合わない。
実際の正価は知らないが、「3000円で買えるだけ買って、釣りは要らない」と言ったのである。

だったら、一体何のために歩こうと言ったのか。
源次郎には、それがどうしても分らない。


裏口から事務所に入る。
ドアを開けて、美由紀を先に入れてから、その後に源次郎が続く。

事務所にいた若い女が、立ち上がって美由紀に頭を深く下げる。そして、
「支配人!ミッキーさんが来られました。」と奥へ向って大声を出す。
そのとたんに、周囲にいた人間にざわめきが起きた。
源次郎がいたときとは随分と様子が変わっていて、事務所にも、その奥の通路にも、いろんな格好をした人が集まっていた。総勢20人はいるだろう。

その人だまりを掻き分けるようにして、奥から、支配人がニコニコしながらやってきた。
「いゃあ、ミッキー、お待ちいたしておりました。ご苦労様です。」
とにかく、ひたすら低姿勢である。
「おい、誰かお茶でもお出しして」と誰にともなく声を掛けている。

そして、今度は源次郎の肩を抱くようにして、耳元でささやくように言う。
「いゃあ、さすがに吉岡君だ。時間までにちゃんと連れて来たんだ。感心感心。」
訳の分らないことを言っている。
「約束は守りますよ。どなたかとは違いますから。」
源次郎は、支配人に嫌味を言ったつもりだ。
「いやいや、あのミッキーを予定通り、それどころか、15分も前に楽屋入りさせるなんて、なかなか出来るもんじゃない。・・・・・・相当苦労しただろう?」
支配人は、最後の言葉はさらに声を潜めるように言う。

「苦労なんかしてませんけれど。それより支配人の身勝手さの方が、僕にとってはきついことですよ。何の条件も約束してくれないままに、仕事だけ勝手に決めるんですから。」
源次郎は、思い出したように、支配人を睨む。
「ま、その話は後にして、取り敢えずは、舞台の打ち合わせからだ。」
支配人は、そう言って、源次郎の前から逃げるようにして奥へ行く。

美由紀は、そうした2人の話を、黙って眺めていた。また、煙草を咥えている。
「源ちゃん、その化粧ケースをここへ置いて。それから、今から舞台の打ち合わせに入るから、源ちゃんはここで休憩していてよ。2時間ぐらいかかると思うけれど、ご飯は食べないで待っててね。」
「はい、分りました。その間、何かしておくことはありますか?」
「ううん、何にもないわよ。ただ、ここから出て行かないで。ここにじっとしていて。それだけ。」
「はい。じゃあ、ここで待っています。」
源次郎は、美由紀が座っている横の折りたたみ椅子を指差して、そう答える。

そうした2人の会話を、周囲の人物達は、何かものめずらしいものでも見るような雰囲気で注目している。
源次郎は、それが何故なのかも分らなかった。

「じゃあ、最後の打合せを始めます。スタッフ全員、舞台のところに集合。よろしく!」
支配人の大きな声が響いて、辺りの人だまりもぞろぞろと奥へ流れていく。

美由紀は、履いてきたハイヒールをそこで脱いで、きちんと揃えて源次郎の足元に置く。
「じゃあ、行ってくるから、これ見ててね。」

「はい」と返事をしようと顔を向けた源次郎の頬に、美由紀の唇が飛んできた。


(つづく)



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