第2話 夢は屯(たむろ)する (その2)
結局、源次郎は、その美佐子に会いたいが為に、同じ居酒屋でアルバイトをし始める。
安い時給で朝から晩までこき使われたが、不思議と、源次郎に不満はなかった。
あの娘の近くにいられる、毎日顔が見られる、それだけで満足だった。
その娘の前で先輩達に叱られるのは格好が悪い、それだけの理由で、仕事にも身が入った。
人との会話が旨く出来るタイプではなかったが、洗物や店内の掃除などは、その几帳面でまっすぐな性格が幸いして、非常にきっちりとする。
東京にいたとき、全共闘の仲間の身の回りの世話をさせられていたこともあって、掃除や洗濯は思いのほか上手だった。
あるとき、悪酔いをした客がトイレを派手に汚した。店長は、迷わず洗い場にいた源次郎を呼んでこう言った。
「これを直ぐにきれいにしろ。今夜はお得意さんの宴会も入ってるから、急いでやれ。」
源次郎は、すぐさま掃除に掛かった。20分ほどで、綺麗に仕上げた。汗びっしょりになった。
店長に報告すると、ちらりとだけ見に来て、OKをくれた。
トレイの表に出していた「清掃中」の看板を外して、清掃用具を収納庫に片付けていると、すぐさまお客が入ってきた。
源次郎は、その客に一礼をして、洗い場へ戻っていった。
それから1時間ぐらい後に、また店長が呼ぶ。
今度は、店頭へ来いという。
いつもは、洗い場の制服のままで店に出ては駄目だ、というのに、今度は店頭へ来いという。
このままの服装で、本当に出てもいいのだろうか?と悩んでいると、痺れを切らして、店長が洗い場の近くまで迎えに来る。
「直ぐに来いと言ったら、直ぐに来い。」
「でも・・・・この服装じゃあ・・・」
「つべこべ言うな。」
店長は、まるで捨て猫の首を摘み上げるようにして、源次郎を店頭へと引張っていく。
店頭へ行くと、大勢の人だかりが、今まさに店から出て行こうとしているようであった。
その中から、ひとりの若い男性を伴った小太りの紳士が歩み寄ってくる。
「俺、何かドジ踏んだかなぁ・・・」
と源次郎は一瞬不安になる。
「ああ、君だったなあ、トイレを掃除してくれたのは。」
小太りの紳士が言う。
顔は見ていなかったが、清掃直後にトイレに入ってきた客と同じようなスーツの色だ。
「あっ!はい。私がトイレ掃除をしたものですが・・・」
源次郎は、いまだに何かの手落ちを責められるような気がしていた。
「おい!浅井君、彼が掃除をしてくれたんだぞ。ちゃんとお詫びと、お礼を言いなさい。」
その紳士は、伴っていた青年に強く言う。
「申し訳ありませんでした。綺麗に掃除していただきまして、有難うございました。」
細くて背の高い青年は、身体をへし折るぐらいに深々と頭を下げた。
可哀想に、スーツは自分の嘔吐物で汚れきっている。
「君、すまんな。これで許してやってくれ。酒の飲み方まで教えなきゃならんとは恥ずかしい。」
源次郎は、ようやく呼ばれた理由が理解できた。嬉しかった。
「店長、この彼、大切にしてやってくれよ。今時の若い奴で、ここまで自分の仕事に誇りを持っている奴はそうはおらんぞ。」
小太りの紳士はそう言って、源次郎の肩をぽんぽんと叩いてくれた。
これはずっと後から知ったことではあるが、この小太りの紳士は、たまたま出張で金沢に来ていた、大阪にある中堅工作機器メーカー「太平洋工作機」の社長であった。
この出会いが、源次郎が「太平洋工作機」へ入社する伏線となる。
(つづく)
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。