第2話 夢は屯(たむろ)する (その114)
「あっ!美由紀さん・・・・・・・・・・どうして?」
源次郎は、そう言ったっきり、一歩も動けなくなった。
「どこをどう通って帰ってきたの?待ちくたびれたよ。」
美由紀は、大きな声で叫んでいる。
まだ30メートルも先である。
「すみません。おばちゃんが、美由紀さんを帰したくないって言われたもので。」
源次郎は、頭に手をやりながら、低姿勢で美由紀のところまで萎れたように歩いていく。
怒ってるんだろうな、と覚悟を決めている。
如何におばちゃんの申し出とは言いながらも、美由紀に断りも無く、勝手に傍を離れたのは事実である。
「源ちゃんさ、美由紀をほったらかしにするつもり?・・・・あの家だったら、源ちゃんが傍にいなくっても大丈夫って思った?」
美由紀は、問い詰めてくる。
源次郎は、まともに顔を上げられない。美由紀の顔を見ることが出来ない。
「いゃだよ。そんなの嫌だよ。・・・・どうして、一緒に帰ろう!って言ってくれなかったの?・・・・・美由紀があそこに泊まった方が良かった?・・・・・・源ちゃん、ひとりでいる方が良かった?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
美由紀の叱責に、源次郎は一言も無い。
出来るならば、このような場面には出会いたくは無かった。
あのまま、源次郎が帰ったことに気付かないでいてくれたら・・・・と思っていた。
そこまではうまく行かなくとも、おばちゃんが説得をして留めてくれることを期待していた。
帰ってから、随分と時間が経ってしまえば、美由紀も即座に行動はしないだろう、という淡い希望もあった。
だが、それらは、ものの見事に打ち砕かれた。
源次郎が出たことは、直ぐに気が付いたようである。
確かに、源次郎は最短距離で帰ってきたわけではない。
途中で、道を迷いもした。
だが、それでも、そんなにのんびりと歩いたのではない。
後ろから追われるような気持もあったし、できるだけ早く帰り着こうと思って歩いてきたのだ。
それなのに、美由紀は、随分と先に着いていたようである。
最短距離を、昨日見せたあの走りで来たのかもしれない。
荷物も持っているのに、である。
美由紀は、源次郎の顔を見たいために、近づいてきてその両腕をしっかりと掴む。
源次郎の二の腕が、美由紀の握力に潰されそうに悲鳴を上げる。
「嫌だよ!・・・・・源ちゃんと一緒じゃなけりゃ、もう舞台にも、あの家にも、行きたくは無い。」
美由紀の声は、涙が滲んだように響いてくる。
「・・・・・・・・・・・・・・」
源次郎は言葉の代わりに、何度も大きく頷いてみせる。
「分ったよ」という意味である。
美由紀の足元には、ハンドバックとともに、源次郎が置いてきた化粧ケースが置かれていた。
それら全部を両手で持って、源次郎はホテルの玄関へと向っていく。
その荷物を持っている右腕に、さらに美由紀がぶら下がるような格好になっている。
フロントでルームキーを受け取って、2人は縺れるようにしてエレベータに乗り込んだ。
そして、そのドアが閉まったとたんに、美由紀は源次郎の首に抱きついていた。
「もう、美由紀をひとりにしないって約束して!」
源次郎は、その言葉にも首を大きく縦に振ることで答える。
「本当?・・・・本当に本当?」
美由紀は、一般の女の子がする独特の言い回しで甘えてくる。
それでも、非常に嬉しそうな顔をする。
「もう、二度と離れませんよ。」
源次郎は、そう言って、美由紀の唇を自分の唇で塞いだ。
両手が塞がっているから、これしかないと思っての行動である。
源次郎から初めてとった、美由紀へのアプローチである。
鍵は美由紀が開けた。
源次郎が中に入って、両手の荷物をテーブルの上に置く。
それを待ちかねたように、2人はしっかりと抱き合って、唇を重ねた。
室内の照明もつけないままである。
それから10分もそのままでいただろうか。
さすがに、息が激しくなってくる。
細くて華奢な美由紀の身体が、源次郎に抱きしめられて、狂おしげに左右に揺れる。
源次郎がその身体を追うように抱き止めている。
1人の男と、1人の女にとって、新たな夢が膨らみ始めた小樽の夜である。
(つづく)
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