ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
第2話 夢は屯(たむろ)する (その10)
その鏡の中に、あの清掃人の姿が過ぎる。

「兄ちゃん、間に合ったかい?」と訊いて来る。
源次郎は、それには答えず、
「お邪魔しました。それより、服濡れてませんか?」と訊き返す。
ひっくり返したバケツの水に浸ったはずだったからである。
「あははは・・・・。女子おなごは濡れて何ぼ、男は立って何ぼだからね。気にしないで。」
と切り返される。

源次郎は、この女にすべてを見透かされているような気がした。
改めて見ると、年の頃は40歳ちょっと過ぎたかな、というような感じである。
だが、やはりこうした劇場で働いているせいか、一般のおばさんより色気があるような気もする。


客席に戻ると、舞台は変わっていた。
2人の女が日舞を踊っている。いや、日舞に似たようなもの、と言ったほうが正しいのかもしれない。
既に、何枚かの衣装が脱ぎ捨てられていて、2人とも肌襦袢に腰巻だけの姿になっている。
相変わらず、初老の男が踊り子に向って喚いている。
源次郎のことは、いかにも忘れています、と言いたげな雰囲気である。

ともかくも、ポケットの中のものを始末しなければ・・・・と考える。
再び、楽屋裏のような通路を通って、事務所に戻る。
事務所といっても、木製の古ぼけた机が1個だけあって、板囲いの壁には誘惑的なポスターがベタベタ貼られている、そんな雑然としたところである。
「東洋の舞姫、佐崎美由紀、遂に来演」などと書いたものもある。
東京でも、こんなポスターの前を、羨ましげに見て通ったなぁ、と思い出す。

机の傍に無造作に置いてあった鞄を開けて、ポケットのものを突っ込む。
代わりのブリーフを取り出そうかとも考えたが、また、あのトイレに行くことになるのだと思いとどまる。
「それにしても、あの清掃人の女、下半身が濡れているのに、大丈夫なのかなぁ」などと気遣う。
少しは余裕が出てきたのかもしれない。

鞄のチャックを閉めたところで、表から、人が入ってくる。
振り向くと、そこには20歳ぐらいの若い、それでいて大人びた女が立っていた。
「支配人を呼んで」といきなり言う。
源次郎は訳がわからないので、「あのう、僕、ここの者じゃないんで・・・」とまずは言い訳をする。
「何だ、そうなの。だったら、ここの人、呼んできてよ。ミッキーが来たって。」
「はい。少々お待ちください。」
源次郎は、そういって、また、楽屋裏のような通路を通って、客席の方へ出る。
言い方もキツイが、確かに美人だと思う。ツンとした魅力がある。
たった今出会ったばかりの女のことを、源次郎はそう感じた。
美人だと思わなければ、こうして動いていないな、とも思ったりする。

客席の中央に陣取っている、あの初老の男のもとへ行く。
誰がここの関係者なのかも知らないのだから、取り敢えずは、この男の指示に従う他は無かった。
「あのぅ、ミッキーさんって方が来られて、支配人を呼んで欲しいと言われているんですが。」
大声で踊り子に指示を与えていた男が、その一言で、大声を止める。
「えっ!もう来たのか、早いな。・・・・」
男は、何やら考えている。
「あのぅ、支配人というのは?」
「支配人は俺だ。俺しかいないだろう。・・・・・でも、ちぃと、まずいな。」

源次郎は、言葉が出ない。
「そうか、この人が支配人なのか。凄い人なんだ。」と思って、改めて男の横顔を見つめる。
眉間に寄せた皺が、鋭い目つきが、どこか任侠のような雰囲気を醸し出している。
「おっ!兄ちゃん、いいところにいたなぁ。」
突然のように、その男は柔らかな笑顔を源次郎に向けてくる。

「早速だが、仕事だ。」


(つづく)




+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。