ルーシーの飼ってる金糸雀を、まだ誰も見たことがない。
ルーシーはロッカーに金糸雀を飼ってる。それは彼だけの秘密だった。
空は青過ぎて黒に見えるし、お日様は空に浮かんでいる訳じゃないけれど、ルーシーにとってはどうでもいい事だった。
ルーシーにとって大事なのはロッカーに金糸雀を飼ってる事と、彼の好きな女の子のシルクの事だった。
シルクは、同じクラスのマドンナ的存在で、それ故にルーシーにはライバルが多かった。
シルクの気を引く為に、男の子達は、優しさと慈愛に満ちた仕草を身につけて、とっておきの冗談を持ち歩いた。
そして、彼女を喜ばせる為にあらゆる贈り物を贈った。
象牙のネックレスを贈った者もいたし、百本の薔薇の花束を贈った者もいた。
けれども彼女は満足しなかった。そこでルーシーは、怪しげな商人から金糸雀を買ったのだ。
世にも珍しい金糸雀だ。
日曜日の朝、ルーシーは市場へ出かけた。市場には、野菜や果物の他に、珍しい動物を売っている店があった。
その店は、裏路地にあって、みるからにワシントン条約に違反してそうな怪しい店だった。
ルーシーがまず興味を引かれたのは、淡い緑の羽根を持ったケツァールという南米産の鳥だった。
しかし、その値段は法外で、ルーシーの全財産を合わせても全然足りない位に高価だった。
ケツァールは諦めて、ルーシーは霊長類のポケットモンキーを見た。
見るからに賢そうな硝子玉の瞳や、金色の毛並みを持ち、愛くるしい仕草が人の目を楽しませている。
しかし、それでもルーシーの財布の中身では買えそうにない。
実際に、ルーシーが買えそうな動物は二十日鼠と不気味な蛇ぐらいしかなかった。
「気に入ったものがなかったのかい?」
諦めて店を出ようとしたルーシーを店員らしき男が呼びかけた。
「はい、どれもこれも、僕には高すぎます」
ルーシーは正直に、自分の財布の中身を見せた。
「ちょっと待っててくれ」
そう言うと男は一度店の奥に引っ込んで、大袈裟な金の鳥籠を持ってきた。
「この金糸雀なら、君の持っている全財産と同じ値段で買えるんだが」
ルーシーは、ただの金糸雀に全財産を払うべきかどうか迷った。すると男は小声で言った。
「実を言うと、この金糸雀はただの金糸雀じゃないんだ」
「え?どういう事ですか?」
「この金糸雀は、鳴かない金糸雀なんだ」
「鳴かない?」
「そうだ、金糸雀は普通、美しい声で鳴くが、この金糸雀は鳴かないんだ」
「鳴かないよりは鳴く方が良いんじゃないかな」
ルーシーが言うと男は笑って言った。
「鳴く金糸雀なんて、どこにでもいるが、鳴かない金糸雀はこの一匹だけだ」
「でも……」
「この金糸雀の価値が分からないなんて、お前は馬鹿だな」
ルーシーは、その言葉を聞いて金糸雀を買う事にした。
こうしてルーシーは鳴かない金糸雀を買ったのだった。 鳴かない金糸雀は、ルーシーにとっては都合が良かった。
学校に持ってきても、ロッカーに入れておいても誰にも気付かれなかった。
ルーシーはシルクを驚かせようと思ったので金糸雀の事を誰にも言わなかった。
放課後になって、太陽は沈みかけ、空が真っ赤に燃える頃に、ルーシーはシルクに声をかけた。
「君に見せたいものがあるんだけれど」
「あら、なにかしら」
「実は、僕のロッカーの中にあるんだ」
ルーシーはシルクを連れてロッカーの前に行き、その扉を開けた。
「まぁ、なんて綺麗な鳥なの」
シルクは驚いたが、少し不満だった。もっと良い物を期待していたからだ。
「この金糸雀は一日中、僕のロッカーにいたんだ」
ルーシーは得意げに言った。
「ふーん金糸雀なんだ」
明らかに詰まらなそうな顔でシルクが言った。
「実は、この金糸雀は鳴かないんだ」
「なんですって?」
シルクが言った。
「この金糸雀は、鳴かない金糸雀なんだよ」
その意味を理解したシルクは笑った。
「いくら綺麗でも鳴かないんじゃ金糸雀としては失格よ」
「シルク、よく考えてみてよ。鳴かない金糸雀なんてこの一匹しかいないんだよ」
「そうね、鳴かない金糸雀を鳴かす事ができれば、きっと素晴らしい声で鳴くんでしょうね」
シルクはよく考えてから言った。
「じゃあ僕が、きっと鳴かせてみるよ」
ルーシーはそう言って、金糸雀を家に持って帰った。
こういうとき秀吉なら鳴かぬなら鳴かせてみよう金糸雀と言うのだろうか。とルーシーは考えなかった。
ルーシーは家に帰ってまず、金糸雀を籠から出してみた。
すると金糸雀はそのまま地面に落ちて、動かなくなった。
これはマズいと思い、ルーシーが獣医を呼んだ。獣医が金糸雀を診て言った。
「この金糸雀は衰弱しているみたいだ。きっと何日も餌を貰わず、世話もされていなかったんだろう」
ルーシーは怒った。死にかけの金糸雀を売りつけた商人に対してだ。
その日も空は青く。濁りのない青に染まり、ルーシーは金糸雀の墓を作ってやった。
ルーシーはシルクとの約束を思い出して憂鬱になったが、金糸雀そのものがもう居ないのだから諦めるしかなかった。
翌日のルーシーはちょっと違った。
彼は一晩中考えた。元々金糸雀は鳴かなかったのだから、金糸雀が死体であっても構わない。
昨日のようにロッカーに入れて置けば、よく見ない限りは誰も気付かないだろう。
最終的には、シルクにプレゼントする事はできないが、きっと喜んでくれるに違いない。
問題は世界一素晴らしい鳴き声だった。ルーシーは金糸雀の鳴き声なんて知らない。
けれど、勝算はあった。昨晩、彼はシルクに気に入られる為に、世界一素晴らしい鳴き声を練習し続けた。
その結果、彼は世界一素晴らしいといってもいい程のボーイソプラノを手に入れた。
それだけではない。彼の歌は、きっと世界中のどんな金糸雀よりも美しかったのだから。
死体の金糸雀を、バックに詰めて、彼は学校へと向かった。
ルーシーが鳴かない金糸雀を鳴かせるという話は既に、学校中に広がっていて、みんなの噂には尾鰭が付いて、さらにスケールアップすらしていた。
「ルーシーが鳴かない金糸雀を鳴かせる」
「ルーシーの金糸雀は世界一素晴らしい鳴き声で鳴く」
「ルーシーの金糸雀は歌を唄う」
「ルーシーの金糸雀は、五カ国を話し、その翼は虹色で、世界一素晴らしい鳴き声で歌を唄う」
といった具合に。
まずルーシーは、その金糸雀が鳴かない金糸雀であるということを証明する為にロッカーに入れて鍵を閉めた。
勿論、それは死体で、誰が見ても気付かない。
「放課後を楽しみにしていてよ」
ルーシーは内心ハラハラしていたが、シルクがニッコリと微笑んだので、全てが上手くいくような気がしていた。
ルーシーは、密かに練習を繰り返し、金糸雀の声をいつでも出せるように訓練した。
芝居がかった演技で、金糸雀が絶命する様子も思い描いた。
あっという間に午前の授業は終わり、午後になった。昨日は寝ていなかった為、ウトウトとうたた寝をするルーシーの様子は、周囲の人間に余裕があるという印象を与えた。
放課後になり、金糸雀を鳴かそうと、数人がるしかないルーシーのロッカーの前で、様々な事をした。
まず、手始めに話しかけたり、手をたたく者が居たし、呪術のように魔法を唱えたりもしたが死体の金糸雀は鳴かない。
いよいよルーシーの出番になると、周囲の騒がしかった群集は黙り込み、期待した。
ルーシーは、ロッカーの目の前に立ち観客に一礼する。
「では、始めます」
手を口に当てて、ルーシーが小声でアヴェ・マリアを唄うと、群集はどよめいた。
ルーシーの歌声は絶妙なハーモニーを奏でた。
それは、清らかなドナウの流れのようであり、荘厳なアルプス山脈の峰であり、スイス高原の涼風であり、カリブ海のセイレーンの歌声だった。
人々の関心は金糸雀だったが、明らかにルーシーの天使の歌声の素晴らしさに感動していた。
涙を流す者や神に祈りを捧げる者も居た。
ルーシーはきっと、この歌声で金糸雀を鳴かせるのだと誰もが確信した。
ルーシーの意図は、この歌声を金糸雀の鳴き声だと思って欲しかったのだろうが。
ここで一つ目の奇跡が起こる。
天使の歌声は、人々の心を歓喜させるだけではなく、金糸雀の生命の息吹きをも蘇らせたのだ。
さらに、二つ目の奇跡が起こる。鳴かなかった金糸雀の鳴き声を天使の歌声は癒やした。
ついに金糸雀は鳴く。
しかし、誰もが期待した世界一素晴らしい鳴き声ではなかった。
普通の、平均的な金糸雀の持つ鳴き声で、金糸雀は鳴いた。
「すごいわルーシー」
シルクは彼の歌声を賞賛して抱きついた。
だが、ルーシーの声はその二度の奇跡を最後に、死ぬまで戻らなかった。
そして、彼と彼の普通の金糸雀は、恐ろしく長生きした。 |