本物と偽物
「今日は暑いね。アイス食べていかない、杏」
「うん。愛実ちゃんの言う通りにするよ。愛実ちゃんの言う事は絶対だもの」
初夏の夕暮れ時。二人の少女が学校の帰宅途中にアイス屋に行く事にした。ツインテールの活発なほうが愛実。一つ縛りのお下げで大人しそうな子が杏。
「ほら杏、今日は私の奢り」
「え、そんな……」
「遠慮しないで。バイト代が出たの。お金は友達と美味しい物を食べるためにある!」
「ありがとう……」
高校の制服姿で街をぶらぶらと歩き回る。傍目には青春を絵に描いたような姿だ。二人が談笑しながら歩いていると、前方から同じ制服のやや派手目な少女達がやってくる。
「あーマナミじゃん! さっきぶり~。ってか、アンとまた一緒なの?」
「ほんっと面倒見いいよねえマナミは。うちらには無理だわ。アン暗すぎね? ほらまた下向いて。チョー失礼じゃん。腹ん中でうちら見下してるっしょ?」
目を合わせるなり派手目な少女達は杏を見下したような発言をする。
「そんな言い方やめてよ。杏はちょっと内気なだけ。幼馴染の私が言うんだから間違いないわ」
「……マナミがそう言うならいいけどさ」
「あーうん、ごめんねー? じゃ、うちら行くから」
少女達は去り、愛実と杏だけが残った。
「愛実ちゃん、ごめんね。私が、私がこんな不器用だから……」
「いいのよ。友達じゃない」
「愛実ちゃん……。ふふ、大好き」
私は好きじゃないけどね。馬鹿がつくほどお人好しで、見た目は可愛い杏。友達? 幼馴染? 親同士が仲良いからこの腐れ縁は切れやしない。だったら利用して面倒見がよくて親切な愛実さんの踏み台にするしかないじゃない。私はいつ切ってもいいのよ、こんなトモダチもどき。ま、そうなると友達が私しかいない杏が惨めになるから可哀相なのよね。
ああ、ギャル達に構っていたらもう日も暮れそう。薄着になり始める頃は変な人も増えるから早く帰らなきゃ。ああ全く、杏のやつはいつも鈍くさい。
「さ、暗くなる前に帰ろうか」
「うん!」
そこまで、人気のない道を歩こうとしたとこまでは覚えてる。
気がついたら、薄暗い場所だった。周りには円のようなものが描かれ、それが結界となっているかのようにその線から光が天に発していた。
……召還?
「これは何としたことか! 一人は本物だが、もう一人は破滅の子だ! 見極め次第殺さねば!!」
前を見ると、初老の宮司みたいな服着た男が、わたわたしながら頭を抱えている。ちょっと待って。破滅の子、って……。横を見ると、まだ気絶しているらしい杏がいた。どっちかが本物で、どっちかが偽物? 偽物だったら殺すって、そんな……。
「やはり次からは王の立会いのもとで……今後を考えると書記も必要かもしれん……」
男は私が起きたことにも気づかず、後ろを向いた。男の様子を注意深く観察すると、彼が帯剣していたことに気づく。音をたてずに忍び寄る。結界は簡単に越えられた。
「ん?」
後頭部を鞄に入っていた辞書で殴る。咄嗟の事で反応出来ないまま倒れた彼に馬乗りになり、さらに殴りつける。うめき声になった所で、剣をとり、一気に刺す。
「……ぁ、ガァ……」
何でこんなことをしたかって? 私が本物なわけないじゃない。きっと杏が選ばれ、その後に私が辿る道は……。見下していた杏にどうにかされるなんて神様でも許さない。そうでなくても殺されたくなかった。
寝汚い杏は、全てが終わった後にようやく目を覚ました。
「……愛実、ちゃん? ここは……」
「杏! 落ち着いて聞いて! 大丈夫よ、私が死なせはしないから!」
「え? 何、どうしたの?」
都合の良い説明をした。召還されたこと。神官は私を本物と断定し、偽物である杏を殺そうとしたこと。そんなことさせないと神官ともみ合ったら、はずみで彼が死んでしまったこと。
「私が殺したようなものね……」
「愛実ちゃん! 違うよ! 愛実ちゃんが私を助けようとしたから……うう、ごめんなさい、ごめんなさい……」
馬鹿な杏は易々と引っかかってくれた。そうよ、こんな馬鹿が神子でたまるものですか。
信じ込んだ時、奥からドタバタを走る音。そして扉が開かれる。
「二人……?」
騙されてるとも知らず杏は、出てきた皇帝陛下(後から聞いた) に「私が偽物です! 神官も私が殺しました!」 と聞かれても無いのに喋りだし、私は笑いを堪えるのに必死だった。
控えていた臣下達にその場で死刑を宣告されるが、そこは私の出番。
「やめて! 杏は私の友達なのよ! 家族みたいに育ったのに、破滅の子なんてあるわけない!」
結局杏の死刑は取り下げられ、杏は一生を独房で過ごすこととなった。私は誰からも見捨てられた存在と助けた人間として、歴代で最も心優しい神子と市井で評判だそうだ。皇帝や臣下もしきりに私を褒め称える。当の杏は、「ごめんね。私なんかに手間かけさせて。死んだほうがまだ恩を返せたね」 とまだ信じている。馬鹿な子だ。
そしてお決まりの魔王退治もなんなく済んだ。私は優秀らしい。そりゃそうでしょう。いつバレるかと思うと眠れない。人の目が常に怖い。そんな人間が全身全霊かけて挑んでるだから。終わった時は心底ほっとした。
通常は、魔王対峙が終了次第異世界人は帰還するらしいが……。
「友人を助けようとするそなたに心打たれていた。結婚してほしい」
私は皇帝陛下にプロポーズされた。薄情かもしれないけど、元の世界に未練は無いし、何より一目惚れしていたから二つ返事でOKした。しかも私を好きになってくれた理由が容姿関係なくて、杏はそもそも対象外なのも良かった。
一番偉い人の恩恵を受けられれば、もう何も怖くない。それに選んだ後ならバレたところで、偉い人は間違いを認めにくいものだし。私には実績もある。
いよいよ結婚が明日という日になって、私は杏に結婚の報告をしに行った。今までろくに会ってもいなかった。だってそれはそうでしょう、下手に話してボロが出るのが怖い。杏だって自分が悪いって信じ込んでる。話す理由なんかなかった。どうせ、いつものように祝福するだろうと思った。昔から、何か賞を貰えば一番称えてくれたのは杏だった。
「結婚……!?」
「そうよ、皇帝陛下と。一度会ったでしょ、覚えてる?」
監視からは模範囚だと聞いていたが、この時の杏はとてもそうは見えなかった。
「だって、結婚って、愛実ちゃんその人のこと好きなの?」
「ええ。初めて会った時から、ずっと」
「……!!」
「杏?」
「ごめんなさい……。久しぶりで、色々いっぺんに聞いて、混乱してるみたい……。一人にして……」
元々は本物なのを思えばその心境は……やめよう。結果を残した以上、私が本物。杏の意を汲んで独房から背を向け歩き出す。
「……す」
何か言った気がしたけど、聞こえなかった振りしてそのまま去った。
それがいけなかったと知ったのは、住んでいる城が破壊し尽された後だった。異世界の、私の住む国以外全ての国が結託し、裏切った。全ては皇帝陛下の植民地だったのに、一人の女を旗印に反旗を翻した。
「杏……」
言うまでもなく、あの女だ。使者からの報告で顔を見ないでも確認済み。どうも、前から本物ではと思われて誘われていたらしい。
「マナミ……お前は逃げろ」
「陛下、どうかお供させてください」
こんな状況でも私を気遣ってくださる皇帝陛下に涙が出た。行き着く先がどこだろうと、この人に従わずにはいられない。彼はそれを察して、城中でどこよりも堅固と言われる場所――私が召還されたあの部屋――に私を伴い、真ん中に着いたとき、周りに油を撒いて火をかけた。火が回りきる直前、イケメンを侍らした杏の姿が見えた。
「よっしゃ! 偽物がくたばったぜ!」
「調子に乗るなカイン。抜け道があるかもしれん」
「そうであってくれればなあ。こういうのは我々の手で討つからこそ意義があるというのに」
「それにしても。偽物を偽物と見抜けない暗君だったくせに、最後は自殺なんて甘すぎるぜ」
容姿のいい連中が好き勝手言ってる――と杏は思った。杏は彼らの見分けがつかない。彼女の中で見分けがつくのはただ一人。その一人が見当たらないのだが……。
「それで? マナミはどこ?」
「はっ。それが……王と共にいたというのが最後の目撃情報で……おそらくあの中に……」
杏の顔色が変わる。
「誰が……誰が見逃せと言った! 出せ! ここへ連れて来い! マナミの身柄が条件でお飾り盟主になってやったのよ!」
「それが……火の勢いが激しく、もはや困難な状況かと……」
「役立たずが!」
激高する杏の様子に眉を顰めるものをいた。
「……なんでいつもあんなに気が強いんですかね」
「言うな。偽者に散々な扱いされてきたんだ。それを思えば仕方ないだろう」
そんな様子に気づかず、兵士にマナミを救出するよう命令する杏だが、誰も行こうとはしないのを見て言った。
「もういい! 私が行く!」
慌てて止めようとする周囲だが、止める必要もなかった。杏が入ろうとした瞬間、彼女は弾き返された。
結界だ――。でも何故?
――偽者め。性懲りもなく最後の時すら荒らそうというのか――
空中に巨大な顔が浮かび上がる。皆が恐怖する中、杏だけはその顔に見覚えがあったため冷静だった。最も、生きているに会ったことはないが。目を覚ました時には死体だったのだから。
――破滅の子。正の力を圧倒する禍々しい負の持ち主よ。お前のせいで全ての歯車が狂ったのだ――
それは間違いなく杏に向けられていた。誰もが一様に何故? という表情をしている。
杏は見に覚えがあった。三歳の時、愛実が隣に越してきた時から、杏は愛実が好きだったのだから。愛実が現状に複雑だったのも知ってる。ギャル達の忠告通り、杏が腹に一物抱えた子と知っていれば、こんな事にはならなかっただろうに。
愛実が杏の全てだった。それを愛実は裏切った。皇帝と結婚する? だから言ってやった。警告のつもりで。「殺す」 って。聞こえてたと思うんだけど。でも無視した。どうしよう。哀れな姿を晒して、愛実が思い通りにならなかったのなんて無いのに。
落ち込んでたら独房の穴から変なお誘いが来た。「本物は貴方だ」 どっちでもいい。取り返すのに協力して。
しばらく睨んでいた空中の顔はやがて消えた。二人が死んだのだろう。殺されたのに律儀な人だな。いや、自分が全ての発端だと思ってるのかもしれない。今の私のように。
結界が消え、中央まで歩くと、二人の焼死体があった。黒くなってるけど、区別はついた。小さなほうが間違いなく愛実。それが大きなほうに絡みつくようにくっついている。私はそれを引き剥がし、もう肉体だけの愛実を抱きしめる。焦げた臭いすら愛おしかった。気が済むまで頬ずりした後、男のほうの肉体を踏みつける。何を道連れにしてるんだクソが。
「そこまでにしなさい、貴女にはこれから神子としての役割を果たしてもらう事になっています」
自分達が間違っていると覚っても、彼はそのまま突っ走る気らしい。偉い人の都合なのかな。知らないけど。
「嫌よ」
とだけ言って、私は隠し持っていた短剣で胸を突いた。肉体だけでもいいかなって思ったけど、やっぱり空しい。あの世で取り返すんだから。
この話はのちに脚色され、取り違えられた不幸な神子の話として広まった。最後まで友人を思って果ては自殺する義理深い神子アンの話は多くの者の紅涙を絞ったが、事実を知る者は溜息をつくばかりだったという。