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冬の女王と春の花

作者:藤村 由紀
 歌を差し上げましょう、ディアレスティア
 わたしの愛し子、やがて季節を紡ぐ運命の娘よ
 歌を歌いましょう、あなただけの歌を
 人のために、国のために
 大地のために、天のために
 歌いましょう、ディアレスティア、わたしの愛し子
 ―― いつか一人になる、あなたのために。


                  ※


 見渡す限り世界は、白く冷えて美しかった。
 滑らかに伸びる春の草原も、生き生きと連なる夏の山も、秋には賑わう城も街も、全てを硝子の箱にしまってそっと粉砂糖をまぶしたかのようだ。

 全ては静まり返って、沈黙している。
 何も始まらず何も終わらない。ただ灰色の空から、時折溜息のような細雪が舞ってくるだけだ。

 風のない朝。
 灰色の光が満ちる中、さらさらと静かに散る雪の下を、少女は一人歩いていた。
 小さな愛らしい顔は冷え切って白く、まるで石膏で作られたかのようだ。
 重く分厚い外套はあちこちが擦り切れて、それでも彼女は服の合わせ目をぎゅっと握り、ただひたすら前へと足を動かしていた。

 透き通る雪粒が、長い睫毛に落ちる。
 ゆっくりと溶けたそれは、彼女の眦に落ちると頬を伝っていった。
 少女は息をついて、顔を上げる。

 道なき道の先に見えてきたのは、白い塔だ。
 この国の「季節の女王」が座す高い塔。
 城から離れた広い庭園の中にひっそりと建つその塔は、今は降り積もる雪によって誰も訪れることはない。
 道も庭木もすっかり色を亡くし一つになった景色の中、目指す塔だけは淡く光を反射して輝いていた。

 少女は服の中に抱え込んだものを揺すりあげると、一歩一歩雪の中を歩んでいく。
 吐く息は白く、指も耳も冷え切って既に感覚は失われていた。
 そうしてようやく塔の真下へとたどり着いた少女は、凍った石段をそろそろと上り、大きな金属扉の前に立った。
 かじかんだ指を伸ばして、氷のような金属輪を鳴らす。

「女王様、参りました」

 開かない扉を前に、少女は掠れた声を張り上げる。

「女王様、ファエラが参りました。遅くなりましたが、ようやくここに――」

 少女の言葉が終わるより先に、軋む音を立てて扉が開き始める。
 そのことに、ファエラと名乗った少女はほっとした。中に入れてもらえないのではないかとも思っていたのだ。

 ――だがこれで、やっと約束が果たせる。

 少女は髪や外套に積もった雪を払い落すと、開いた扉から体を滑り込ませた。
 吹き抜けになった塔の天井を見上げる。

「女王様……」

 季節の女王が座す、名もなき塔。
 その玉座に今いるのは、冬の女王だ。
 女王は全部で四人。彼女たちが交代にこの塔の玉座につくことで、季節は移り替わる。
 この塔から女王が歌う歌が、国に次の季節をもたらすのだ。

 けれど今、この塔には長く冬の女王が座したままだ。

 ファエラは塔の中を見回す。
 白い石床はすっかり凍り付いていた。壁の燭台は氷の中に閉ざされ、鋭い氷柱が下がっている。
 大きな窓から差し込むぼんやりとした光は、あちこちの氷の粒に跳ね返って、円形の広間を淡く照らしていた。
 去年の冬には、温かな笑い声で満ちていた広間。今は誰もいないそこを、ファエラは唇を噛んで見つめる。
 だがすぐに彼女は、壁に沿って延びる階段を上り出した。
 遠く最上階から、女の声で歌が聞こえてくる。

 ――冬の女王が、塔から降りてこない。

 それはこの国では、終わらない冬を意味する。
 どうして彼女が塔を出ないのか、それは誰にも分からない。
 ただ冷えていく大地に、降り続く雪に、少しずつ国は小さな箱へと閉じ込められていった。
 粉砂糖が積もっていく硝子の箱。いずれはその全てが白の下に没するだろう。
 この塔に至るまでに目の当たりにしてきた人々の不安を、ファエラは思い出す。
『冬の女王を春の女王と交替させた者には好きな褒美を取らせよう』
 王がそんなお触れを出したのは、ついこの間のことだ。

 塔は、女王に招かれた者しか入れない。
 そして今、この塔に入れるのはもう自分だけだ。

 ファエラは何度も階段を滑り落ちそうになりながら、凍った石壁に手をついて塔を上っていった。
 遠く聞こえていた歌が、少しずつ近づいてくる。窓の隙間から入り込んだ雪が、吹き抜けを広間へと落ちていく。
 やがて終わらないようにも思えた時間の終わり、少女は最上階、玉座の間に辿りついた。

 そこには、女王が一人待っていた。

 露台に繋がる大きな窓。
 その前に置かれた石の玉座は、今はどこもかしこも薄い氷に覆われている。
 肘掛けを掴む細い指。銀の指輪がいくつも嵌められたその手は、奇跡のように美しい。
 床に広がるドレスの裾は何重にも重ねられた白いレースで、女王の顔を覆っているのも同じ衣裳のヴェールだった。
 そのヴェールの下から、澄んだ声で歌が紡がれている。

 ファエラは玉座の前に進み出ると、凍った石床の上に両膝をついた。深々と頭を垂れる。

「女王様、ファエラでございます」

 ぴたりと、歌がやむ。
 長く思えた時間の後に、女王の声が響いた。

「あなたが、きましたか」
「申し訳ありません」

 冬の女王の声に、怒りはない。
 ただそこには、茫洋とした欠落があった。ファエラは胸の痛みを味わって噛みしめる。
 女王の淡々とした声が、ファエラの上に降る。

「あなたも、わたくしを諫めにきたのでしょう。冬が終わらなければ、国が滅ぶのだと」
「……ええ」
「ですが、わたくしはまだここから降りるつもりはありません」

 ヴェールの下の女王の目が、背後の窓を仰ぐ。
 そこから見える景色は、一面の輝く白だ。何処までも続く、ゆっくりと閉じていく風景。
 冬の女王にとって、ここから見える眺めはいつも最後には同じだ。
 ファエラは外套の中に庇ったものをきつく抱く。

「女王様は、どうして塔に残っておいでなのです」
「些末なことです。それでも、わたくしの全てです」

 女王の言葉は、二人の間に薄い氷の壁を隔てるかのようだ。
 触れれば罅割れてしまいそうなそれに、ファエラは眉を曇らせる。
 何と切り出そうか迷っているうちに、女王が囁いた。

「約束をしたのです」

 しん、と壁を揺らすそれは、無名の宝石のようだ。
 ヴェールの下、長い銀の睫毛が揺れる。

「人と、約束をしました。わたくしたち季節の女王が、女王でいられるのは一年のうち三月だけ。それ以外の季節は、みすぼらしい少女として人知れず街の片隅で暮らしていかねばならないのは、あなたもよく知っているでしょう」
「女王様……」
「でも、そんなちっぽけな少女でも、愛してくださる方はいるのです」

 白い指が、ヴェールを持ち上げる。
 その下の貌は、雪の結晶を人としたような神秘に満ちていた。
 銀色の瞳が、冷気にけぶってファエラを見る。

「ありふれてささやかな愛情が、どれほど人を救うものか、あなたは知っていますか?」
「……いいえ、女王様。でも、想像することはできます」

 ファエラはまだ、恋を知らない。
 ただ人が人を救うことは知っている。そうして彼女たちは繋がれているのだ。
 季節の女王であるなら尚更だろう。彼女たちは人でありながら、人と隔絶した一生を送る。
 ファエラのそんな思いが伝わったのか、女王は己の雪のドレスを見下ろした。

「わたくしたち女王は、一年のうち三月はこの塔にこもらねばならない運命です。自らが季節の手繰り手であることを隠して、愛する人の前から消えなければならない」
「……ええ」
「それでも、何も知らずともあの方は、こんなわたくしを待っていてくださると言ったのです。この塔の下で三月後に会おうと――」

 透き通るような淡い紅色の唇が、微かに震える。
 女王は、その三月から一月経ち、二月経ったことを気づいていないのだろうか。
 ファエラはそんなことを考えて、しかしすぐに思い直した。
 女王は長すぎる冬に気づいている。気づいて、ここで待っている。愛しい男が、塔の下にただの少女を迎えに来る日を。

 その日を待って、彼女が何度露台から外を見下ろしていたのか。
 期待に満ちる双眸が何度落胆に変わったか。想像するだに胸が詰まる。
 ファエラはぎゅっと外套の胸を押さえた。何度か口を開きかけては閉じる。
 感情を形にしようとする言葉は、飲めば飲むだけ心を焼いてしまうようだ。
 重い躊躇いを繰り返し、少女はようやく顔を上げた。

「女王様……恐れながら、その方より伝言を言付かって参りました」
「伝言?」

 訝しさが女王の声音に混じる。
 ファエラは緊張に唾を飲んだ。上手く言えるだろうかと、不安が体を固くさせる。
 だが、そのために今になって塔を訪れたのだ。
 少女は強張った唇を動かして、言った。

「女王様―――― あなたの恋人は遠い南の国に帰りました。もう、あなたの前に現れることはないでしょう」

 そう、言いきって。
 ファエラはだが、目を閉じて逃げ出してしまいたかった。
 どうして自分がこんな役目を引き受けてしまったのか。ただ、自分以外に引き受けられる人間もいないだろう。
 彼女は最後に会った男の言葉を思い出す。そうして若草色の瞳で、じっと女王を見つめた。
 美しい冬の女王は銀の目を見開く。

「帰った……と?」
「ええ。この国の寒さが体に堪えるから、と先だって旅立ちました」
「わたくしを置いて……」
「別れの伝言と――花を預かりました」

 ファエラはそっと外套を開く。
 そこに大事に持っていたのは、小さな鉢植えの花だ。
 女王の唇と同じ薄紅色のか細い花を、ファエラは細い腕に抱き込む。
 少女は冷え切った足を動かし、立ち上がった。

「これを、あなたにと……」

 声を震わせないでいられるだろうか、とファエラは思う。頭の中で男の言葉を反芻した。

『別れの言葉を、伝えて欲しい』

 すっきりとした笑顔で、そんな風に彼は言った。

『薄情なものがいい。彼女がすぐに忘れて、いつまでも悲しまずにいられるように』

 そう言われて、ファエラは考えていた。ここに至るまでずっと。
 どんな言葉で伝えれば、女王を悲しませずに済むだろう。彼女は後悔せずにいられるだろう。
 去っていく恋人を憎むでもいい。その不実に侮蔑を向ければいい。
 彼は、自分の愛しい少女がそう思うことを望んでいたのだ。
 だからファエラに「酷薄な言葉を」と託した。
 だけど、本当は――


「……『幸せで、いて欲しい』と」


 それは、伝言を頼まれなかった真実の一かけらだ。


                  ※


 ファエラが彼に出会ったのは、国の外れからこの塔に向かう途中だ。
 南の国から来た詩人。穏やかに笑う彼は、しばらく前に別れた己の少女を待っていた。
 その少女が女王のことだとすぐに分かったのは、ファエラが女王の名を知っていたからだ。
 人としてはレスティア―――― 女王としてはディアレスティア。
 冬を司る美しい季節の女王。
 彼が待っている少女とは、塔で一人冬の歌を歌う彼女のことなのだ。
 ファエラはそのことを知って、だから彼の嘘に手を貸した。


                  ※


 別離を告げる言葉と、幸せを願う言葉。
 そのどちらがどれだけ、人の芯に届くのだろう。
 願わくば後者であればいいと、ファエラは祈った。
 女王の銀の目が、光を失って足元に落ちる。

「……歌を、習ったのです」

 呟く声からは、まるで感情が抜け落ちてしまったかのようだ。
 思いは強ければその分溢れて零れて、最後には何も残らないのかもしれない。

「秋の女王である母から歌を習った時に、言われました。『いつかあなたは一人になる』と……」
「女王様、それは違います」

 わたしがいます、とファエラは言いたかった。
 たとえ一年に一度しか会えぬのだとしても、自分は誰より彼女に近いのだと。

「皆、わたくしを置いて去っていくのです。冬の寒さは、一人では越えがたいものですから……愛しい人を温めるすべを持たないわたくしは、誰とも添うことができない。最後にはいつも、一人です」
「違うのです、女王様」

 ファエラは小さな鉢を抱きしめる。
 薄紅の花が悲しむように揺れた。彼女は吹き付ける冷気から花を庇って身を縮こめる。
 ―――― どうすれば、彼女に伝えることができるのだろう。
 思い出すのは、母の姿だ。いつも何処か悲しげだった母。だがファエラのことを深く愛してくれた。
 その背を見て、彼女は育ったのだ。

「女王様、確かに冬は冷たく、孤独です。わたしも母が役目のためこの塔にこもる度、毎年寂しい思いをしておりました」

 季節を手繰る女王。
 受け継がれるその役目を負っていたのは、ファエラの母も同じだ。
 冬が来る度に去っていく母。毎晩凍えるベッドで一人震えて眠った。春の訪れをひたすら願った。

「それでも、わたしは母を一人にしようとは思いませんでした。冬の間、誰よりも孤独に耐えているのは母だと知っていたからです」

 女王は皆、孤独に一人向き合わなければならない。
 その運命を、役目を負って歌うのだ。季節を回す己の歌を。

「だから女王様、あなたは塔に一人であっても、決して一人ではないのです」

 ファエラは抱き込んだ花の鉢を見つめる。
 ともすれば凍えて枯れてしまいそうなそれに、そっと息を吹き込んだ。
 少女は思いの詰まったそれを、女王に差し出す。

「これを……」

 六枚の花弁を持つ、愛らしい花。
 ささやかに二つの花を咲かせる鉢を、女王は見つめた。
 去っていった恋人から預かったというそれを、女王は受け取ろうと手を伸ばす。
 だがすぐに彼女は、冷え切った己の指に気づいて逡巡した。
 ファエラは「どうぞ」と一歩前に歩み出る。
 女王は小さなその鉢を、恐る恐る受け取った。銀の瞳が、じっと薄紅の花弁を見つめる。

「この花……聞いたことがあります。あの人の生まれた国に咲く珍しい花だと」

 その花を、ファエラは知らない。
 花の色を、形を選んだのは彼だ。だからそれを知っているのも、彼から話を聞いた女王だけだ。

「雪のような花弁を持つ花だと、彼は言っていました。全てを眠らせる冬の純白の花で……でもわたくしは、己の降らせる白が好きではありませんでした。だから言ったのです。『薄紅色の花弁もあったら素敵だ』と」

 女王の声が震える。
 小さな鉢を抱き込んで、彼女は問うた。

「この花はだから―――― 存在しないはずの花なのです」

 ファエラは息を飲む。
 彼とかわした約束を、少女は思い出した。
 女王の目が、真っ直ぐにファエラを見つめる。

「ファエラ……本当のことを、教えてください」

 この塔に至るまで、ずっと鉢植えを庇って抱えてきた。
 冬の冷たさに、すぐにでも枯れてしまいそうなか細い花。
 だがそれがまだ温かさを保っているのは、他でもないファエラが持ってきたからだ。

「女王様、それは……」

 言わないで欲しい、と頼まれたのだ。
 彼女には知られないで欲しいと。
 約束と感情の間で迷う少女に、だが女王は言った。

「ファエラ、わたくしは愚かな女王です。ですが、人として愚かにさせないでください。知りたいのです。あの人の本当のことを――」

 女王の銀の目が、薄紅の花を見つめる。
 その睫毛が雪の粉で濡れる様に、少女は唇を噛んだ。

 ファエラは目を閉じる。
 ほんの僅か、温かさが残る胸元を押さえた。
 人の想い。願い。恋情。
 何処までも強く脆い、目に見えぬそれらが、いつでも人の背を押すのだ。

「……女王様、私は偽りを申し上げていました」

 知らせないで欲しい、と彼は言った。
 知れば女王は、己を忌んでしまうだろうからと。
 だがそれも、全て想いだ。

「あなたの恋人は、二月前に病で息を引き取りました。だからもう、あなたとの約束は守れないのです」



                  ※


 南の国から来た男だった。
 頭の良い人間だった。優しい男だった。だが体は頑丈ではなかった。
 彼は、春から秋まで、やせ細った一人の少女と恋をした。
 冬の終わりに再会を約束して別れた。
 そうして恋人の少女を待っている間、彼の体は冬の寒さに耐えきれなかった。
 咳をこじらせ肺を病んで、床から起き上がれぬまま、この世を去った。
 彼は最後に『花を届けて欲しい』とファエラに頼んだ。



                  ※


「あなたには本当のことを知らせないで欲しいと、頼まれました。知ればあなたは冬を――己を呪ってしまうだろうからと。それよりも不実な恋人だったと恨んでくれればいいと言っていました。あなたの涙が、一日でも早く乾けばいいと」

 女王は、自らの呼ぶ冬が恋人を死なせたと知ったら、ひどく嘆くだろう。
 悲しみが深い雪を呼び、全ては閉ざされてしまうかもしれない。女王の歌は容易くそれを可能にするのだから。
 彼は、己の少女が何者であるかを悟っていた。誰に言われずとも自分で気づいたのだ。
 その深い愛情を、ファエラは羨ましく思う。
 死してなお花になって、己の少女を慰めようとする程の男の想いを。

「冬が好きだと、彼は言っていました。あなたが呼ぶ雪を美しいと。世界でもっとも美しい白だと。できるなら、もう一度あなたの笑顔を見たかったとだけ悔いていました。だから代わりに、この花を―――― 」

 女王は、自分に添おうと震える花を見つめる。
 透き通るような薄紅色の花弁。緩やかに弧を描く雫型のそれは伸ばされた掌のようだ。

「彼に残った最後の命で、わたしが咲かせた花です」

 この花を咲かせるために、時間を費やした。
 それが今のファエラの限界だ。
 彼女は深い思いをもって、女王を見つめる。

「ですから、ディアレスティア。どうぞ、お傍に……」

 願いを捧ぐ言葉。
 氷と同じ温度の手に涙の雫が滴った。花弁と同じ色の唇が震える。
 女王は小さな嗚咽を零して花を抱きしめた。
 雪がやみ、雲の切れ間から零れた日差しが銀景色を照らし出すまで、冬の女王はそうしてずっと泣いていた。


                  ※


「ありがとう、ファエラ」

 枯れた涙の末、女王がぽつりと言ったのは、そんな言葉だ。
 白いドレスの冬の女王に、少女は膝を折って頭を垂れる。

「勿体なきお言葉です。力足らずで申し訳ありません」
「あなたの力が足りないのは、わたくしのせいです」

 女王はそう言うと、涙の跡の残る顔で不器用に微笑んだ。白い指が透き通るヴェールを引く。
 ファエラはそれを見て息を飲んだ。みすぼらしい自分の外套を見下ろす。
 土に汚れた指を隠すように握る少女に、女王は穏やかに微笑んだ。彼女はファエラに歩み寄ると、自ら取り去ったヴェールを少女に被せる。

 ―――― その瞬間、世界が変わった。

 二人の間に風が渦巻く。
 それはたちまち広がって季節の塔を駆け巡り、氷を拭い雪を払っていった。
 きらきらと冷えて輝く壁や床が、うっすらと温かみのある色に染まる。
 柔らかな春の息吹、巡る季節が壁の燭台に淡い光を灯した。
 光は、たちまち塔の窓から外へと広がり、積もる雪を溶かしていく。

 ―――― 今年も、この時が来たのだ。
 ファエラは己のヴェールをそっと押さえた。
 氷雪のレースで飾られていたそれは、今や淡い無数の花びらに彩られている。
 みすぼらしかった外套は、大輪の花を集めて広がるドレスに。土に汚れた指は、すらりと美しい象牙色の手に代わっていた。
 ファエラは暖かな息を吐いて、目の前に跪く少女を見つめる。

 そこにいるのは、粗末な麻服に身を包んだ灰色の髪の少女だ。
 小さな鉢を大切そうに抱きしめて、少女は頭を垂れる。

「ディアファエラ様……春を紡ぐ女王様、感謝いたします」
「レスティア」
「私の愚かさで、ずいぶん女王様のお手を煩わせてしまいました」

 掠れた声音には、まだ悲しみと喪失が滲んでいる。
 この傷が癒えるには、まだ時が必要だろう。もう一巡り二巡り季節が変わるくらいはかかるかもしれない。
 まだ恋を知らないディアファエラは、小さくかぶりを振った。

「いいのです。わたしたちは皆、同じ。季節を紡ぐ運命を持った同胞なのですから」

 季節の女王たる四人の女たち。彼女たちは血を、役目を継いで巡っていく。
 春は夏を生み、夏は秋を生む
 秋は冬を、冬は春を。
 女王はそして、愛しい一人娘に役目を継がせる。
 己のものとは違う次の季節を、娘が新たに纏うように。

 冬の女王であった母の姿を思い出し、春の女王は微笑んだ。

「お行きなさい、レスティア。残りの季節を、どうか心安らかに」

 ディアファエラは少女に向かい手をかざす。
 花の指輪を嵌めた手から、春の光が小さな鉢植えへと注がれた。途端、凍えかけていた花が、生き生きと輝き始める。
 少女はそれを見て涙ぐむと、また「ありがとうございます」と呟いた。
 変わっていく季節、役目を終えた少女の上に、暖かな日差しが注ぐ。


                  ※


 歌を差し上げましょう、ディアファエラ
 わたしの愛し子、やがて季節を紡ぐ運命の娘よ
 歌を歌いましょう、あなただけの歌を
 人のために、国のために
 大地のために、天のために
 歌いましょう、ディアファエラ、わたしの愛し子
 ―― いつか一人になる、あなたのために。


                  ※

 母から伝えられる歌。
 それは女王から女王へ継がれる運命の歌だ。この国に、世界に季節を呼び込む歌。
 四人の娘を伝って巡る季節は、いつもありのままに残酷だ。
 だからいつか自分も恋を知り、孤独を悲しむ日が来るのだろう。
 塔へと去っていく母を恋しがったように、やがて自分が誰かを置いて、またこの塔に来るのだ。

「それでも、ここに来ればあなたがいるから」

 世界でたった四人の同胞。
 同じ重みを負って玉座に座す少女たちは、きっと誰よりも自分に近しい相手だ。
 ディアファエラは塔の露台から、滑らかに伸びる草原を見下ろした。
 その中を、花の鉢を抱えた少女が一人、遠くの町へと帰っていく。
 彼女はきっと、己の呼ぶ冬までの間、恋人の残した花と共に過ごすのだろう。
 失ったものを見つめて飲み込んで、いつかきっと大人になる。そして次の春の女王を生むのだ。

 だが今はまだ、悲しみに暮れるただの少女だ。
 次第に小さくなるその背に向けて、女王はそっと息を吐いた。
 青い空の下、ディアファエラは新緑を生み花を育てる歌を紡ぎ始める。

 季節を手繰る少女たちの物語。
 誰にも知られぬ愛と孤独の歌。

 そして長い冬は終わり、また春が始まった。


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